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くるめ-コラム

香茶店〝香り不思議発見〟 Vol.126

最近よく眠れていますか?

〜香老舗から体に優しい快眠への新提案 ! 〜

香star

3月中旬、新聞TV等で紹介された「ベチバー香」はその後、問合わせが殺到して大変だったとか。裏を返せば、眠れない人がなんと多いことか。

日本人の5人に1人は不眠の状態があるといい。60歳以上では3人に1人が睡眠問題を抱えています

発想から約20年、ベチバーとの出会いが商品開発へのヒントとなった。同時に多くの試作を重ね久留米大学学長で睡眠の専門医・内村直尚先生との眠りに不安を持つ成人を対象にした「終夜睡眠ポリグラフ検査」で寝つき、夜間の覚醒、早朝の目覚め、熟眠感不足の不眠症状を改善する効果があることが確認された。睡眠薬に頼らずに香りの芳香成分によって改善する役割が期待される、との事。是非お試しを !

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4月18日は『お香の日』です。

「天年堂ブロカント(蚤の市)」開催 !

4/15(木)〜4/18(日) 10:00〜15:00

4日間開催

※雨天中止お香をはじめ、古布、版画など、掘り出し物いっぱい。初めてのブロカントお楽しみください。

久留米文学散歩 vol.100

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第十四回

吉政の鉄腕マネージャーな仕事ぶり 文/江﨑久美子

吉政は、秀吉の時代から、沢山の城の造営に深く関りを持ってきました。大河ドラマ「麒麟が来る」が話題となりましたが、信長が亡くなり、山崎の合戦で、明智光秀は破れ、いよいよ豊臣秀吉の天下となりました。その後の吉政を考えてみましょう。清須会議の後、清州城に豊臣秀次が入ると決まると、吉政が先に清州城に入り体裁を整えたと、少ない記録の中に出てきます。

二年後の四月、蒲生氏郷が、伊勢松ヶ島城に移封した後を、二十三才の若い奉行衆の長束正家を伴い、吉政は日野城に入りました。そして、日野城の体裁を整えたと思ったつかの間の十月、かつて明智光秀がいた丹波福知山城主、秀吉正室ねねのおじにあたる杉原氏が亡くなり、急ぎ城代として入ります。一五九五年、秀次が高野山で切腹した年、小野木重勝が城主になるまでの九年の間は吉政の管轄城下でした。

また、その少し前、一五八五年に近江八幡城は、関白秀次の居城となり、筆頭家老として吉政が築城します。しかも、近江八幡城の縄張りと、石田三成の佐和山城の縄張りは、そっくりで、彦根市の学芸員さんは、吉政の仕事だろうとのことです。

次の年の一五八六年には、聚楽第の建設が始まります。勿論、聚楽第は秀次の居城としての采配も、吉政ら家臣団の屋敷建設も、忙しかったに違いありません。

それから、戦乱の時代が続きますが、一五九〇年に、秀吉は吉政を、三河国岡崎城の城主にします。この城の築城と、城から離れていた東海道を城下に引き入れ、大規模な工事を行います。

ざっと書いただけで、どうですか? 目まぐるしく、秀吉の直下で、各地を見守り整え、次の城に移っていく、今で言うなら支店を支店長に任せるまでに整え造り上げるマネージャーのような働きぶりです。筑後国に入ってきた時は、経験を積んで満を持してといった具合ではなかったでしょうか。

高良川縁起 その3

『一ノ瀬親水公園と水車』

文/高良川 ほとり

季節は移り、高良川の土手は菜の花が咲いております。大根の季節もおわりそろそろ水量も復活してくる時期でしょうか。これから暖かくなるにつれ上流部にある「一ノ瀬親水公園」も賑わってくることでしょう。桜がきれいですし梅雨のころには蛍が乱舞してくれます。ちなみに親水公園だけでなく高良川流域では蛍があちこちで見られます。信愛の先、最所産業さんのGSんにきから東国分小学校裏手んにきまで、オススメです。ちょっとじめーっとした蒸し暑い夜にどうぞ。

ちょいと話がずれました。一ノ瀬親水公園といえばもうひとつ、水車が有名です。直径6mとなかなか大き目、朝倉の三連水車でもいちばん大きな水車の高さは4.8mといいますから、なかなかのもんです。実は親水公園から下って竹の子までの地区を「水車谷」といいまして、明治初期に庄屋さんが据え付けたのを一番水車として最盛期には十番水車、番外まで含めると二十軒ほどが高良川の水力を利用して精米、製粉業として営業していたそうです。時代がくだり動力としてモーターが普及してからは衰退の一途をたどりますが、時間をかけて製粉するため熱がかかりにくく、特に蕎麦などは一味ちがう!とこだわられる方も。広川町の「逆瀬ゴットン館」は高さ7mの水車でひいたそば粉に、逆瀬谷薬師堂の地下水を使ったこだわりの「水車そば」が有名です。

上陽の馬場水車場では、お線香の材料につかう杉の粉を水車で製粉されています。「水車でついた杉線香」シンプルでいいですよー。くるめスタイルでコラムを連載されている「天年堂」さんでお求めいただけます。お店は十三部から苅原へと向かう途中「宮園」信号んにきです。ぜひ。

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一ノ瀬親水公園の水車

新・落語スズメvol.32

『春はあけぼの
  (26回目は立川談笑)』
文/松田 一成

一年延期の会、六五郎橋を越えての『立川談笑独演会』へ。平日の夜ということもあり、都合で行けるかどうか微妙。構えていたら、おっとどっこい、人数制限もあり、昨年お買い求め頂いていたチケットのみ入場可能とのこと。当日券の販売はなし。そんな時に限ってぽっかり時間が空くのです。談笑落語、久しぶりの再会が今度はこちらが再度延期か。そんな話をしていたら、持つべきものは落語仲間、余分に買っていた一枚を融通して頂きました。深謝。偶然の同月同日の15年前はサザンクス筑後、立川談志、談笑の親子会。アタシの中では特別の会、談志渾身の『芝浜』の会だった。そんな談志さんが連れてきた(その当時真打なりたて)談笑師は随分可愛がられていたふうで、落語立川流のなかでも異例の出世、二つ目最短記録を持っていたような。サザンクス筑後では談志さんに譲ったが、今回は独演会、さあ何をと期待を持って桟敷に滑り込む。「お席亭から談志師匠の話をとのリクエストがあった」「普段は意識して全くやらない」との前置きの後、出るは出るは、マニアにはたまらない談志エピソードの数々。長生きも芸のうち(歴史は最後に生き残った者が作るとういうことかな(笑))というのはこういうことなのねと腹をかかえた。談志さんと『ライ坊(ライオンのぬいぐるみ)』との愛の日々(毎晩一緒に寝ていたらしい)には、どこか憎めなかった談志さんの理由がわかったような。そんなこんなで、マクラだけで1時間35分!客席納得の高座延長。一席目『時そば』。二席目、三代目金馬「居酒屋」オマージュ『イラサリマケー』。異文化交流とはこうあるべきとの指南。実はあまりに時間が伸びたので、仲入中もそのまま高座でお客様とおしゃべり。談志のDNAは芸だけでなく、このサービス精神もだなと、緞帳を下ろさず、お客様を見送っていた談志さんの姿を思い出す会となりました。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.142

“2012年 グアテマラ
カップ オブ エクセレンス審査会セレモニー”

写真と文 安達  和宏

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2012年グアテマラCOE(カップオブエクセレンス)審査会のセレモニーです。馴染みの顔も有れば名前だけは知っていたけど初めて見る顔、名前も知らなかった人など多くの出会いが有りました。私も自身が高評価した生産者はどんな人か胸躍らせて見守っていたのを昨日の事のように思い出します。昨年はCOVID-19の影響で審査員一堂に会しての審査は出来ませんでしたし、勿論大々的なセレモニーも有りませんでした。今年も現状では難しいようですが、それでもサンプル豆を世界数カ所に送りそれぞれでのカッピング審査を取りまとめる形での審査会は開催されます。それにしても、実際にその対象国に世界中から審査員が集まり開催出来た時がとても羨ましく思えます。コロナ禍は特にオンラインでの交流が盛んで推奨される時代ではありますが、アナログな交わりがより貴重で大切なものに思える、今日この頃です。

歯は健康のバロメーター vol.46

〜落合先生のお口のお話し〜

1歳児はじめての歯科健診について

歯磨きを始めるタイミングは?2

おちあい小児歯科医院 院長 落合 聡

赤ちゃんが生まれたら、できるだけ早い時期から指で歯肉をマッサージしてあげることが、歯磨きをスムースに受け入れてもらう第1歩であることを前回おシは痛いもの、というイメージにならないようにすることです。

 このようにして、指から話ししました。それでは歯肉のマッサージに慣れてきたら次は何をすればいいか、これが今回の話題です。

大体生後6~8か月前後になると、下の前歯が萌出してきます。その時点で指による歯肉のマッサージがスムースに受け入れてもらえるようになっていたら、次の段階に進みます。今度は、ガーゼや脱脂綿で萌出してきた下の前歯を拭いてあげましょう。下の前歯はとても小さく、まだ完全に萌出する前に子ども用とはいえふつうの形の歯ブラシで歯を磨こうとすると、歯を磨くというよりも歯肉にブラシを当ててこすっているような状態になりがちなので、痛い思いをさせてしまうことになるかもしれません。ですから歯ブラシほどの刺激はないが、指よりも少し刺激が強いものとして、ガーゼや脱脂綿を使います。下の前歯は生涯を通して虫歯になる確率の低い歯ですので、虫歯にならないようきれいにする、ということよりも、歯を拭いてあげるという刺激に慣れてもらうことを優先して考えましょう。ただ、歯と歯の間や歯と歯肉の境目に汚れがたまりやすいような気がしてどうしても歯ブラシで磨きたい、という場合には、1本ずつ磨くようにできている先の小さな歯ブラシがありますので、それを使って手入れをしてあげてもいいです。大事なことは、歯ブラガーゼ・脱脂綿というように、少しずつ刺激を上げていって、道具を使って口の中を手入れする、ということを覚えてもらうことが第2の段階です。

次回はその次の段階、普通の形の歯ブラシで歯を磨くタイミングとその方法について、お話ししたいと思います。

むすんで、ひらいて!! vol.82

「感情のコントロールがうまくできない子の接し方」

一般財団法人田中教育研究所

幼児心理カウンセラー  野田 鏡子

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一度、感情を害するといつまでもあれる子、衝動の抑制ができない子が多くなっているようです。

何か原因があるのですが、欲求を満たしてあげられない時、私たちはどう接したらよいのでしょう。

ADHD(注意欠陥多動性障害)と診断された子ども達もカッとなりやすい・キレやすいという特徴があります。欲求を阻止されると急に機嫌が悪くなり、どうにも手が付けられない状態になることもあります。人前でも電車の中でもどこでもお構いなしに泣きわめくのです。生まれ持った性質もあるかとは思いますが、接し方によっては変化するようです。

欲求不満が爆発している時、子どもの言いなりになったり機嫌を取ったりすることはあまり良い方法ではありません。「泣きわめくと思い通りになる!」という習慣がついてしまい、より激しく欲求を満たそうとするようになります。また、感情的になっていればいるほど、言葉で説得しても子どもの耳には入っていきません。大切なことは、穏やかに平然とした態度をとることです。

「どんなに我がままを言っても思い通りにならないよ」という態度をとることです。

「気をまぎらわせる」「他の興味を持つように仕向ける」という方法が1番効果的です。

外出する時は、子どものお気に入りのおもちゃやお菓子をこっそりバッグに入れておくのもいいでしょう。それとなく子どもの好きなおもちゃを出して自分で遊んでみて下さい。子どもはそれを見てスーッと高ぶった感情が消えていきます。黙って抱きしめてあげるのも良いと思います。

人は怒りの感情を先天的に持っているのですが、喜びの感情は日々の生活・環境の中で育っていくようです。特に幼児期に!!

高良川縁起 その2

『水にまつわる弘法大師様』

文/高良川 ほとり

先月は久留米大水害のお話をしましたが、今月も引き続き水にまつわるお話。弘法大師様です。いやいや関係ないじゃんと突っ込まれそうですが、そもそも弘法大師様は日本における真言密教の祖であり雨乞いの法要などもばっちり。仏教だけでなく測量や堤防構築などの最新建設技術も習得していたと思われます。有名なところですと香川県にあります日本最大の灌漑用のため池「満濃池」の改築を指揮した記録も残っております。時の天皇からの信頼も厚かったのもうなづけますなあ。

さてさて、全国に足跡をのこす弘法大師様。九州にも唐からの留学を終えたのち二年ほど滞在されたそうで、各地に伝説がのこっております。初夏の風物詩、筑後川の「えつ」も、対岸に渡れず困っておりました弘法大師様を見かねた老漁師、向こう岸までのせてあげたところ、お礼にとアシの葉をちぎって川に投げいれたところあら不思議、銀色の魚となり以後漁師はこれを生活の糧として困ることがなくなった、とあります。

実は高良川にも弘法大師様にまつわるお話がございまして。ある日、高良川のあたりをさるいておられた大師様、ちょうど川で百姓が大根をあらっておったのが目にはいりまして。さて一本恵んでくれんじゃろうか、とお願いしたところ、すげなく断る百姓。その態度に腹をたてた弘法大師様は、大根あらわれんごつ水を枯らしちゃる、と真言を唱えますとあら不思議、毎年大根の収穫時期には川が干上がるようになりました。それ以来高良川のことを別名「大根川」とも呼ぶようになったんだとか。そういえば、高良川とバイパスが交差するあたりに、弘法大師様を信仰する小さなお堂がありました。しかしまあ、どちらも料簡の狭いちゅうか、けちくさいちゅうか。よっぽどおなかすいてたんでしょうか。それとも、弘法大師様とはいえ一人の人間であったとの証左でしょうか。(続く)

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高良内小学校脇のあたり

いまでも軽トラごと川にはいってねぎやほうれん草をあらっている人をみかけます。

新・落語スズメvol.31

『ナマメカケ』

文/松田 一成

本来の営業形態は居酒屋なのだろう。コロナ禍で方向転換を余儀なくさせられたにわか定食屋にはアルコールの残滓がチラホラ。ビールジョッキを抱えたお嬢さんのピンナップがアタシのほうを微笑んでいた。無理無理と心の中でご辞退して、腹に何をいれるかと壁に貼ってある短冊をちらり。『トリ生』。はっ?『トリ生』。サントリー生ビール?鳥の刺身?下の句が続いていた『妾焼き』『メカケヤキ???』、『生メカケ』?ここまで想像をめぐらしたところで一人大笑い(黙食ならぬ黙笑)。『とり生姜焼』。姜と妾の勘違い、老眼のなせる業と、シチュエーションの思い込みでした。話はここから。生のメカケ焼で一人大笑いしたアタシのセンスは、はたして今の世間様が許して下さるのかという話。落語の世界では、今の価値観ではなかなか厳しい表現が多い。顔かたちを笑ったり(井戸の茶碗、清兵衛を表すくだり)、仲間外れを作ったり(ちりとてちん、伊勢屋の若旦那)、職業の貴賤、女郎噺は数多い。与太郎さんが出てくるのは落語の原風景ですらある。倫理とは別にして、落語にはすべての存在を肯定する大衆の価値観があるからこそ、日本で永らえていると思っていたのだが…。最近の世間様の不寛容さがどうも気になります。その不寛容さ(ヒステリックな正義)が落語に気が付いたらと思うと気が気ではない。戦中の噺塚のように(思想が真逆なのかな)高座に掛けることが出来ない噺を葬ったり、芸能自体が否定されかねないような。実際、大きい箱(会場)では、こんなマクラはふれない(お察しください)と配慮する噺家も。先のピンナップガールに勧められた生妾焼きの件だって不謹慎だと糾弾されるかもしれない。そんな話を友人にしたら、ヒステリックな正義は想像力の欠如がもっぱらだ。そんな人間は、業を肯定するような落語になんか興味をもたないから相手にする必要はない(ここでも新たな不寛容)と。ごもっとも。みなさん、もう少し優しい世間様をつくりましょう(笑)。

久留米文学散歩 vol.99

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第十三回

田中家のお姫様達 文/江﨑久美子

三月は、お雛様祭りの季節。田中家の文書には、中々女性の名前は出てきませんが、その中で分かっている人物と言えば、吉政の母竹がいます。その他に名前は不明ですが、吉政の娘達の、宮廷書記官の大外記中原師廉の正室になった女性、田中家三奉行の宮川讃岐正室となった女性、同じく三奉行の磯野伯耆の息子大膳の正室になった女性、家臣草野熊之助正室、そして、忠政に嫁いできた久松院椿姫。

また、忠政の時代の田中家家臣知行割表には、筆頭に筑後守殿後家、妙寿院、慶福院、城島、北ムキ、朝妻、梅原、新庄、佐渡守後家と書かれています。宮川佐渡後家が娘だと分かりますが、それ以外は吉政との関係がよく分かりません。妙寿院は、後を継いだ忠政の母で、継室ではないかと言われています。柳川の寺にまつわる逸話に出てくる慶福院は、忠政の伯母、或いは吉政の叔母だとされます。吉政の叔母だとすると父重政の妹。或いは弟に嫁いできたか。忠政の伯母だとすると、吉政の姉で、誰かに嫁ぎ、または、吉政の兄に嫁ぎ後家となって筑後まで来たことになります。

吉政の故郷で、歴史を調べておられた湯次行孝住職の書かれた「国友鉄砲の歴史」には、「かの慶福門院が…」との一説があるのですが、この言葉が示すものは位の高さです。その伯母さんが、とっても位の高い方だった。しかし、「吉政の母慶福院」との文字もあり、謎は増すばかり。

近衛前久の姉で、一五二六年生まれの花屋玉栄という人が、同じ慶福院というらしいのです。もし、この人なら、吉政より年上で、田中家に嫁いだとなると、忠政の伯母で、吉政の兄に嫁いで後家となり筑後に居た事があった。もし、この人なら、秀吉に源氏物語を読み聞かせた話があり面白いですね。残った逸話などから紐解くには、まだまだ史料が足りませんが、益々、謎を解く楽しみが広がります。

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