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久留米文学散歩 vol.113

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第二十七回

中村五郎兵衛信行伝 文/江﨑久美子

田中吉政は、筑後国に入って、戦国時代の荒廃した村々や田畑をどのようにしたら復興できるか深く考えました。そんな時代の、久留米城から福島城の間の藤山の街道沿いに繰り広げられたお話、「中村五郎兵衛信行伝」があります。これは、広川郷土史研究家佐々木氏が、広川町の歴史をまとめた「日吉温故録」の中にあり、中村家の子孫からの伝記を収載されたものです。

五郎兵衛信行は、元は黒木の猫尾城主黒木氏の家臣で北大渕の領地を持ち、戦国時代の落城から、浪人となり藤山に住み着きました。年は四十五歳。妻と子と田畑を耕し静かに暮らしていたその時、高札を見つけます。それには、「岡野勘三郎という盗賊が、手下三十人を従えて暴れまわり、身包み剥いで盗人、挙句に人殺しで世の中を騒がせている。撃ち取った者は、望みの物をなんでもつかわす」とありました。彼は、望みなど何もありませんでしたが、これは人々の為にやらねばならないと、すぐさま家に戻り薙刀を手に陣笠をかぶり戦姿で馬を走らせました。そして、現れるという街道で待ち伏せをして勇敢に戦い、ついに撃ち取りました。そして、その首を吉政の居る柳川城へ持参したのです。田中吉政がその望みを尋ねると、何も要らないと言って家老の宮川や皆を困らせました。しかし、彼は、「二人の殿には仕えられぬが、この国に住む限りは殿に恩義があるので、毎年の元旦に登城し、殿に新年のご挨拶を致します」と言って立ち去りました。それから、彼の登城は毎年続き、藤山村の庄屋を担ったそうです。没後彼の亡骸は息子たちの手で遺言通り村の山頂に埋葬され、後にそこが志賀大明神となりました。その小高い場所に立ち、昔あった街道辺りを見渡せば、その物語の様子が目に浮かぶようでした。今月末、この話を題材にした演劇が中村文平氏の脚本により広川町で上演されます。

※詳細は15pからご確認ください。

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