Home > 久留米文学散歩 > 久留米文学散歩 vol.111

久留米文学散歩 vol.111

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第二十五回

竈門神社と釜戸神社 文/江﨑久美子

世の中は、アニメの影響で、大宰府や筑後市溝口竈門(かまど)神社が賑わっているそうですが、名前の響きが似ている釜戸(かまや)神社が、八女市には二つあります。八女市内から四四二号線を黒木町方向に十キロ程行くと、矢部川に架かった赤い「かまや橋」があります。その橋のすぐ近くの左右の川岸にあり、右岸の立花町の神社は、真下に白く巨大な岩が見えて、祭神は、罔象女神(みつはのめのみこと)、瀬織津姫(せおりつひめのみこと)で、瀬織津姫は、早川の瀬におられる神で、罪穢(つみけが)れを海に流す禊(みそぎ)の女神様です。罔象女神も、古事記では、弥都波能売神(みづはのめのかみ)とも書かれ、灌漑など水を鎮める女神様です。

元は、桓武天皇の代、延暦元(七八二)年に本分村中瀬神社として祀られていましたが、黒木庄の猫尾城主大蔵太輔助能公が現在地に遷し、阿蘇の建磐竜神(たていわたつみのかみ)と合祀したものです。戦国時代には荒廃していましたが、慶長十一(一六〇六)年、田中吉政の崇敬があって、神領の寄附を受けて、再び繁栄となりました。対岸のもう一つの神社は、巨大な樹齢六百年の楠木が岩盤の上にそびえたち、丸石や角石などで何度か修復され、人々の信仰の篤さが見て取れます。神社の巨大な樹齢六百年の楠木の説明板には、立花町の釜戸神社と同じ由来があるのですが、寛永二(一六二五)年、神木のある現地に社を建てて、湯辺田村の氏神釜屋宮と称したとあるので、田中家が改易となった元和七年に、久留米柳川に分かれ北湯辺田は有馬家領となり、南田形は立花家領となったので、氏子たちは困って、ご神木のある岸壁の上に氏神様として社殿を建てお祀りしました。昔は、矢部川は、船運、川漁、和紙や、鋳物等の水を必要とする仕事を業となす人々にとっては、頼りの神社だったに違いありませんね。

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
https://kurumestyle.com/wp/wp-trackback.php?p=2302
Listed below are links to weblogs that reference
久留米文学散歩 vol.111 from くるめ-コラム

Home > 久留米文学散歩 > 久留米文学散歩 vol.111

Search
Feeds
Meta

Return to page top