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久留米文学散歩 vol.110

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第二十四回

竹生島神社 文/江﨑久美子

田中吉政は、近江国三川虎姫の出身とされています。筑後国主になって、慶長九(一六〇四)年五月十二日、琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座する、竹生島神社の神事に米百石を贈っていますが。竹生島の法厳寺に残る文書に、蓮華会頭人(とうじん)として、夫婦で出席したことが分かっています。蓮華会頭人とは、地元の、つまり近江国出身の、天皇家の家系の人、公家や大名のみが許され受けられる、その年の筆頭会頭のことです。吉政は橘朝臣という公家の位を持っていましたが、若くしては無理だったことでしょう。筑後国主になった吉政を見て、地元の住民達や故郷の一族は誇らしかったに違いありません。

竹生島には、竹生島神社(都久夫須麻神社)と宝厳寺しかなく、人は住むことができない神さま(弁財天さまと龍神さま)の島として古来より厚く信仰されてきたそうです。また、厳島神社と宗像神社とで日本三弁財天の一つと言われ、国遺産に指定されています。

宝厳寺にある唐門は、国宝で、慶長七(一六〇二)年、豊臣秀頼が、片桐且元を普請奉行として、元は大阪城から移築して豊臣秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた「極楽門」を、更に移築したものだそうです。豊臣秀吉時代の大阪城唯一の建物と考えられ注目されているようです。気になったのは、秀頼の年です。秀頼は文禄二(一五九三)年生まれの当時九歳、関ケ原の戦から二年ほどの環境は計り知れません。徳川家康の意向なのでしょうか。うちの孫の様子を見ると、昔の人はずいぶん大人だったとしても、けしてそのような普請事業を発案、発注できるとは思えません。歴史の記録として、名前が上がっていますか、九~十歳の秀頼の行動には無理があると思うのは私だけでしょうか。

それにしても、琵琶湖に浮かぶ竹生島の景色が、とても美しかった事を思い出します。また、近江の国が私を呼んでいます。

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