Home > 高良川縁起 > 高良川縁起 その12

高良川縁起 その12

『上河原、中河原、下河原』

文/高良川 ほとり

下河原、と先月ご紹介しましたが、よう考えたら難読地名でありますな。久留米にお住まいの方でしたら皆さま、「太郎原」やら「上津荒木」あたりはすらすらと読めるかと思います。高良内や田主丸は、県外の方にはなかなか難しいようです。ちなみに下河原は上河原、中河原と上中下、そろっております。

かつての高良川は暴れ川でもありました。東国分小学校の北グラウンドあたりはそれこそ「河原」だったそうです。大きな石がごろごろ転がり、晴れが続いた日には高良川で洗った布団を石にかけて干しよったそうです。明治のころは小学校に運動場などなく、この広い河原を利用して地域の運動会というか集まりをやったんだとか。娯楽の少ない当時のこと、村民を挙げて酒や弁当をもって集まりさぞかしにぎやかな「ハレの日」だったことでしょう。

当時の詳細な地図は残っておらず、口伝えで残るのみなので推測でしかないのですが、競輪場んにきの崖はかわっとらんでしょう。東国分小学校の北グラウンドは昔河原じゃった、と残っておりますので、それこそ広さといいますか、川が暴れる時期には川幅百メートルはあったのでしょうか。いまでこそ堤防がびしゃーっと整備され、周辺は住宅地に造成する際の盛り土でかさ上げされておりますが、川沿いをさるいてみますと昔はあそこんにきまで河原じゃったろうか、と思えるような風景が広がっております。

お正月には高良大社の展望台から筑後平野を眺めて、暴れ川筑紫次郎がつくりだした古代風景を想ってみませんか?

202201-takara.jpg

高良大社から見下ろす町並み

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
https://kurumestyle.com/wp/wp-trackback.php?p=2281
Listed below are links to weblogs that reference
高良川縁起 その12 from くるめ-コラム

Home > 高良川縁起 > 高良川縁起 その12

Search
Feeds
Meta

Return to page top