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久留米文学散歩 vol.108

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第二十二回

豊臣秀吉肖像画書 文/江﨑久美子

豊臣秀吉肖像画は、京都高台寺所蔵が最もポピュラーでなじみがあると思います。絵師は狩野光信。賛は、京都妙心寺五十八世住持の南下玄興。慶長三(一五九八)年八月十八日と書かれていますが、秀吉の没年後に、田中吉政の発案で描かれました。吉政が、秀吉の正室高台院を慰めるために慶長四(一五九九)年に贈ったものと考えられます。

その頃の吉政は、生前の秀吉の命で岡崎城主でした。家康は、江戸へ移封をさせられ、その空いた岡崎の土地へ入ったのですから、未だ家康の家臣や一族が住む岡崎の地は、大変な苦労だったと思います。

八女福島文平座の「氷輪の如く」の公演の劇中、私が演じる高台院と、中村文平演じる田中吉政との会話の中に、次のようにくだりがありました。場面は、その秀吉の肖像画を届けに来て、大阪へ出向いてほしいと頼む場面です。

吉政「それ故、今一度、大阪の城へ入られ、向後の仕置きをお願い致しとう御座います」

寧々「これよりは、太閤殿下の菩提を弔うだけの日々じゃ。競い合う相手があの世では、この世に未練はない」

吉政「北政所様…」

寧々「短気を起こしてはなりませぬ。殿下が居られぬ今、世は大きく動いていくであろう。それぞれがそれぞれの道を自らの手で開いていかねばならぬ。戦で事を決する時代は、終わりましたぞ。わかりまするな…時の流れ、人の力の勢いは止められぬものじゃ。二つに割れて争うては収まりかけた世が、また乱れてしまう。吉政殿、私は、豊臣の家を守ってくれとは言わぬ。殿下が描かれた泰平の世の国造り、そなたの力を尽くして下され。それが、太閤殿下の夢であった…」

吉政は、岡崎へ大政所が出向いた時も附き添いました。秀吉が「醍醐の花見」をした時も、付き添っています。秀吉の葬儀の時も、秀吉の御棺も担ぎました。いつも、豊臣家の家族と寄り添っていた気がします。

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