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高良川縁起 その11

『往時の南久留米駅』

文/高良川 ほとり

先月「国立倉庫」ちゃ久しぶり聞いたばい、とお声をいただきましたのでちょいと脱線。ええ、線路の話題だけに。いや、やはり通常運行ですな。定時運行とまいりたいものですが、師走の声が聞こえてまいりまして、どんこんならんです。

いまでは下河原(しもごうら)と名前が変わっておりますが、以前は「国立倉庫前」といいました。いまでは建物の一部が久留米市の公園土木管理事務所として活用されていますが、以前は農林水産省の管轄で、九州農政局福岡農政事務所久留米支所として使われていました。バス通りから事務所の方をのぞきますと、ゴルフ練習場や学校給食の調理センターなどが並んでおります。

南久留米駅は1928年(昭和3年)12月24日に開業いたしました。もうちょっとで百年なんですな。いまでこそ食に困るという場面はめったになくなり、コメ余りが叫ばれてひさしくなりますが、当時は米の価格および食料供給の安定を図るため国が買い入れた米を保管するために倉庫が建設されました。名称の通り国が運営する備蓄倉庫で、全国に数か所設置されたうちの一つです。もっとも太平洋戦争によって日本の戦況が悪化してくると、国立倉庫の米もなくなり軍事物資ばかりになったんだとか。

南久留米の駅ホームにたってみますと、やたら東側がひらけているのに気づかれるかと思います。国立倉庫があった当時には引き込み線があり、九州各地から収穫された米や麦が鉄路で運ばれ、備蓄されておりました。また、南久留米駅北側の「高良踏切」から駅のほうをのぞき込んでみますと、茂みのなかにコンクリートの台を見ることができます。当時前川原駐屯地に配属されていた第一戦車隊の戦車は、ここから列車にのり日出生台まで演習にいっとったそうです。

いまでこそ、南久留米駅は一日の乗降客数が数百人、無人駅となりさみしい限りでありますが、往時は貨物列車がいきかい国の根幹をささえる物流駅としてにぎわっていたことでしょう。今ではその賑わいを知るのは、駅舎天井に描かれた六芒星だけなのかもしれません。

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南久留米の駅と天井の六芒星

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