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高良川縁起 その4

『筑後の米作りと水車の歴史』

文/高良川 ほとり

さあさあ、先月は水車の話題でございました。当くるめすたいる筒井編集長も大好きな筑後のおさけの歴史に深くかかわる「水車」でもあります。

水車といいましても、その回転力を生かして動力とするものと、水をくみ上げ田畑を潤すためのものとの二種類に大別できます。製粉、精米に使われるものは前者のタイプ、朝倉の三連水車は後者のタイプですな。日本酒の原料といえば米、その米をつくるためにはいかに田んぼに水を引き込むか、くみ上げるか、ということに苦心してきたのであります。水車が普及する前は、川から桶をつかいくみ上げるほかありませんでした。

江戸時代の初期に大阪の方が発明した踏車(とうしゃ・ふみぐるま)という足踏み式の灌漑水車を、三潴郡大莞村(いまの大木町)の猪口万右衛門さんが改良されたそうです。「万右衛車」といいまして、当時の価格は米一石と同じといいますからなかなか高額な機械だったことがうかがえます。この踏車、大川でつくられ、久留米のみならず佐賀など筑後平野一円で活躍していたようです。

筑後平野には森林資源の豊かな八女もありますし、また、玖珠や日田の木材を筏に組んで大川に集積し、木工細工にたけた職人が多数いたという人的資源もありました。こういった背景に支えられて筑後平野の米作りは発展していったのです。

余談ですが幕末に久留米の田中近江、のちのからくり儀右衛門は水車機の改良も手がけました。のちに東芝が我が国初の水車発電機を明治27年に京都の蹴上発電所に納めたのも、なにかのご縁なのかなと思います。

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