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新・落語スズメvol.31

『ナマメカケ』

文/松田 一成

本来の営業形態は居酒屋なのだろう。コロナ禍で方向転換を余儀なくさせられたにわか定食屋にはアルコールの残滓がチラホラ。ビールジョッキを抱えたお嬢さんのピンナップがアタシのほうを微笑んでいた。無理無理と心の中でご辞退して、腹に何をいれるかと壁に貼ってある短冊をちらり。『トリ生』。はっ?『トリ生』。サントリー生ビール?鳥の刺身?下の句が続いていた『妾焼き』『メカケヤキ???』、『生メカケ』?ここまで想像をめぐらしたところで一人大笑い(黙食ならぬ黙笑)。『とり生姜焼』。姜と妾の勘違い、老眼のなせる業と、シチュエーションの思い込みでした。話はここから。生のメカケ焼で一人大笑いしたアタシのセンスは、はたして今の世間様が許して下さるのかという話。落語の世界では、今の価値観ではなかなか厳しい表現が多い。顔かたちを笑ったり(井戸の茶碗、清兵衛を表すくだり)、仲間外れを作ったり(ちりとてちん、伊勢屋の若旦那)、職業の貴賤、女郎噺は数多い。与太郎さんが出てくるのは落語の原風景ですらある。倫理とは別にして、落語にはすべての存在を肯定する大衆の価値観があるからこそ、日本で永らえていると思っていたのだが…。最近の世間様の不寛容さがどうも気になります。その不寛容さ(ヒステリックな正義)が落語に気が付いたらと思うと気が気ではない。戦中の噺塚のように(思想が真逆なのかな)高座に掛けることが出来ない噺を葬ったり、芸能自体が否定されかねないような。実際、大きい箱(会場)では、こんなマクラはふれない(お察しください)と配慮する噺家も。先のピンナップガールに勧められた生妾焼きの件だって不謹慎だと糾弾されるかもしれない。そんな話を友人にしたら、ヒステリックな正義は想像力の欠如がもっぱらだ。そんな人間は、業を肯定するような落語になんか興味をもたないから相手にする必要はない(ここでも新たな不寛容)と。ごもっとも。みなさん、もう少し優しい世間様をつくりましょう(笑)。

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