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久留米文学散歩 vol.99

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第十三回

田中家のお姫様達 文/江﨑久美子

三月は、お雛様祭りの季節。田中家の文書には、中々女性の名前は出てきませんが、その中で分かっている人物と言えば、吉政の母竹がいます。その他に名前は不明ですが、吉政の娘達の、宮廷書記官の大外記中原師廉の正室になった女性、田中家三奉行の宮川讃岐正室となった女性、同じく三奉行の磯野伯耆の息子大膳の正室になった女性、家臣草野熊之助正室、そして、忠政に嫁いできた久松院椿姫。

また、忠政の時代の田中家家臣知行割表には、筆頭に筑後守殿後家、妙寿院、慶福院、城島、北ムキ、朝妻、梅原、新庄、佐渡守後家と書かれています。宮川佐渡後家が娘だと分かりますが、それ以外は吉政との関係がよく分かりません。妙寿院は、後を継いだ忠政の母で、継室ではないかと言われています。柳川の寺にまつわる逸話に出てくる慶福院は、忠政の伯母、或いは吉政の叔母だとされます。吉政の叔母だとすると父重政の妹。或いは弟に嫁いできたか。忠政の伯母だとすると、吉政の姉で、誰かに嫁ぎ、または、吉政の兄に嫁ぎ後家となって筑後まで来たことになります。

吉政の故郷で、歴史を調べておられた湯次行孝住職の書かれた「国友鉄砲の歴史」には、「かの慶福門院が…」との一説があるのですが、この言葉が示すものは位の高さです。その伯母さんが、とっても位の高い方だった。しかし、「吉政の母慶福院」との文字もあり、謎は増すばかり。

近衛前久の姉で、一五二六年生まれの花屋玉栄という人が、同じ慶福院というらしいのです。もし、この人なら、吉政より年上で、田中家に嫁いだとなると、忠政の伯母で、吉政の兄に嫁いで後家となり筑後に居た事があった。もし、この人なら、秀吉に源氏物語を読み聞かせた話があり面白いですね。残った逸話などから紐解くには、まだまだ史料が足りませんが、益々、謎を解く楽しみが広がります。

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