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久留米文学散歩 vol.96

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第十回
筑後国大運河計画 文/江﨑久美子

吉政の時代に開削したり、元々あった小さい川やため池を繋げて造られたとされる運河は、花宗川、山ノ井川、塩塚川、太田川、二ツ川、中ノ井川と、大昔からあったような自然な形で存在し、今も筑後国の田畑を潤しています。
吉政は、秀吉の命で、伏見の湿地帯を埋め立て整備して川や川湊を造り、伏見城周りの工事をする普請奉行たちを束ねる総監督職でした。三河国岡崎城下でも、災害で荒廃した矢作川の工事を監修しました。
運河を開鑿する他に井堰を整えたと言われる広川は、広川町から城島城まで流れ、城島城の堀の役目をしました。同じように、八女市にあった福島城には、中ノ井川と花宗川、柳川本城には、沖の端川と二ツ川、塩塚川が、堀の役目と堀割を満たすための水流となったのです。
そして、吉政公は、ついに満を持して筑後国で大運河計画を思いつくのです。
その計画は、巨瀬川が筑後川に流れ込むその場所から始まり、高良山の麓を回り込み、久留米、三潴を通り、今度は、沖端川から運河を引いていた塩塚川と結び、沖端川と交差する形で、塩塚川を大きく作り直し、有明海に注ぐという壮大なものでした。
それが完成すれば、有明海から大船が行き来して、筑後国の交通、流通は、すごい発展を遂げたでしょう。このことは、国土交通省のホームページにも紹介されている程です。
残念なことに、吉政公が亡くなることで、その計画は実現されませんでしたが、そのような計画があったことだけでもとても驚きますね。関ケ原の戦の功績で、家康からどこが良いかと尋ねられて、筑後国を選んだと言われていますが、吉政公には、この国を豊かにするぞという意気込みと、今までの経験から来る自信があったに違いありません。
その時の吉政公の目には、豊かな水に恵まれた、日本のベネチアと言えるような筑後国の風景が写っていたことでしょう。

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