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久留米文学散歩 vol.38

漱石の草枕と筑後川⑫
文/増原 達也

13章に「・・・舟は筏に縁をつけたように底が平たい・・・」と云う処があります。春畦の家から筑後川に出て「舟」に乗るのですが、それが「筏に枡を乗せ」たものであった様です。その筏は久留米に着くとそのまま蓆帆で登ったり、分解して馬の背で返したそうです。
蓆帆の早瀬を上る霰かな(漱石)
この筏舟で下ったようです。川はこの筑後川だけでなく、白川も存ると云う意見も出そうですが、「白川」には鏡子の「自殺未遂」と云う「思い出」がありますから、彼はこの明治39年に草枕を執筆する際は避けています。それと彼の句の数を覧ましても30年と32年に比べて31年は可成り少ないようです。
柳散り柳散りつつ細る恋(漱石)
と云うのが31年にあります。周知の如く「柳」は中国では「愛人」の代名詞的なものです。参考までですが彼の発句を並べてみますと、但し昭和62年頃で締めての事ですが、
明治30年 二八二句
明治31年 一〇二句
明治32年 三三〇句となり、これ以後も各地で彼の句は発見されていますので、数は増えているはずです。中村是公の援助で「満韓ところどころ」を書いた際にも満韓でも発句していますので、数は前記よりは多くなっています。この昭和63年の時点では俳句二四三一句程で、漢詩は二八〇首程となっています。この漢詩は大正5年が一番多いようです。(七八首となっています。)扨飛び飛びになりましたが、明治39年に「草枕」を執筆した際は彼の気持ち及び経済的な見通しは相当充実、そして脱稿するまでは「夫婦間」も円満であった事が文章から感じられます。どちらかと云えば「猫」以外は彼の文章は暗く重く感じられるのですが、これにはそれがありません。「雲雀」の鳴き声は波長が短く決して心良いものではないのですが、それを彼は空間の大きさを読者に起こさせ、心良いものにしています。だから私は何度読んでも何処から読んでも飽きません。   終

次号から連載「自得とその時代」が始まります。

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