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久留米文学散歩vol.14 夏目漱石編(13)

文・絵/増原 達也

※次号からは、檀一雄編に入ります。

bungaku-201402-1.jpg 是公がロンドンで漱石の処に何日居たかは遺っていませんが、多分9月だったとおもいますが、

「漱石発狂説」

が流布され、直ぐに帰国命令が出ています。彼は永日小品には、明治35年12月5日英国を出の如く書き遺していますが、実際は同年11月7日に英国を出発しています。

bungaku-201402-2.jpg 処が彼は帰国命令が出た後に「スコットランド」に約10日の旅行をしています。一説では英国の知人に招待された事になっていますが、残念だが当時英国にそんな友人は居ませんでした。そこで推察出来るのが、是公の資金提供です。同35年3月に是公が漱石に逢った際、余りにも、また精神状態も不安定になっていた為、台湾に帰国後、文部省に「漱石発狂」の電報を入れると共に、亦このままでは本当に彼は発狂しかねないと思ったのでしょう。是公も東大出身の高級官僚でもあった為、文部省にも「ツテ」は多く存ったと思われます。だから文部省は即座に対応、漱石に帰国命令を出しています。勿論、帰国にあたっての費用は国が負担するようですが、英国最後の旅行費用までは含みません。それでは何処から出たかと云えば是公しかありません。これと同様な事が「満韓ところどころ」です。

スコットランドの「ピトロクリ」と云う渓谷に行っています。この時の事を彼は「永日小品」で「昔」と云う題で文章にしています。何でもこれは朝日新聞に一回分のエッセイとして当時掲載されたようです。余談ですが彼が英国滞在中、領事館(日本)の仕事をした事があります。それが4ポンド4シリングだったそうで、当時の邦貨では50円相当だったようですから、彼が日本から支給されるのが月にすると壱百五拾円程です。当時としては彼は助かったようです。そして帰国するのですがその時の身形は英国一流の物だったそうです。これも是公のおかげだったのでしょう。今回はこれで筆を置きます。

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