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新・落語スズメ Archive

新・落語スズメvol.39

『落語と蕎麦の会』

文/松田 一成

しばらく休止していた会が、コロナの間隙を縫っての再開。小躍りで福岡市天神の真ん真ん中、大名2丁目にある『松楠居(しょうなんきょ)』さんを訪れた。これはもう、見事なロケーション。天神西通りをすぐ脇に入って、まあ、こんなところに、こんな建物が。戦災を逃れた昭和11年に建てられた木造建築の民家、一階に蕎麦屋、二階のイベントホールが今回の会場。イベントホールと言っても立派な畳敷きのお座敷で定員20名。程なく予約で満席になった模様。上方3人会、本日のトリ(主任)は愛を語るジャイアンこと桂梅團治師。お弟子さんの小梅(実子)さんと、食虫植物栽培が趣味の森乃石松師を連れての、令和元年度文化庁芸術祭賞(大衆芸能部門)優秀賞受賞記念凱旋落語会。夜7時開演、天気予報になかった大雨とともに雷まで鳴り出し、波乱の番組となりましたが、小梅さんの達者ぶり(おごろもち盗人)と石松師の不思議なフラ(兵庫船)からつながれた梅團治師、登場人物全員善人『井戸の茶碗』を見事な刈込ぶりで粋筋なお客様方を満足させての軽めの終演。これには理由がございます。この後、一階のお蕎麦屋さんに居残。さすがに、一堂を会してというわけにはいきませんでしたが、個々テーブルが用意され、作り込んだお弁当と、もちろん蕎麦湯も、上品なせいろ蕎麦にお銚子一本。頗る贅沢に、耳も口も幸せな一時を過ごさせていただきました。まあ、欲を言えばお銚子もう一本、いやもう二本。もう少し世の中が戻るまで我慢して待ってましょうね。

追伸 浪曲、浪花節の会やります。11月27日午後2時より久留米シティプラザCボックス。出演、玉川奈々福。曲師、沢村美舟。

前売り3,500円、当日4,000円。

久留米で落語の会090(2511)5371松田。

ポスターチラシのデザインは佐賀出身の現代美術家、塚本猪一郎氏。

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新・落語スズメvol.38

『博多活弁パラダイス』

文/松田 一成

活弁をご存知か。正式には活動写真弁士。無声映画(活動写真)を上映の傍ら、その内容を解説する専任の解説者とのこと。講談、落語といった、話芸と相通じるところもあるのかも。芸談に徳川夢声やその弟子、牧野周一(またその弟子だと、牧伸二やポール牧)なんかで朧げな記憶。もちろん、生で見たこともなく。そんな活弁を盛り上げようと昨年から活動しているのが『博多活弁パラダイス』。今回、その第三回目に駆け付けた。主催のK氏は某全国紙の現役記者。ありとあらゆる映像がネットと共に簡単に共有できるこの時代、ひたすらに話芸の、そのライブの魅力を公私ともに発信している。今回の活弁ライブチラシから~(活弁は)「既に失われた文化」、あるいは「昔を懐かしむ古い良き芸能」、なーんて思ってらっしゃる方が多いのではないでしょうか?とんでもない!活弁は現代を生きるライブの芸です。映像と弁士、そして楽士の生演奏とのセッションが生み出す最高のライブパフォーマンスです~熱のこもったチラシにあてられて初めて参加しました。弁士『坂本頼光(さかもとらいこう)』。会場には大きなスクリーン。その横に演台とマイク。舞台下手から、若々しい体を、ゴシック調の少し大げさな燕尾服で包んで登場。少し高い、鼻をくぐらせたような声は、本人も気が付ているのか、音源で聞いた名人古今亭志ん朝師の若い頃を思いだす。活弁の簡単な説明とともに、自身のエピソードに触れながら無声映画の世界へ。1本目1928年制作「喧嘩安兵衛」あの阪妻が主演!2本目1928年制作「雷電」マキノ雅弘が役者としてご出演。3本目1935年制作アニメーション「一寸法師ちび助物語」。シネ漫談『居島一平』、中入を挟んで、4本目1924年制作「キートンの探偵学入門」以上4作品、終演時間を大幅に超えての大熱演。百年近く昔の話も、現代の感覚の言葉が乗ると、新しい芸能として大満足。主催者K氏おっしゃるように、最高のライブパフォーマンス。次回12月も楽しみにしております。

*次回12月16日19時開演、福岡市美術館ミュージアムホール。『~片岡一郎見参!!忠臣蔵の世界~』弁士片岡一郎、ゲスト春日太一

新・落語スズメvol.37

『博覧強記』

文/松田 一成

出会いは、旧日本兵姿の男と、鉢巻を締めたもんぺ姿の女が並んで写っていた写真。20年ほど前、その芸人の結婚報告の写真。今は亡きミリオン出版から刊行されていたサブカル系雑誌『GON!』の1ページを飾ったものだったと思う。『大本営八俵』、ずいぶん偏った芸名だが、ご想像通り、なかなか世間には出にくい、いや、まず無理であろう芸風。浴衣姿に革靴、頭には大日本帝国陸軍の略帽、ご丁寧に帽垂の代わりにタオルが仕込んである。趣味の悪いサングラスから、キャッチフレーズは「戦後生まれの傷痍軍人」。登場するや否や、まず、参加者全員(そう、お客様も)による大日本帝国万歳の三唱。もちろん手のひらは内側に。その後は圧倒的な知識を持って世相へのアジテーション。カルト芸人のくくりかと思えばさもあらず。またの名を『居島一平(おりしまいっぺい)』。テレビ向けには、米粒写経の片割れとして、ブルースブラザースのジョンベルーシよろしく黒いスーツに、こちらは白ネクタイ。シネ漫談というそうだが、最近は『佐分利信クイズ』に大笑い。佐分利信が出演している映画のワンシーンを声帯模写で表現し、どの映画の、どの場面か当てさせるのだが、これがまるっきりチンプンカンプン。もともと口調のはっきりしない佐分利信のモノマネに加え、会場のほとんどは佐分利信が何者かわかっていない。それがひとしきりネタが進むと、参加者、そう、観客ではなく参加者になってしまうのだが、全員が佐分利信マニアになってしまうという恐ろしい漫談だ。『大本営八俵』も『居島一平』も本質は変わらない。客を扇動するプロパガンダ芸。前置きが随分長くなったが、その『大本営八俵』と『居島一平』が来月福岡で続けてみられる。9月25日『大本営八俵の福岡非常呼集』翌26日『博多活弁パラダイス』。いずれも福岡市美術館ミュージアムホール。おすすめです。

新・落語スズメvol.36

『山田五十鈴から

クラフトワークまで』

文/松田 一成

東京に憧れた理由は、原宿のピテカントロプスに行ってみたかったのと、映画で見た吾妻橋のたもとのビアホールで風にあたってみたかったから。残念ながらアタシが東京で学生生活を送る頃にはそのどちらも無くなっていましたが。(代わりに西麻布のレッドシューズと、銀座ライオンでアタシは自分を慰めていたと思う。)その吾妻橋のビアホールが出てくる映画の話。『の・ようなもの』。1981年森田芳光監督作品。森田自身が日芸(日本大学芸術学部)の落研出身ということが関係あるのかないのか、真打を目指す若手落語家達の青春群像物語。主役はこの作品がデビュー作の伊藤克信。栃木訛りの二つ目落語家を演じているがその伊藤の語りがいい。恋人役の秋吉久美子や好きになった女子高生由美との掛け合いが訥々と続くのだが、ロマンスというより、何をしているんだろうという自分自身を俯瞰している様子がたまらなくおかしい。伊藤は(劇中では志ん魚[とと])女子高生の親に怒られ、仕方なく夜中長い距離を歩いて帰る羽目になるのだが、その歩いて帰っていく道すがらを口に出して描写していく。その、落語でいう道中付けのシーンがせつない。言葉の選び方と伊藤の口調が、調子のいい江戸言葉であるはずの落語とは違った美しさを想像させる。その道中付けのなかに、件の吾妻橋のビアホールが出てくるのだ。あの時代を知っている世代には、現代版(とはいっても40年前の)東京恋慕帳か(笑)尾藤イサオの歌と、先代柳朝のカメオ出演も見逃せません。この夏、外に出られない貴兄に是非。

新・落語スズメvol.35

『落語教育委員会inくるめ』

文/松田 一成

上記の件、ギリギリとなりましたが、開催が決定しました。久留米シティプラザ『久留米座』8月26日木曜日午後7時開演。出演は三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎、三遊亭兼好。今を時めく3人が、新作落語に古典落語、おまけにコントまでやってみようという贅沢な会。ご縁があり初回からお手伝いさせて頂いていますが、ホントに楽しい落語会です。17、8年程前に勉強会として歌武蔵、喬太郎、柳家喜多八師が始めた三人会、喜多八師が平成28年に亡くなられてから兼好師が参加され、今に続いています。ここ久留米で初めての開催は、喜多八師がご存命の頃、ちょうど台風の上陸と重なり、開催か中止かと気をもんだ覚えが。この時の久留米の話は、喬太郎師が喜多八兄さんとの思い出でとして寄席で話されているとお聞きしました。何でもお忙しい三人はそろってカラオケに行ったのはこの久留米での夜が最初で最後だったらしく、柳之宮喜多八殿下(学習院出身なので仲間内からこう呼ばれていました)の昭和歌謡メドレーは魂を揺さぶったとかそうでないとか。もともとは市内某グリルのハンバーグを食べたいがために開催が続いているこの会。昨年はコロナ禍でやむなく中止となりましたが、今年は対策万全でお客様をお迎えしたいと関係者奮闘しております。前売4,000円全席自由、7月1日より、チケットぴあ(Pコード507-198)、石橋文化センタープレイガイド、石橋文化センター情報サテライト(久留米シティプラザ2階 総合受付前)他で発売開始です。ぜひぜひ皆様のご来場お待ちしております!

追伸 この会の特徴でもある3人によるコントは、番組の冒頭部分に組んでおります。当日ご観覧の際は、是非とも開演時間に間に合うようお越しくださいませ。

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新・落語スズメvol.34

『そろい踏み』

文/松田 一成

落語協会会長、柳亭市馬師、落語芸術協会会長、春風亭昇太師のツーショット、両横に後見、人気者小遊三師と一之輔師。何事かと驚きを感じて見入ってしまった。『寄席の危機に想いを寄せて・江戸から続く落語・寄席文化存続にご支援を。一般社団法人落語協会・公益社団法人落語芸術協会』、報道などでご存知の方も多いだろう。寄席の存続のために寄付を募るそうだ。いい関係とはいえない両団体が手を組むというのだから、相当の覚悟をもっての行動だろう。一之輔師が答えている。『寄付を募ったり、クラウドファンディングというのは、多分落語家とか、噺家とか、“粋”とかね、そういうものをモットーとしている人間からすると、外部の人から見れば「野暮なことをしているな」と思う方もいるかもしれませんが、コロナに粋は通じないんだなと思いましたので。ぜひ、どうか一つ、野暮を承知で、我々もやると思います。若手を代表して、皆さんにぜひ、ご協力、寄席でまた落語を楽しく聞いていただきたいので、ぜひ何とぞよろしくお願いいたします。』〜我々もやると思います~と他人事風に笑ってしまったが、寄席の為にひと肌脱ごうという話。かっこいいじゃありませんか。落語中興の祖『三遊亭円朝』の墓前祭は一緒にやれなくても、自分たちを育ててくれた寄席は助けたい。野暮でも何でもありません、いいはなしです。興味のある方は是非ご協力を。

追伸 一週間経たずして目標の5000万円は軽くクリア、世の中粋な人が多いものです。

新・落語スズメvol.33

『ライブにて』

文/松田 一成

文/松田 一成 福岡に制限が出るちょっと前、コロナ禍になって初めて、マニアックに愛しているロック歌手のライブに出掛けた。親と子ほど年は離れているのだが、愛しているのだから仕方ない。福岡まで来てくれるのだからと、少し緊張して会場に。ロゴスでもブードゥーラウンジでもなく、雑居ビルの貸ホール。入場にスマホのQRコードを読み込ませるところから始まった。扇形に間隔をとって椅子を並べ、要の部分に、白い箱を積み上げた畳2枚分程のステージ。すぐ後ろには、空気の入れ替えの為、カーテンの引かれていない大きな窓から天神の夜景が見える。ロックバンドなのにドラムもベースもないギター一本だけのソロライブ。開催すること自体、非難されることかもしれない、アタシも客の一人として椅子に腰を掛け会場を見回して、コロナ禍に配慮したこの空間に考え込んでしまった。アタシはまだいい、表現者であるアナタはどうなんだと。ロック歌手であるアナタはこんな屈辱的な制限を受けた中、何を伝えたいのかと。結局、開演中、客は一度も大声を上げることなく、一人も椅子から立ち上がることなく、静かに終わった。ただアタシは思い違いをしていました。中途半端なライブになるであろうとする最初の予感は、そのロック歌手の登場とともにすべてが吹き飛んだ。この時間を共有できることの喜びに比べれば、そんな制限なんて苦行でも何でもない。自分の欲求は抑えきれない、自分の思いは伝えたい、でも迷惑はかけられないという客と演者の真摯な思いが、静かなライブだからこそ余計伝わったかもしれないなと。あまりこんな経験はしたくないけど。

追伸 そんななか浅草演芸ホールのお知らせが洒落てます。東京都から「無観客開催」の要請があったことに対し、「『社会生活の維持に必要なものを除く』という文言があり、大衆娯楽である『寄席』は、この『社会生活の維持に必要なもの』に該当するという判断から、4月25日以降も通常通り営業することといたしました」と。エンターテーメント、かくあるべし。

新・落語スズメvol.32

『春はあけぼの
  (26回目は立川談笑)』
文/松田 一成

一年延期の会、六五郎橋を越えての『立川談笑独演会』へ。平日の夜ということもあり、都合で行けるかどうか微妙。構えていたら、おっとどっこい、人数制限もあり、昨年お買い求め頂いていたチケットのみ入場可能とのこと。当日券の販売はなし。そんな時に限ってぽっかり時間が空くのです。談笑落語、久しぶりの再会が今度はこちらが再度延期か。そんな話をしていたら、持つべきものは落語仲間、余分に買っていた一枚を融通して頂きました。深謝。偶然の同月同日の15年前はサザンクス筑後、立川談志、談笑の親子会。アタシの中では特別の会、談志渾身の『芝浜』の会だった。そんな談志さんが連れてきた(その当時真打なりたて)談笑師は随分可愛がられていたふうで、落語立川流のなかでも異例の出世、二つ目最短記録を持っていたような。サザンクス筑後では談志さんに譲ったが、今回は独演会、さあ何をと期待を持って桟敷に滑り込む。「お席亭から談志師匠の話をとのリクエストがあった」「普段は意識して全くやらない」との前置きの後、出るは出るは、マニアにはたまらない談志エピソードの数々。長生きも芸のうち(歴史は最後に生き残った者が作るとういうことかな(笑))というのはこういうことなのねと腹をかかえた。談志さんと『ライ坊(ライオンのぬいぐるみ)』との愛の日々(毎晩一緒に寝ていたらしい)には、どこか憎めなかった談志さんの理由がわかったような。そんなこんなで、マクラだけで1時間35分!客席納得の高座延長。一席目『時そば』。二席目、三代目金馬「居酒屋」オマージュ『イラサリマケー』。異文化交流とはこうあるべきとの指南。実はあまりに時間が伸びたので、仲入中もそのまま高座でお客様とおしゃべり。談志のDNAは芸だけでなく、このサービス精神もだなと、緞帳を下ろさず、お客様を見送っていた談志さんの姿を思い出す会となりました。

新・落語スズメvol.31

『ナマメカケ』

文/松田 一成

本来の営業形態は居酒屋なのだろう。コロナ禍で方向転換を余儀なくさせられたにわか定食屋にはアルコールの残滓がチラホラ。ビールジョッキを抱えたお嬢さんのピンナップがアタシのほうを微笑んでいた。無理無理と心の中でご辞退して、腹に何をいれるかと壁に貼ってある短冊をちらり。『トリ生』。はっ?『トリ生』。サントリー生ビール?鳥の刺身?下の句が続いていた『妾焼き』『メカケヤキ???』、『生メカケ』?ここまで想像をめぐらしたところで一人大笑い(黙食ならぬ黙笑)。『とり生姜焼』。姜と妾の勘違い、老眼のなせる業と、シチュエーションの思い込みでした。話はここから。生のメカケ焼で一人大笑いしたアタシのセンスは、はたして今の世間様が許して下さるのかという話。落語の世界では、今の価値観ではなかなか厳しい表現が多い。顔かたちを笑ったり(井戸の茶碗、清兵衛を表すくだり)、仲間外れを作ったり(ちりとてちん、伊勢屋の若旦那)、職業の貴賤、女郎噺は数多い。与太郎さんが出てくるのは落語の原風景ですらある。倫理とは別にして、落語にはすべての存在を肯定する大衆の価値観があるからこそ、日本で永らえていると思っていたのだが…。最近の世間様の不寛容さがどうも気になります。その不寛容さ(ヒステリックな正義)が落語に気が付いたらと思うと気が気ではない。戦中の噺塚のように(思想が真逆なのかな)高座に掛けることが出来ない噺を葬ったり、芸能自体が否定されかねないような。実際、大きい箱(会場)では、こんなマクラはふれない(お察しください)と配慮する噺家も。先のピンナップガールに勧められた生妾焼きの件だって不謹慎だと糾弾されるかもしれない。そんな話を友人にしたら、ヒステリックな正義は想像力の欠如がもっぱらだ。そんな人間は、業を肯定するような落語になんか興味をもたないから相手にする必要はない(ここでも新たな不寛容)と。ごもっとも。みなさん、もう少し優しい世間様をつくりましょう(笑)。

新・落語スズメvol.30

『人が寄れない』

文/松田 一成

仕事柄、会議の予定が結構入っていて、そのほとんどが、zoomという仕組みを使ったネット会議に変更されている。zoom?ネット会議?簡単に言えば、モニター(パソコンやスマホ)の向こうに参加者全員の顔が映っていて、やりとりをする、大掛かりなテレビ電話みたいなものだ。最初の一・二回は、その仕組みが面白くて、会議内容とは別の興味をもって参加していたが、だんだんとその緊張感のなさに飽きてきた。特に参加者が多い場合、相手の顔は見えるのだが、表情から感情を推察するほど精細には映っていない。声もちゃんと聞こえるのだが、生の声のような空気の震えまでは伝わってこない。双方向で無ければ、報告だけのネット会議は紙ベースとなんら変わらないくらいの情報量なのではないかとさえ思ってしまう。何なら、紙ベースの方が自分の都合(時間)で情報を得ることができるので、よっぽど便利だ。コロナ禍の収束が見えないなか、落語もネットを使うことが前提のアドバンテージを見つけなければならない時代になっているのではという話。前置きが長くてすみません。先月号でもお知らせしたが、お手伝いしている落語会をネットで無料配信している。一義的には皆さんにその会、演者を知ってもらう広告のような役割を考えていた。そこから、コロナ禍が明ければ、興味を持たれた方に実際に落語会に足を運んで頂き、それを演者の生業につなげようかと。もちろん、ネットの配信だけで収益を上げている演者も一部いらっしゃる。だが大多数はそこだけで稼げるようにはなっていないし、それはホントの落語を伝えきっていないと。舞台で行ってる芸を、そのままネット配信しても、新たな価値(3,000円を対価としたネット配信での落語)は生まれていないのではないかと、皆、うすうす感じている。無料で配信しているものに3,000円を払って見に来るお客様を満足させる「コロナ前提の、生業として成り立つネット配信落語会の内容」を考える。先の会議にヒントを得ようと思うが、なかなかいいアイデアが思いつかない。落語でなくなるのか、落語がなくなるのか。そこまで考えなければならないのかという恐怖が襲っている。

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