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くるめ-コラム

むすんで、ひらいて!! vol.96

「楽しく遊びながらの教育」202205-wakaba.jpg

一般財団法人田中教育研究所

幼児心理カウンセラー特別認定 第107001号

西日本わかばスクール  野田鏡子

チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)インターネット上の「子ども学」研究所というものがあります。

保育・幼児教育、アジアの子ども達のより良い成育のために各国の多分野の専門家、実践者、保護者を一堂に会し、様々な立場から子どもを取り巻く諸問題について議論することで、解決の糸口を探っていきたい。という想いで発足されました。

名誉理事長に小林登氏(医学博士、東京大学名誉教授)、理事長に榊原洋一氏(医学博士、お茶の水女子大学名誉教授)。私も昔から学ばせていただいている方々です。

今回は、その榊原氏の講演『遊びと学びの子ども学』の内容から『Playful Pedagogy(楽しく遊びながら教育)』についてお伝えしたいと思います。

脳科学の研究では、子どもの成長は、子どもが抱く感情に大きく左右される可能性があることを示唆しています。楽しさや喜びなどのポジティブな感情を多く感じる環境にある子どもほど、発達が早く、学習内容を身につけやすい傾向が見られるようです。そのため、たとえ多くのことを学べるような遊びを保護者が用意したとしても、子どもの感情が考慮されなければ有効ではありません。逆に、自由に遊ばせれば、子どもは楽しさを感じるに違いありませんが、保護者が関わらないため、遊びが必ずしも学びに結び付くとは限りません。

遊びながら教育することを実現するための方法として榊原氏は【ガイドされた遊び】というものを紹介されています。

これは、幼児教育の方法を「直接教示(大人の指導に子どもが従う)」と「自由遊び」の2つに大別した時、この2つの中間に位置付けられる教育法です。子どもの主体性を尊重しながら保育者が自ら環境を整え、子どもが自然に持っている好奇心や探求心を刺激するよう目的を設定し、遊具(教材なども)を選び与える、ことを重視します。保護者は子どもの学ぶ環境を整えつつ、あくまでも子どもが主体的に参加し、活用できるよう促すことに務めます。

少し難しい表現ですが子どもにとって遊びは学びです。しかし、ただ、自由に遊ばせるだけでなく、何か目的を持って導くことが大切です。

夢中になって遊んでいる時、子どもはワクワク、ドキドキし楽しんでいます。そこに知恵が育ち、知識を吸収していき幅広い視野が育まれます。

子どもが何か興味を持ったら、一緒に調べたり教えたりして楽しみながら導いてあげてください。きっと好奇心のある素敵な子に育ちますよ。

歯は健康のバロメーター vol.60 〜落合先生のお口のお話し〜

歯は萌出してから強くなります

おちあい小児歯科医院 院長 落合 聡

歯の萌出は、個人差はあるものの乳歯はこどもがまだお母さんのおなかの中にいるときから形成が始まり、だいたい生まれて8か月前後に下の前歯から萌出して、2歳6か月くらいにまでにはすべての乳歯が姿をみせ、3歳くらいで上下の歯が完全に咬み合うようになることが一般的です。

口の中に萌出してきた歯は白く、硬く、きれいな状態ですが、実は歯というものは、萌出したその時点ではまだ十分に完成していません。ヒトが酸素を吸って二酸化炭素を出すように、生え始めたばかりの歯も唾液中のカルシウム、リン、マグネシウムやフッ素を取り込み、炭酸イオンを排出してだんだん成熟して完成していきます。これを「歯の萌出後成熟」といいます。

その期間は大体2〜3年くらい続きますので、歯が生え始めてから乳歯がすべて萌出して咬み合うようになる3歳までの期間にほぼ一致します。ですから、3歳くらいまでの食生活において、砂糖を大量に食べる、つまり甘いお菓子の多い食生活をしていると、歯の成熟よりもむし歯の原因菌といわれるミュータンス連鎖球菌が砂糖を利用して作り出す酸によって歯が溶けて、歯が完全にできあがっていないためにむし歯が急速に進んでしまうことになります。

むし歯の予防方法には様々な考え方や方法がありますが、基本的なこととして、むし歯の予防には3歳までの食生活がどうであるかが重要です。砂糖を過剰に摂取しない、つまり砂糖の多い甘いお菓子は3歳を過ぎてから楽しむ方がいい、という意識を大切にしましょう。

「就労支援せんたーまんまる」。支援員活動の記録 その16

ひきこもりの中から、自分を見つめ直し、
社会に貢献できる人に。そんな活動をしている

支援員Cさんの活動記録
利用者Dくんとの思い出

支援員として活躍してくれているDくん。Dくんは7・8年の引きこもり生活を経て利用者として登録。CさんのDくんに対する最初の印象は「手ごわい…」。当時は就労支援を始めたばかりでもあり悩んだ。Dくんのことを知るために、また、彼自身の考えを深めるために、色んなことを問いかけ続けた。手ごわいと感じた通り、Dくん自身の考えとわれわれが大事にしていることとのギャップに沢山ぶつかった。Dくんの人生の為にも切り捨てたり逃げたりできないので、周囲のスタッフに相談しながらとことん受け容れ関わった。また、Dくんが働き始めた当初は給料を全部お菓子につぎ込んだり自分のことにしか使っていなかった。自分を大切にする事、周りに支えられて生かされている事を伝え、自分の人生をどうしたいか、何を目指していきたいかと問い続けていく中で、生活費を家に渡すように。

何年ものやりとりの末、仕事に対する姿勢も変わり、マネジメントの考え方を軸足に物事を考えすり合わせが出来るようになった。

そしてある日、Dくんから卒業しておなか元氣で就職したいとの意思を伝えられた。

嬉しい気持ちにあふれていたが、利用者から社員へのステップは初めてで不安もあった。そこからまた目標に向けてやり取りを深め、周囲のサポートのおかげもあり社員として迎え入れることが出来た。

他の利用者の前でこれまでの体験で得た事などを話をしてもらったが、刺激を受け新しいチャレンジを試みる利用者も多数いた。

人が育つ風土を作る

社長はじめ周りの支援員や利用者との関りのおかげで、利用者がいてくれるおかげで全体の中での役割を考えながらチャレンジをさせて頂く機会をもらえた。上手くいかなかったこともミーティングや勉強会で共有しながら自分自身でしっかり振り返ることで成長の機会として生かしていくという経験を積ませて頂いた。

今後は責任のある仕事を任せる人、自己実現を実現できる人を育てていきたい。

とは言え、まだまだ自分自身が出来ていると思っていることがズレていることもよくあるので、周囲へのやりとりを怠らず丁寧に日々新たに自己実現の道を歩んでいきたい。

久留米文学散歩 vol.113

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第二十七回

中村五郎兵衛信行伝 文/江﨑久美子

田中吉政は、筑後国に入って、戦国時代の荒廃した村々や田畑をどのようにしたら復興できるか深く考えました。そんな時代の、久留米城から福島城の間の藤山の街道沿いに繰り広げられたお話、「中村五郎兵衛信行伝」があります。これは、広川郷土史研究家佐々木氏が、広川町の歴史をまとめた「日吉温故録」の中にあり、中村家の子孫からの伝記を収載されたものです。

五郎兵衛信行は、元は黒木の猫尾城主黒木氏の家臣で北大渕の領地を持ち、戦国時代の落城から、浪人となり藤山に住み着きました。年は四十五歳。妻と子と田畑を耕し静かに暮らしていたその時、高札を見つけます。それには、「岡野勘三郎という盗賊が、手下三十人を従えて暴れまわり、身包み剥いで盗人、挙句に人殺しで世の中を騒がせている。撃ち取った者は、望みの物をなんでもつかわす」とありました。彼は、望みなど何もありませんでしたが、これは人々の為にやらねばならないと、すぐさま家に戻り薙刀を手に陣笠をかぶり戦姿で馬を走らせました。そして、現れるという街道で待ち伏せをして勇敢に戦い、ついに撃ち取りました。そして、その首を吉政の居る柳川城へ持参したのです。田中吉政がその望みを尋ねると、何も要らないと言って家老の宮川や皆を困らせました。しかし、彼は、「二人の殿には仕えられぬが、この国に住む限りは殿に恩義があるので、毎年の元旦に登城し、殿に新年のご挨拶を致します」と言って立ち去りました。それから、彼の登城は毎年続き、藤山村の庄屋を担ったそうです。没後彼の亡骸は息子たちの手で遺言通り村の山頂に埋葬され、後にそこが志賀大明神となりました。その小高い場所に立ち、昔あった街道辺りを見渡せば、その物語の様子が目に浮かぶようでした。今月末、この話を題材にした演劇が中村文平氏の脚本により広川町で上演されます。

※詳細は15pからご確認ください。

『珈琲屋ほど素敵な商売はない』vol.6

(There’s No Business Like Show Business)

写真と文 安達 和宏

大川店のあるヴィラベルディでは、毎月第2・第4日曜日に地元のプロ音楽家による演奏会を開催しています。その名も“ヴィラベルディ コンサート” ! そもそもこの企画を持ち込んで頂いたのが、写真のサックス奏者:深町宏さん。音楽で地元を活性化/元気付けようと言うコンセプトで筑後地区の数カ所で音楽イベントを仕掛けられています。彼曰く『音楽の地産地消!』とは上手くいったものです。私が頻繁に放つオヤジギャグには1mmも反応しない深町さんは、なんと私と同い年…道は違えど笑いの嗜好は違えど^^

こうやって地元を盛り上げようという想いで繋った出会いに「珈琲屋やってて良かったなぁ〜」とつくづく思う瞬間なのでした。私もいつかBilly Joelの Just the way you areをセッション出来るように毎朝のPIANOリハビリ続けたいと思います。

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LOVEFM 76.1Mhz  トップオブザモーニング
「あだち珈琲の一期一杯」月末金曜 9:20〜 放送中

香茶店〝香り不思議発見〟 Vol.139

 5月8日は母の日です。母の日の定番の贈り物といえばカーネーションですが、最近ではお菓子や実用品など、お花以外のものを贈られる方も増えているそうです。確かに、毎年の贈り物ですから何を贈ろうか悩んでしまいますよね。そこで、天年堂から、香りの贈り物のご提案です。

いつも忙しいお母さんこそ、ちょっとした癒しや息抜きはほしいものです。家事の合間に、朝のひと時に、夜寝る前に……。上品な花の香りやさわやかな果物の香り、心落ち着く香木の香りをお母さんと一緒に楽しんでもよいかもしれません。もしくは、母の日参りとして亡くなられたお母様に想いを馳せ、感謝の思いとともにお香の香りをお供えされてはいかがでしょうか?

【母の日のプレゼントにどうぞ】

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①花 短寸/ミニ寸…2,640円(税込)
ラベンダー・薔薇・すみれ・百合の4種類のお線香を詰め合わせました。パッケージもかわいらしく、プレゼントにぴったりです。
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②花風 カーネーション…
バラ詰 1,650円(税込)/ミニ 770円(税込)
母の日の定番・カーネーションのお線香です。ナチュラルな優しい香りをお楽しみください。

高良川縁起 その16

『30年後の豊かな海を子ども達へ』

文/高良川 ほとり

桜がおわり、有明海でエツがあがりはじめました。もうすこしすると産卵のために筑後川を遡上して上流でもエツが取れ始める時期です。いまは筑後川大堰があるのでそれより上流にはなかなかあがっていけんのですが、昔はもうちょっと上まであがっていきよったそうです。

先日、百年公園んにきを散歩しよったらどでかい流木の展示に気づきました。くるめうすの脇んにきです。なんでも昭和28年の筑後川大水害のとき、日田から久留米まで流されたものとのこと。樹齢200年といわれる巨大な根っこ、これが流されてきたのかと思うと想像を絶する濁流だったんでしょうね。

筑後川大堰は1984年5月の完成。多目的堰・河口堰に分類され総貯水量550万立法メートル,総延長501メートルを誇ります。流域が長年悩まされてきた洪水を治め、有明海の干満にともなう塩水逆流を防止して農業用水や灌漑用水の涵養し、さらに当時水不足が深刻化していた福岡市などへの都市用水の供給確保と、実に多面的な機能を持ちました。

ただ、堰ができますといいことばかりではありません。前号で話題にしました日田の木流しは昭和28年の夜明ダムの完成をもちまして終了しました。また有明海の漁業にも少なからず影響を与えたことでしょう。近年の有明海も諫早湾干拓事業に伴い、少なくない影響がでております。東京湾や瀬戸内海の再生では、根本的な対策を実施してから30年程度かかったとのこと。温暖化という新たな問題も発生しており、昔に戻せばヨシ!とはいきません。ですが今一度、海と山の関係を見直し、30年後に豊かな海を子供、孫たちにのこしていきたいものです。

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筑後川を遡上するエツ

新・落語スズメvol.44

『台所おさんさん』

文/松田 一成

予定していた落語会が急遽中止となり、久留米に放り出された噺家二人と、打ち上げではない、ただの飲み会となった。場所は日吉神社の斜交いにある豚バラがとてもチャーミングなお店。以前久留米のハンバーグにはまっている師匠の話を書いたが、今回のお二人も最初から店は御指名でした。話の中心は、そのうちのお一人、台所おさん(だいどころおさん)師。ご近所柳川市のご出身。福岡大学を卒業後(体育会系の野球部に在籍)、思うところがあって役者を目指し上京。そこでまた思うところがあって、平成14年、落語界のプリンス柳家花緑師匠に入門。この時、師匠花緑よりおさん師の方が年上。もちろん、花緑師、初めての弟子がこのおさん師である。ままあって、前座『柳家花ごめ』、二つ目で『台所鬼〆(だいどころおにしめ)』。鬼〆を名乗ったときには、伝説の名跡(?)復活と、柳家一門、一部落語マニアのなかで大騒ぎとなりました(落語雑誌で特集が組まれる程!)。平成28年春『台所おさん』で真打昇進、ご本人曰く、物(煮しめ)から人(おさんどん)へ進化とのこと。この名前、先代小さん(人間国宝、花緑師のおじいちゃん)が大変気に入って、天狗連(素人落語家)から譲り受けたとかで、柳家に入門者があればこの『台所おさん』を必ず勧めたらしい。しかしながら、小さんの生前、この愛らしい名前を選ぶ弟子は現れず、伝説の名跡といいながら、結局、目の前のおさん師が初代。そのおさん師初高座の日に五代目小さんは息を引き取ったという、実は柳家の秘密兵器ではないかとの噂。同じ年頃の気安さからか、おさん師の「秘密のまま、世間に知られず噺家生命が終わりそうだ」で大笑い。酒がすすんだ。当のおさん師は件の豚バラ以上に、ゆでて炙る久留米の豚足を気に入ったようで、次回も是非と、落語会のことはすっかり忘れて飲んでいた(笑)いやいや、次回は是非、久留米の皆様にも落語でそのフラをお伝えください。

高良川縁起 その15

『道でもあった筑後川』

文/高良川 ほとり

寒さもぐっとゆるみ、桜の時期を迎えております。浅井の一本桜、うきは市の流川の桜並木もいいですよねえ。

さて、筑後川は「川」であると同時にまた「道」でもありました。玖珠や遠くは津江から切り出した木を筏に組んで流しておりました。その始まりは江戸時代の天和年間といいますから、三百五十年ほど前。山から切り出した材木を、馬で引いたり一本づつ川に流したりして日田でいったん集約します。親方ごとにある「浜」と呼ばれる集積場で、カズラを使い長さ二間、幅一間ほどの筏に組み、これを注文に応じて筑後川河口域の大川や佐賀の材木商まで届けたそう。

日田から浮羽の荒瀬までが「中乗り」、そこから筑後川河口までが「下行き」と大きく分かれます。水量も少なく浅瀬も多い「中乗り」は難しく、一枚の筏を二人がかりで下っていくこともあったんだとか。対して「下行き」は水流が穏やかになりますので、筏を四組セットにして一人で下っていきます。久留米から下流の感潮域にはいりますと潮の満ち引きを読みながら下っていくので、筏をあやつる棹の長さも違い、また潮にあわせて夜中に暗闇の中を下っていったりと、中乗りとはまた違った難しさがあったようです。

また、川の水量や天候が一定なわけではありません。ので、中乗り一日、下行き二日というのが大まかな目安ではありますが、状況に応じて泊まりながら下っていきました。川沿いには船宿、筏宿がありまして、いまでも地名に「恵蘇宿」などと残っております。

川が運んでいくのは材木だけではありません。鉄道ができるまでは、ちょっとした荷物があるときには荒瀬まで馬で運び、そこから船で大川まで送ったそうです。九重の硫黄なども軍需品として下っていったことでしょう。

夜明ダムの完成とともに終えた筏流しの歴史。いまでは道路が発達して大川から日田まで二時間ほどのご時世ですが、当時はもっとゆったりとした時間が流れていたのでしょうか。

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いかだ流し(大川)

新・落語スズメvol.43

『共演 深津絵里』

文/松田 一成

女優の深津絵里さん、朝の連ドラでお顔なじみもあろうかと思いながら、やはりアタシ達オッサン世代にはJR東海の『クリスマスエクスプレス』ショートカットの美少女振りが、山下達郎の音楽(全国のユキエちゃんはこの歌を聞くとドキドキするそうだ〜今夜ユキエとかわるだろう~)とともに強烈な印象として残っているような。その深津絵里さんが33年ぶりにJR東海のCMに復活。今回はその話。といっても、深津絵里さんの話ではない。CMをご覧になられていない方のために、かいつまんで状況を説明すれば、新幹線で同僚(部下?)と大阪出張の深津絵里さん。取引先との打ち合わせが終わり、会社から出て、ふと振りかえると、マスクを外して手を振る打合せ先の社員二人。深津絵里さんもマスクを取って手を振りかえす、コロナ禍での心温まるドラマ。ロングヘアーも中々素敵です。問題はその打合せ先の社員を演じる二人のうちのグレーのスーツを着た方。映っているのは時間にして2.5秒ほどだろうか。別れ際のシーン、ぎこちなーく、耳を尖らかせて手を振っている、眼鏡を外したノビタ君のようなその男こそ、第21回NHK新人演芸大賞、第47回芸術祭新人賞受賞、地元うきは市出身の笑福亭風喬師。それ誰?との突っ込みが入りそうですが、喋りが商売の噺家稼業、この師匠、実はお芝居の方も結構達者です。舞台では山本陽子さんと旅回り、次は元宝ジェンヌと共演との噂も。NHK朝の連ドラでは、『べっぴんさん』に始まり、『まんぷく』『おちょやん』『カムカムエブリバディ』となかなかのバイプレイヤー。問題は、極端に出演シーンが短いこと。タイトルバックにちゃんと名前も出るのに、どのシーン?ということも度々。地元のうきは市からは、師匠の出番が気になって、話に集中できないとのクレームもあったとか。とはいえ、テレビに出るというのは今でも芸人としてステータス。何より、落語会に来て下さったお客様へのお土産に。噺家誰だった?と尋ねられて、名前は忘れても、「深津絵里ちゃんのCMに出てた人」。ちょくちょく久留米にもいらして下さるので、その際は是非『深津絵里ちゃんのCMに出てた人』見に来てください。

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