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くるめ-コラム

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.130

“2015年 ブルンジ COE審査会にて”adachi3.jpg

写真と文 安達  和宏

2015年の8月、ブルンジCOEの審査会の一コマです。表彰式など歓迎のプログラムの一つとして伝統的な舞踊をご披露頂きました。彼らが狩猟部族であることを示してくれる、飛んだり跳ねたり躍動的な動きと太鼓の音は私たちの鼓動まで響いてきます。エチオピア、ケニア、ルワンダ、ブルンジなど東アフリカのコーヒーはフルーツ感豊かな味わいが特長です。当店でもブルンジの豆は、シングルオリジン(ブレンドしていないストレート豆)でも販売していますが、エスプレッソブレンドなど比較的に焙煎度合も深めでコクのあるブレンドにも入っています。しっかりとしたコクをベースにフルーツ感や華やかな香りのアクセントを加えることで、エスプレッソにもミルクを入れたカプチーノなどにも魅力的な味わいを与えてくれるのです。豆をご購入の方にサービスで出しているカプチーノ、躍動感溢れるブルンジのその香味もお楽しみください。

久留米文学散歩 vol.87

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第一回

物語の始まりの如く

文/江崎久美子

初めまして。生まれも育ちも福岡県八女市、福島城下白壁の町家で陶芸カフェをしています。縁あって、田中吉政という江戸時代のお殿様の史談会理事の一人になりました。

遠い昔、私たちの筑後地域は、筑後国と呼ばれていました。

天正十五(一五八七)年、豊臣秀吉が九州を平定し国分けをした時、筑後国が四つに分けられ、毛利秀包が久留米七万五千石、筑紫広門が山下一万八千石、立花宗茂が柳川十三万二千二百石、高橋直次が江浦一万八千石を拝領しました。

秀吉が亡くなり、慶長六(一六〇〇)年、関ケ原の戦がおこり、西軍の主宰石田三成を捕えた功績を徳川家康に認められ、筑後一国三十二万五千石の国主となったのが田中吉政です。

田中吉政のフルネームは、初代筑後国主田中橘朝臣吉政、官位は従四位下筑後守、兵部大輔です。天正十八(一五四八)年、近江国(現滋賀県)生まれです。橘は、公家の姓で、藤原氏、橘氏、源氏、平氏が公家の代表として「藤橘源平」と呼ばれたりします。

田中家は、後の世継ぎ問題が起こり二代目の忠政で一旦終焉してしまい、長男と三男の家系が、田中家として再興し旗本(中央官僚)、養子の家系は彦根藩士として続きます。

田中家が去った元和六(一六二〇)年の筑後国は、また三つに分けられ、有馬豊氏久留米二十一万石、立花宗茂柳川十万石、高橋種次三池一万石に。それで、後にも先にも、筑後国主という官職は吉政親子だけなので、初代筑後国主だということになります。

吉政の生涯は、謎に包まれていて、その謎多き武将がゆえ、テレビや映画などの物語に、登場させるのに作家が躊躇し出さなく、より表に出てこない現実となっています。

それで、その謎と真実を少しずつ、分かりやすくお伝えしていこうと思います。あなたの俗説は合っていますか?福岡県南部が、一つの国だったころのお話、そして、吉政が、そこまで来た戦国時代のエピソードの数々、江戸時代までの歴史の旅へご案内します。-つづく-

※今月号から新連載「田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ」が始まります。

くるめ食素材探検 vol.77

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早春のほろ苦い味覚「ふきのとう」編

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

春の季語にもなっている「ふきのとう」その名前の通り、ふきのとうが咲いたあとは伸びてきて、春から初夏にかけての食材「ふき」となります。どちらも春の季節を表現する、山菜として日本料理には欠かせない食材ですね。

正確にいいますと、地上に出ているのは花芽と葉の部分。茎の部分は地中に伸びています。ふきはその地下茎からでてきた葉の柄の部分なんですね。同じ時期にでてくる土筆を思い浮かべていただければ想像しやすいのではないでしょうか。みょうがと同じく日陰気味で湿気の多い所を好むようです。

ふきのとうは、根本の切り口がすぐに黒く変色してしまいます。これは鮮度が落ちて黒くなっている訳ではなく、様々なポリフェノール類が豊富に含まれているからだと言われています。あの独特の苦みもポリフェノール類に由来します。

主な苦み成分は二種類、アルカノイドは肝機能を強くしてくれて、体の新陳代謝を促進する作用があります。また、ケンフェールは動脈硬化、アレルギー症状などの原因となる活性酸素や発ガン性物質を抑える効果があるんだそうです。「良薬口に苦し」とはよくいったもんですね。

選ぶコツは全体に締まりがあってつぼみがまだ硬く閉じているもの。好みにもよりますが、大きくなり過ぎた物は苦味も強すぎるように思います。大きいのしかなかったなあ、というときは軽くゆでてから水にさらしてアク抜きをするといいのですが、香りも失われてしまうので要注意。また、油で炒めると苦味はかなり少なくなります。フキ味噌なんかにするといいんじゃないでしょうか。

新・落語スズメvol.19

『BとK』

文/松田 一成

コロナですよ。軒並み中止、延期の報が続いてますが、くるめすたいるさん主催3月7日『立川生志独演会』石橋文化センター小ホールも延期となりました。こういった時、本当に弱い。いかに娯楽や芸能、もっと平たく言えば文化が、世の中の余裕で生かされているかを気付かされます。8年ぶり2度目。先日の落語会、空き時間があったので噺家さんからタバコの吸える喫茶店とのリクエスト。昭和から続く洒落た雰囲気をいたく気に入られ思わず長居。久留米は残ってます。2、3軒思い当たるそんな店の話をしていたら、じゃあ、夜の部もということに。あけぼのアーケードから脇に入って鮨屋の先、ちょっと降りるような感じでそのバーに入った。今でも緊張する佇まい。初めて連れて行ってもらった時は、すっかり時間の止まっているような空間に、久留米で飲んでいることを忘れたことを思い出した。50年以上変わらない内装は、壁一面に飾られた様々なウイスキーボトル。長めのカウンターと、恐ろしく座り心地のいいソファーのある中2階の構成は、その当時一番流行っていた店を参考に作ってもらったと伺った。師匠も一瞬で気に入ったようで、バーにまつわる飛び切りの話(御出演、古今亭志ん朝師匠)をして下さった。貸し切りの状態で結構グラスを重ねたように思う。唐突に「帰っていいから。」と言われ、『まさかのママ狙い』と下らない想像を笑いながら先に店を出た。ロマンチストな師匠は店の時間と空間を独占したかったのだろう。「久留米はいいね。ありがとう。」別れ際に言われた言葉がとても嬉しかった。

むすんで、ひらいて!! vol.70

「お母さんの気持ち」wakaba6.jpg

幼児心理カウンセラー  野田 鏡子

男性と同じように学び、働き、社会的に評価され余暇を楽しむ。そういう生活をして来て、結婚、妊娠を境に生活は一変します。

仕事をしている人は突然子どもが熱を出し保育園に迎えに行かなくてはならず、職場の方に迷惑をかけながら早退、家に帰れば家事、子どもの世話、のんびりする暇などありません。

専業主婦は一日中赤ちゃんと二人の生活で人との会話もほとんどなく、世話や家事に追われる日々。どちらも母親になるとそれまでの生活とは一変してしまいます。

(あんふぁんの会「密室育児からの解放」より)

「朝起きたとたん、あ~また今日も家事と育児の繰り返しの一日が始まるか~そう思うと空しくなった。おむつを替える、食事を作る、お皿を洗う、洗濯をする、毎日三回も四回も五回も、何も残らない、誰にも感謝されない、非生産的な肉体労働、風邪を引きっぱなしで気分がブルーだったせいか、あ~あと毎日ため息ばかり、そりゃあ外で働く方がどんなにいいだろう。働いただけの給料をもらい時間がくればそこで終わり。日曜日はゆっくり休み、何といってもしっかりやれば充実感が生れる。知らなかった!母親業がこんなに大変な仕事だなんて」

子育てをしている母親はみんな一度は思うことでしょう。

私はもう子育ては終わりました。今思うことは子どもを産み育てられたことは最高の幸せだったということです。次々に心配事、悩みはありますが、子どもの存在の有難さを感じながら育てるときっと優しい気持ちになると思います。みんな、お母さん方、頑張っています。時々こっそり自分にご褒美を!!

歯は健康のバロメーター vol.35

〜落合先生のお口のお話し〜

歯が生える時期2

生まれた赤ちゃんに歯が生えているとき

おちあい小児歯科医院 院長 落合 聡

生まれたとき、あるいは生まれてすぐに萌出してくる歯を先天性歯ということを前回お話ししました。それでは生まれた時すでに生えている出産歯と生まれて1か月以内に萌出してくる新生歯では、どのような違いがあるのか、今回はこの点についてお話ししましょう。

出産歯は多くの場合、歯の土台となる歯根がほとんどできていないにもかかわらず頭の部分である歯冠が萌出している状態になっています。つまり、土台のない白い塊が歯肉の上に乗っている、あるいは付着している、という状況です。ですから、赤ちゃんが授乳しようとして舌を前に出すたびに、歯が前の方に押されて、さらにぐらぐらになっていきます。そのまま抜けて口の外に押し出されてしまったりすることもありますが、多くの場合、抜けそうで抜けない、という状況になり、飲み込んでしまうのではないかと心配になることがあります。このような状態になったら、この歯が将来的にしっかりと歯根ができて十分な機能を果たすことは期待できません。また、あまりぐらぐらにならない場合には、今度は授乳の際にお母さんの乳首に歯が当たり、乳首に傷がついてかなりの痛み(赤ちゃんでもかまれたら痛いです!)を伴う炎症を起こしてしまう原因となることがあります。さらに出産歯は、十分に出来上がっていないうちに萌出してきていますから、歯冠の部分の形成不全も強く、どんどんすり減って形も整わないことになることが多いようです。

したがって、出産歯の場合は、抜歯した方がいい、という判断になることが多くなります。それでは生まれてから1か月以内に萌出してくる新生歯はどうでしょうか?次回は新生歯についてお話ししましょう。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.129

“2019年 コロンビア COE審査会adachi2.jpg

アルメニア/キンディオ”

写真と文 安達  和宏

2019年の3月、コロンビアCOEの審査会の一コマです。審査会もその方法や理論的な事など毎回(毎年)アップデートされていて新たな発見や勉強になります。そんな中、今回はこのカッピンググラスの形状が違ってました。今までは陶器の湯呑型で口径が広いものが多かったのですが、今回は背の高いコップ型が使われました。容量は殆ど変わらないと思いますが、攪拌(ブレーク)の時は普段より小さい動きになりますし、時間経過してからの液体と粉との対流などその関係にも影響あるようです。この様に、毎年新たな取り組みと検証が進み、美味しいコーヒーづくりにフィードバックされています。今年は未だどこの国の審査会へ行くか決まってませんが、今から楽しみです。

香茶店〝香り不思議発見〟 Vol.112

節分立春、春の香りに誘われて!tennendou2.jpg

〜季節の変わり目手軽にお香で邪気払い〜

香star

2月3日は節分、そして4日は立春!もう暦の上では春到来。久留米では、梅林寺の梅、筑後川の菜の花、耳納のくるめ椿、つつじと次から次と春爛漫と咲き誇ります。ちなみに瀬ノ下町にある全国総本宮 水天宮の神紋は椿。境内には代表的な18種類の椿があり、これから4月頃までその優美な風姿花を魅せます。そして水天宮に祀られている安徳天皇にまつわる「水天宮恋物語」というお菓子もでき境内の椿の名前を冠したお菓子が市内の和菓子屋さんでつくられています。

春の気分を香りに変えて、水天宮、筑後川を散策してみませんか!

和バニラの香〈久留米産バニラ使用〉

コーン&スティック…各1,320円

うず巻き香〈お気に入りの化粧箱入り〉…1,100円

白檀、落ち着いた香り、華やかな香り、

甘く優雅な香りの4種類。

香合・香炉…1,000円〜

梅 香皿…550円 匂い袋 極品…715円

匂い袋 今様…大 2,200円 、小 1,650円

※価格はすべて税込

くるめ食素材探検 vol.76

花が咲く前は食べられます。chikugogawa.jpg

高良川の河川敷はいまが見ごろ「菜の花」編

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

今年はぬっかですねー。雪をみらんまま春になりそうです。ふきのとうやらつくしやら、もうでとるげな。先日、左義長で高良川の河川敷にいきましたら菜の花が咲いて蝶々がとんどりました。 

菜花は、コマツナやハクサイ、チンゲンサイなどのアブラナ科の花の総称です。アブラナ科の野菜は、だいたい若いうちの葉を食べますが、収穫せずにそのまま育てると、菜花となって食用となり、最後は花がさいて種を残します。この種を搾ったのが連載第三回でご紹介した「なたね」油です。

スーパーなどで売られている菜花は、のらぼうな、かきな、ジャバ菜など、茎や葉っぱが柔らかく苦味が少ない品種です。独特のほろ苦さをいかして、生やおひたしでも美味しくいただけますが、豚肉やベーコン、ごまなど、油脂分があって香りの強いものとの相性も抜群です。茎の部分もアスパラみたいで美味しいですよ。

江戸中期に「闍婆(ジャバ)菜」という名で幕府がこの種を配付したことで飢饉から民が救われたとの記録が残っているんだそうです。なんだかすごい名前ですが、インドネシアのジャワを経由してきたオランダ船が持ち込んだとの説が。西洋野菜の多くは明治の開国以後に広まったものが大勢を占めますが、ジャバ菜は開国以前に渡来した不思議な洋菜なのです。寒い中でもよく育ち、肥料をしっかりやると一メートル近くまで育つジャバ菜。葉がしおれやすいので長距離輸送、広域流通には向かない野菜ですが、おみかけの際にはぜひ。

久留米文学散歩 vol.86

怪火⑫

文/増原 達也

紙面の都合上、話を大きく飛ばさせて頂きます。その街に私が来たのは、その街が昭和28年の大水害で大きな被害を出して二〜三年後だったと思います。何故その街に来たのかと云いますと、「牛に引かれて善光寺参り」と云った具合だったのです。何故なら小唄で、「捕吏に捕えられ引かれて行く者」と辞典には解説しているからです。只、一寸違うのは私の場合は「捕吏や警察官」ではなく、女人に連れられて来たのです。いや尻を追いかけて来たのかも知れません。当時、世の中は「戦後から本格的に復興」をしようとする時期でもあったのですが、それが大水害でその街は出端を挫かれた様なものでした。当時街の中央に位置していたデパートには水害二〜三年後であるにも拘わらずその入口には水害の水痕が二メートル近くの位置に「クッキリ」と残っていました。何故私がデパートに行ったかと申しますと、その五階だか六階建のビルの屋上が遊技場となっており、その一角に「アーチェリー」の遊び場が存ったのです。当時大都会では、各処ですでに「アーチェリー」の遊び場は存った様ですが、その街はそこ一ツだけでした。それでも御客さんは少なくデパート側も本気で「アーチェリー」の遊び場に金を掛ける事はしていなかった様でした。それでも私は根気良く通ったものでした。そんなある時、所用で20日ばかり行かれなくなり、20日過ぎて行った時には、すでに外の遊び場に衣更えされていました。そして何れ位の日数だったか忘れましたが、地方の大手百貨店に衣更えをしていました。が間もなく「大店法」が国会を通過、大型スーパーが、その店を囲む様に三〜四店舗出来たのと人間の交通形態が、徐々に変化、最初は二〜三%の売上減を見せていたものが、人の営業努力とかの古来の商慣例ではどうにもならなくなり、遂に準大手もその街から引き揚げざるを得なくなったのです。その土地の上が三度目の大きな変化をせざるを得なくなってゆきました。その街を通過する都市電車の乗降客も集客努力に拘わらず毎年二〜三%ずつは減っていた様です。 -おわり-

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