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くるめ-コラム

くるめ食素材探検 vol.60

ゆず胡椒でおなじみ、だけでなく風習にも

深く根付いたかんきつ「ゆず」編

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

ゆず、で検索すると音楽のほうばかりでてきてこまっちゃう「ゆず」ですが、それだけ馴染み深いんでしょうね。ちなみに、覚えやすいから、という理由でバンド名を決めたそうで。そのとき食べていたのが「ゆずシャーベット」ほかにもゆべしや柚子胡椒、ゆずポンなど冬のお料理には欠かせない名わき役ですね。

日本に入ってきたのはいつのころかはっきりしませんが、唐の時代に遣唐使が持ち帰ったとする説があります。飛鳥時代・奈良時代には栽培していたという歴史書があるので、そのあたりでしょうか。成長が遅いことでも知られ、「桃栗3年柿8年、ユズの大馬鹿18年」などと成句にもなっています。このため、種子から育てることはせず、「接ぎ木」により数年で栽培することが多いようです。

秋口には完熟して黄色くなってくるゆず。果実は俳句においては秋の季語です。「ゆずの花」は夏の季語になります。また、柚子湯は冬の季語、と四季を通じて楽しませてくれる柑橘なんですね。「ゆず湯に入れば風邪を引かない」といわれ、冬至に柚子を浮かべた湯舟に入浴する習慣があります。ゆず湯には血液の流れを良くする血行促進効果があり、風邪の予防だけではなく、冷え性や神経痛、腰痛などを和らげる効果があるんだそうです。暮れも押し迫った12月下旬、いろいろとせわしい中ゆずの香りにほっとしますよね。

ただ、柚子湯の習慣は銭湯の登場以後のこと。一説に湯治(とうじ)と冬至(とうじ)との語呂合わせで、身体息災であれば融通(ゆうずう)が利くとのこじつけ・・・ダジャレかいっ!

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新・落語スズメvol.2

「六角堂広場にて、

幕末太陽傳〜居残り佐平治〜」

文/松田 一成

シャツ一枚ではちょっと寒かった晩「まちなか角打ちバル&まちなかシネマ」に初参戦。シティプラザ六角堂広場(屋根はある!)で月に2度ほど行われているそれぞれのイベントが、今回は敬老の日特集ということで同日開催、日本酒(先日の福岡県酒類鑑評会で最高位をとった蔵元のお酒でした。ラッキー)を飲みながら、落語の登場人物が舞台の映画鑑賞となりました。平日開演18時ということで、遣り繰り算段、ご同輩二人とテーブルを確保、至福の夜の始まり始まり。今回上映された映画は1957年日活『幕末太陽傳』、落語「居残り」の主人公佐平治を演じるフランキー堺の活躍を中心に物語は展開。勤王の獅子高杉晋作に石原裕次郎、久坂玄瑞に小林旭、気弱な若い衆喜助には岡田真澄(美男子です!)。遊郭で働くやりて婆ァは先日亡くなられた菅井きんさんの姿。それはあとからあとから名優、怪優のオンパレード。60年前、リアルタイムで見た方には素直に嫉妬を感じます。圧巻は、オッサンのハートを鷲摑み、フランキーを巡る美女二人、花魁役の左幸子と南田洋子(当時27歳と24歳!)。お客相手の手練手管が居残り稼業(無銭宿泊)のフランキーには通じない。そこには花魁としてのプライドもちらほら。三両惜しさに結婚をちらつかせる(起請文、結婚約束手形)南田の色目は、コメディエンヌとしての才能を見抜いた監督川島雄三のセンスか。実際に吉原にあった遊郭「相模屋」をスタジオに作り上げたそうで、前述美女二人の階段を使っての喧嘩シーンは、見てるこっちが痛くなるような迫力でありました。酔いも回ったところでエンドロール。次行く店を考えながら、思いました。幕末太陽傳とうたいながら主役が裕次郎でなかった壮大なシャレは、当時の太陽族への皮肉なのかなと。それとも製作費獲得のための監督の詭弁か。結局これを最後に川島は日活を退社したそう。映画の結末と相俟って(フランキー堺が泣かせます)、空になった一合枡に吹く秋風は、切ない余韻がお似合いでありました。

久留米文学散歩 vol.70

夏目漱石と熊本そして久留米⑧

文/増原 達也

扨、この「草枕」を小説として出版する切掛けを作ったのは「本多嘯月」と云う春陽堂の社員であった様です。と云うのは彼が会社に通う道筋に漱石宅が存り、その前を通って電停に行くのが通勤の道筋だった様で、その時分は、既に漱石は有名人となっており、雑誌「新小説」もある程度軌道に乗った頃だった様です。そんな事で本多氏は日露戦争(明治37年〜同38年)も終りこれが、これからの日本文壇にどの様な影響を及ぼすかとか、雑誌「新小説」にはどの様な影響が存るかを漱石に伺いに行ったと云うか通勤途中の道筋でもあるので彼は立ち寄ったと云うのです。丁度その日は漱石宅は畳替えをしており、家の中をうろうろしながら、それでも漱石は心良く応じてくれた、と本多氏は書き遺しています。漱石の機嫌も良かったのでしょうが、この本多と云う人もその日が初めてではなく、それ迄に通勤途中、何度も漱石には逢っており彼が漱石から好感をもたれていた事は察せられます。それにこれ迄も、1〜2の作品を春陽で出版してもいます。そして「草枕」執筆の承諾を得るのですが、1週間で上梓するから、その間は来るな、と漱石から云われており、彼は七日目の朝に漱石宅に出掛けたと云うのです。すると10行20字詰め原稿ニ百枚が出来上がっていたのです。本多氏は一日の遅れもなく上梓した健筆には敬服したと書き遺しています。それが、「草枕」です。この頃の事を漱石の妻女鏡子も彼が机に向かうと印刷でもする様に次々に原稿用紙が上がっていたと「漱石の思い出」の中に遺しています。それに訂正もなかったと伝えられています。これには小天への思いが強かった事、即ち「那美」さんの思い出の強さを表現しているとも云え、亦経済的な余裕が裏付けされているからでしょう。この頃の作品を列記してみると「吾輩は猫である」(ホトトギス)に連載。「倫敦塔」(帝国文学)、「カーライル博物館」(学塔)、「幻影の盾」(ホトトギス)、「琴のそら音」(七人)、「一夜」(中央公園)に、そして明治39年になって「趣味の遺伝」(帝国文学)と云った具合で経済的にも可成り余裕が出来ていた事を物語っています。

香茶店〝香り不思議発見〟 Vol.96

秋の夜長はろうそくの灯りで!

香star

その昔、電気がなかった時代の生活はそもそもどうだったのか?昼ならまだしも。夜は暗闇というものが存在していたはずだ。

能楽、狂言、歌舞伎と伝統芸能の世界では灯りは闇を照らす演出のひとつでもあり、人を引き寄せる道具でもあったはず。能面・衣装、歌舞伎の隈取りや化粧は電気のない時代の表情を作る道具でもあったのだ。作家の谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」には、光と陰の微妙な移ろい、障子に映るろうそくの光を日本の美と讃えた。

やがて日本は全国津々浦々省エネタイプのLED照明の光になってしまう。せめて秋の夜長には電気の灯りではなく名月の下、自然の灯りを燈し、ゆっくり音楽聞く時間つくってみませんか?但し、くれぐれも火元にはご用心を!

天年堂のおすすめ!

ろうそく等伯3号(7本入)

…2,268円(税込)

米のめぐみろうそく1号(20本入)

…1,080円(税込)

キャンドル・あんみつ

どらやき・コーヒー

…各734円(税込)

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水の音土の音

香皿シリーズ

500円〜

好評開催中!

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コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.113

“2015年 ボリビア カラナヴィ”

写真と文 安達  和宏

先月に続き、2015年9月に訪問したボリビアでの一コマです。

荒れた山の斜面にコーヒーの樹を植え、収穫が出来るようになるまで根気の要る仕事。ペドロさんのこれらの土地が持つポテンシアル=潜在力と可能性を信じ取り組む情熱には凄みすら感じます。そしてそして、私も身の回りにある潜在力に可能性に唆られるのです。まずは本店のある大川の街、店舗が入る商業施設ヴィラヴェルディです。『南欧の香りする街』がコンセプトのこのイタリア風の建物には中庭(パティオ)があり、イタリアから職人が来て敷き詰められたと言うモザイクが雰囲気を引き立てています。このパティオの心地良さを多くの人にも感じて頂きたい…この場所を活性化したいという一心で、パティオに面した空き店舗にカフェを作ることにしました。ポテンシアル…そんなペドロさんの想いを胸に10月下旬にはオープン予定ですので、お近くにお寄りの際は是非お立ち寄りください!

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歯は健康のバロメーター vol.18

〜落合先生のお口のお話し〜

「隣接面う蝕?目に見えない、痛みもない、その程度のむし歯をわざわざレントゲン撮影をしてまで見つけだす必要があるのでしょうか?」

おちあい小児歯科医院 院長 落合 聡

前回、目に見えない部分である歯と歯の間にできるむし歯、つまり隣接面う蝕に注意しましょう、というお話をしました。しかし、目に見えない、また痛みもない、そんな状態のむし歯をわざわざレントゲン撮影をしてまで見つけだす必要があるのでしょうか?というご質問を頂くことがあります。今回はこの点についてお話ししましょう。

熱いものに間違えてさわってしまったらその瞬間にやけどをするでしょうし、高いところから飛び降りたらその瞬間に骨折や打撲など大きなけがをすることもあるでしょう。しかし、むし歯についてはそれらと違って、一瞬の出来事で大きなむし歯ができることはありません。ある日ある時、大きなむし歯があることに気が付いた、ということはあるでしょう。しかし、これはその日に突然むし歯ができてしまったわけではなく、小さなむし歯が少しずつ大きくなって、ある日それに気が付いた、ということにすぎません。これがまさしく前回お話した隣接面う蝕です。

一般に、むし歯は小さければ小さいほど、間違いなく簡単に治療することができます。ご家庭で明らかにむし歯がある、とわかる程度の大きさのむし歯は、多くの場合、本格的な治療が必要な状態になっていることがほとんどですが、レントゲンを撮影してようやくむし歯があることがわかった、という場合には、もちろんすでに重症化していることもありますが、簡単な治療で治すことができたり、程度によっては薬物の塗布や予防の処置でその進行を遅らせることができることもしばしばあります。

したがって、レントゲン撮影でむし歯の有無を検査をする、ということは、決して「重箱の隅をつつく」ようなことではなく、より安心して毎日を過ごすため、できるだけ軽い治療で健康を取り戻すため、の有効な検査方法であるということをご理解頂きたいものです。

それでは、いずれ必ずはえかわることがわかっているのに、どうして乳歯のむし歯は治療しなければいけないのでしょうか?来月に続きます。

むすんで、ひらいて!! vol.53

「長年、子どもの指導を

して来て思うこと」

⑥子どもは自信を持たせることで伸びていきます。

一般財団法人田中教育研究所

幼児心理カウンセラー  野田 鏡子

3年前、台湾から発達診断(田中ビネー知能テスト個別式)を受けたいと来室された方がいらっしゃいました。

このテストは、個別で1歳から大人まで実施出来るもので、非常に正確にその子の発達がわかります。

台湾からこられた方は、小学校3年生の男の子、学校ではよく注意を受け叱られることが多く、保護者の方も心配し受けに来られました。

9歳の彼は、子どもの部分から13歳までの問題をほぼ全問合格し、私も30年以上この検査をしていてこれ程きちんと答えられる子どもは初めてでした。非常に高い知能です。

その検査結果を学校の方にも提供され、先生の子どもに対しての見方も変わったという連絡がありました。

その時、私は「型にはめないで、好きなことをのびのびとされていかれると必ず伸びていきます。」ということを伝えました。

あれから数検に興味を持ち、先日2級に合格し、現在は高3の数Ⅲを学んで六年生のうちに準一級を目標としているそうです。また成人級の知能テストも受けたいということでした。

小学生時代、子どもは大人に対して不信感を持ち、反抗的な態度になるものです。どんなに反抗的な言葉や態度をとっても暖かく包む愛情で接してあげれば、必ずそれに応えてくれるものです。

子どもは非常に敏感に人の愛情を感じます。ただ叱っても効果はないとつくづく思います。

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子どもの為の ひろしじいちゃんの 絵ごころ指南!! Vol.6

子どもの絵 六ツ門教室

主宰 杉山 洋

「屋根瓦の美」

久留米ユネスコ協会展で最高賞を受賞した小学六年生上田青永君の夏休みの宿題提出作品。

『村のお宮』の屋根瓦を題材に選んだところがすでに非凡。しかもそれを審査し、最高賞に選んだ審査員の眼も非凡。芸術家を自認して●●会とかいう洋画団体の会員に審査を任せていない主宰団体も非凡。審査員は小学校の美術担当だった元教師とか。画家ではない。教師だった。このユネスコ協会の叡智にほれ込んで、毎年我が塾生を応募させている。

こどもの絵は「芸術ではない」と言った恩師の坂本繁二郎の言葉をつくづく思わせる作品である。この作品には思春期間近の『芸術とはなんぞや』という気持ちがモヤモヤと現れ始めたころの作品である。つまり「こどもの美術教育」の最終段階の作品と言っていい。

恩師坂本繁二郎は大正デモクラシーの世相のなか「芸術自由協会」の参加会員となり、こどもの恵のありようについて、「こどもの絵は芸術ではない」という言葉を残している。

作者上田青永君は高校時代に、作家三島由紀夫に傾倒して慶応を出たはず。この作品を残した青年上田君の社会人としての人となりが推察される。画塾の主宰者にとってはこの上なくなつかしくうれしい作品である。

この作品で『蝋画』という作画技術を指導した。十年前の中学校の美術教科書には記載されていた技法だったが、いまそれも消えたようだ。

いま中学校での美術教育は明朝・ゴシックなどの文字の描法が殆ど。美術教育の時間も少なく不徹底。明朝のほかに宋朝という書体があること担当教師はご存じか。音楽もしかり。大の大人がすべて「可愛い」としか言語表現できない哀れさは、それらの教育現場に原因があるのではないか。この『瓦』の美に気づいた小学六年生の存在を懐かしむだけであってはあるまい。「中教審とやらの国家機関と芸術教育現場を相手に闘いを続けねば」と思っている。

201810-sugiyama.jpg◀【上田青永君 小六年作品】

くるめ食素材探検 vol.59

和のミックススパイス「七味とうがらし」編
文/靏久 格(産直や 蔵肆)
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やっと朝晩すずしくなってきました。今年はほんに暑かったですねえ。ということで先月に続いてまだまだ辛い話題をお届けいたします。

七味唐辛子は、徳川時代の1625(寛永2)年に江戸・両国にある薬研堀で発売されたのが始まりの、日本を代表するミックススパイスです。

薬研堀のからしや中島徳右衛門が店をひらいて売り出したところ江戸っ子にうけて広まり、同じころ関西では伏見のあたりで栽培されていた唐辛子を仕入れて売り出したのが京都清水の「七味家本舗」、また長野市善光寺の「八幡屋礒五郎」も老舗とされています。
七味の配合原料の基本的な組合せとなるのが、二辛五香(にしんごこう)といいますが、関東では唐辛子の割合が多く、関西では山椒などの香りが強いといった傾向があるんだとか。また、香りや辛さも違うそうなので、機会があれば味比べしてみたいものですね。この「二辛五香」は、辛さに特徴がある原料を二種類、香りを重視したものを五種類という意味です。基本のレシピは、赤唐辛子(生唐辛子、焼き唐辛子)、ごま、けしの実、青のり、麻の実、陳皮、山椒、しその実などの中から七種類をブレンドしたものです。そう、七味にはきまったレシピはなく、唐辛子を含め七つの素材が入っていれば「七味唐辛子」なんですね。輸出向け商品は白ごま、しょうがを入れたりしているんだとか。これは、輸出先によっては「麻の実」や「けしの実」が法律の規制の対象となるためなんだそう。

ちなみに、海外にも輸出されている七味、日本では「しちみとうがらし」と発音しますが、海外の方々にとっては、一味唐辛子(いちみとうがらし)と発音が混同するという事で、英語表記で「NANAMI TOGARASHI」となっております。ななみ・・・。

新・落語スズメvol.1

「噺家の名前といえば…」
文/松田 一成

噺家の名前といえば圓生、志ん生、文楽、小さん、正蔵に可楽。(そういえば可楽師のお嬢様が毎年大江戸のれん市で久留米にやってきていたのはご存知か。またそれは別の機会に。)また四天王と呼ばれた、志ん朝、柳朝、談志、圓楽。継がれた名前もあれば、大きすぎて誰も襲名できずにそのままになっている名跡も。その中で100年近く継ぐものが現れず、飛び切りの名跡といえば、あの御仁のお名前。ご存知、落語中興の祖、言文一致運動にも一役買った『三遊亭圓朝』。先月11日が命日でございました。安政2年(1855年)、師匠『圓生』の圓の字と、当時、江戸で売れに売れまくっていた新内語り『紫朝』の朝の一字をとって、『圓朝/エンチョウ』。噺家の名前に朝の一字が加わった始まりはここからではないかと。(アタシ調べ。亭号には「朝寝坊」が圓朝以前からありました。)気になりますね、その圓朝を魅了し、一字貰った紫朝という新内語り。〜富士松紫朝、本名は萬吉と称し、夙に明を失い盲人と為りて音楽を学ぶ。(中略)新内節と称する一派を開き、名声大に揚り、三條内府の邸に召され演奏を為すの栄を蒙りしことあり(中略)五十一歳の時久留米に帰りて多くの門人を教導せしが、明治三十五年陰暦正月二十二日七十六歳を以て没す。(中略)墓は寺町妙正寺に在り。(久留米市誌より)〜なんと、明治、大正、昭和、平成、綿々と現在まで続く源流がここ久留米にあったとは。噺家の名前、朝の一字は、久留米出身の新内語り『富士松紫朝』から『圓朝』へ。志ん朝、柳朝、そしてその柳朝の弟子小朝に(圓朝は小朝が継ぐという話も実しやかにありました)。芸どころ久留米の奥深さ発見。残念ながら上方の名跡『米朝』の朝は師匠米丸のお内儀さん、麻子からとったものだそうで(笑)

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