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くるめ-コラム

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.128

“2008年 ブラジル

ミナス・ジェライス クリスティーナ村”

写真と文 安達  和宏
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ブラジルの買い付けは世界一のコーヒー産地という肩書き抜きにして、他の産地以上に思いが入ってしまいます。中でも2002年ブラジルCOEで見事一位になった、アグアリンパ農園の訪問は一際印象に残りました。サンパウロから北東300km程にある湧水で有名なサンローレンソの街へ、そこから車で10分いつも買い付けするカルモデミナスへ、そこからまた10分ほどでクリスティーナ村に入ります。農園主のジョゼ・カルロスさんは柔和に話し始め、乾燥の様子や小屋に保管しているこの年収穫のパーチメント(乾燥させまだ殻が付いたままの生豆)を見せてくれました。その光景と何より広がる空の青さが私の心を鷲掴みにしました。このところご無沙汰してしまったクリスティーナ村、また出向きたいものです。

久留米文学散歩 vol.85

怪火⑪

文/増原 達也

この時代「木炭自動車」が主力だったのです。母方も「農地改革」(自動農創設特別措置法)で小作に出していたものが、この法律で前にも書いたとおり所有地(田圃)の四分の三を失った上に祖父の死で金銭的にも可成り苦しかった様です。その為か人に勧められて「木炭車」目当ての「炭焼き」すなわち「木炭製造」を創ったのです。併し男手がない為、当時戦地から帰ってこられた人を近所の人の紹介で雇っていた様です。最初の内は良かったのですが、長く続くと、まもなく、その人達(二人)に入金(集金)のあった現金を「ゴッソリ」持って行かれたとかで、これも長くは続かなかった様です。外にも二〜三、それと同じ様な事があり、相当経済的には苦境に入っていたと云われています。それでも戦争中から戦後に掛けて実家を頼ってきた方の(すなわち帰省していた)人数は10人以上に登った程だったのです。それも女と子供ばかりです。私達家族三人もそうですが、そんな時だったと想いますが。祖母が、「どんな事があっても、女が中心になって家を守らねば・・・・・・・」と帰省して来た人達に云ったとか、後日耳にした事があります。それにもう一ツは戦争に負けて、進駐軍が入って来ると同時に世の中が大きく変化すると噂が流れ、日本の婦女子が、どの様に扱われるか判らない時期でもあったのです。「時代が変わっても女のすることは一ツ家族を食べさせる事」と云ったとか。昭和20年の末頃から「ヤミ物資」が動くようになり、これを取締まる為に武装警官が列車等に乗り込んで来て「ヤミ米」等を列車内でも次々に摘発したのも当時の事です。社会主義経済「片山哲社会党首」(昭和22年6月1日)が首相に就いたこともあって物資の統制は一層激しくなった様です。それに米の配給に最初は一人一日当たり二合五勺だったのが日を追うと米はなくなり、代わりに「ジャガイモ」とか、「キザラ」の砂糖が米の代わりに配給になっていました。

むすんで、ひらいて!! vol.68

EQ(心の知能指数)

一般財団法人田中教育研究所

幼児心理カウンセラー  野田 鏡子
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2歳位の子どもは積木を高く積もうとします。壊れたらまた高く積もうと納得するまで何度も何度も挑戦します。自分で出来て初めて満足し、喜びを感じ、次の新たな興味に移りまた挑戦します。

積木に限られてはいませんが、この満足感を幼児期に十分経験させることが心を成長させる上でとても大切だと、私は感じました。

IQ(知能指数)が高くても、この心の成長がなければ、将来、伸びていかないようです。では、心の成長、心の知能指数とは、いったいどういうものなのでしょう。

心理学者MP人間科学研究所代表・榎木博明氏は、次のような構成要素に分けています。

『対自的能力』

①自分の感情や欲求に気づく能力

②自分の感情や欲求を

コントロールする能力

③自分を鼓舞し、やる気にさせる能力

④粘り強くものごとに取り組む能力

⑤物事を楽観的に受け止め

前向きになる能力

『対他的能力』

①人の気持ちに共感する能力

②人の立場や意向を想像する能力

③人の言いたいことを理解する能力

④人に自分の気持ちを伝える能力

⑤人と気持ちを通い合わせる能力

また、榎木氏は、「子どものしつけや教育の中で、忍耐力や粘り強さ、共感性などを身につけさせることが大事だとされてきたが、それらは、このEQに相当するものと言える。そして、実際にEQが高い方が、ストレス対処能力が高く、学業成績も良好で、職業的成功度が高く、社会適応が良く、人生の幸福感が高いことなどが報告されている。」とも、述べています。

子どもを育てる上で何が大切なのか考えさせられます。将来、自分のやりたい事を見つけ、粘り強く取り組む姿勢の基礎は幼児期の遊びにあるのではないでしょうか。

歯は健康のバロメーター vol.33

〜落合先生のお口のお話し〜

むし歯について考えてみましょう3

おちあい小児歯科医院 院長 落合 聡

乳歯の虫歯を放置した場合はどうなるかについてお話ししましょう。一番早く萌出する乳歯は、下の前歯で生後8か月頃、一番最後に上の奥歯が、2歳を過ぎた頃に萌出します。

そして永久歯との生え変わりは6歳頃から始まり、最後は11歳頃です。

つまり、乳歯の寿命は5年からせいぜい9年です。一生の中で乳歯がある時期はとても短く、しかも乳歯の脱落後は永久歯が萌出してくるのです。

そこで、以前は「乳歯はどうせ生え変わるもの、永久歯に交換するのだから、小さいこどもは歯の治療を嫌がるし、乳歯の治療はしなくていい、という考えが浸透していました。

乳歯の虫歯がたくさんあっても、こどもは結構無頓着で痛みも訴えず、食事も見かけ上普通に食べていることがほとんどですから、なおさらそういう考え方が定着してしまったのでしょう。

しかしながら、乳歯の虫歯を放置しておくと、その時点では何事も起こらなくても、実は大変なことが起こってしまうことがわかっています。

確かにむし歯の程度がC1程度なら、生え変わりまでこの状態を保つことができれば大きな問題は起こりません。C2でも程度問題と考えていいでしょう。

問題はC3・C4です。歯髄に炎症が生じて壊死してしまうと、膿が歯根の先の方にたまってきます。その位置は次に萌出してくる永久歯が待っている場所です。永久歯は膿の中に入りたくありませんから位置を移動しようとします。移動した永久歯は変な場所から萌出してきたり、悪い場所に移動してしまった場合には萌出できない(埋伏といいます)状態になってしまいます。また、うまく移動できなかった永久歯は膿の中に取り込まれ、萌出する前に感染を起こして死んでしまったり、あるいは質も形も脆弱な歯(ターナー歯といいます)になってしまいます。

つまり、乳歯の虫歯が重症化してしまった場合には、永久歯に大きなダメージを与えてしまい、取り返しのつかないことになってしまうのです。

そのため、乳歯の虫歯は、こどもが嫌がっても治療をする必要があるのです。

くるめ食素材探検 vol.74

砂糖の原材料に使われる
「甜菜(てんさい)」編
文/靏久 格(産直や 蔵肆)
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分かりやすいよう砂糖大根と説明することもあります。確かに見た目は大根やカブのようですが、分類上はほうれん草と同じ。こんな畑一面にほうれんそうが植わっちょる!と思うとビートだったりします。原産地は地中海沿岸、日本では火焔菜(カエンサイ)と呼ばれ、江戸時代初期頃に持ち込まれたとされています。

砂糖の原料に使われる「甜菜」(てんさい)は同じ仲間にあたり、この根の部分に蓄えられている糖分を取り出して、砂糖を作ります。砂糖といえば、「さとうきび」を思い浮かべますが、ヨーロッパでは甜菜糖のことを指すことが多いようです。温帯のさとうきび、寒冷地のビート、なんですね。なんでも、全世界の砂糖消費量の約三割が甜菜糖、日本でも1/4が甜菜から作られた砂糖なんだとか。とはいえ、砂糖の原料としての利用は意外と最近、今から約270年前、1747年のことです。ドイツの化学者マルグラーフが、甜菜の根から砂糖を分離することに成功しました。サトウキビの栽培、製糖は8世紀ごろから広まっておりますので、ずいぶん最近ですね。日本に入ってきたのは明治11年、パリ博覧会に出展されていた甜菜を北海道に導入します。が、うまくいかず工場は閉鎖、ビール工場に転用されます。これが札幌観光の定番スポット「サッポロビール園」の前身です。
甜菜は糖分をしっかり含んでいるため、少々雪が降ろうが大地が凍ろうが収穫可能です。氷点下の日が珍しくない11月の北海道、農家さんはじゃがいもなど寒さに弱い作物を先に収穫、甜菜はこれから収穫、工場に運ばれます。麦・大豆・じゃがいもなどとともに、北海道の輪作体系に組み込まれている甜菜。糖分を抽出した絞りかす(ビートパルプ)も家畜の飼料として有効に利用されています。

新・落語スズメvol.16

『暮れの話』
文/松田 一成

酔い覚ましに外に出ると、空気がパリッとして、少し寒すぎはしませんかという頃の話。平成15年の暮れ、夕食を済ませた頃電話があり、太地喜和子似の後輩がやっている小料理屋に呼び出された。堅気には見えない、どうも噺家風情の方がいらっしゃって、とっさにアタシの事を思い出したらしい。当時アタシはコミュニティFMで番組をやっていた事もあり、欲目半分、既に酔っぱらってはいたが、ままよと成り行きにまかせることにした。店につくと、カウンターに一人、ベージュ色のタートルネックセーターを着た、キレイに刈り上げた短髪頭の初老の男性が飲んでいた。その時が、人生の岐路だと気が付いたのは、随分後だ。それはそれは楽しい時間が過ぎて、興奮していたように思う。そんなアタシを見て、件の噺家は、「あんちゃん、そんなに落語が好きなら、自分で会をおやりなさい。九州での仕事の時は連絡するから」と悪魔の囁き。酒の場のリップサービスだと自分に言い聞かせながら、暮れにいい夢を見せてもらったと、その晩はなかなか寝付けなかったように覚えている。それから令和になった今まで、続いている会、一回だけの会、なんと、会に来て下さっていたお客様が自分でと始めた会。ネタ帳を繰っていたら、優に200回を越えていた。知り合った頃は『二つ目』(江戸落語の位)だった噺家が『真打』に昇進され、最近はお弟子さんまで出来た。まるで人生。落語が縁で随分と楽しい思いをさせてもらっている。最近は歳をとって横着も覚えたが、開演前には緊張するし、会が終わっての打ち上げは何より楽しみだ。そんなきっかけとなった噺家の新しい会が今日ある。道具を車に積み込もうと外に出たら、空気がパリッとしていて、思わず息を飲呑んだら、そんなことを思い出した。皆さま、今年もありがとうございました。どこかの会で見掛けましたら、気安くお声掛けください。楽しみの多少のお福分けが出来ればと思います。よいお年を!
1月4日シティプラザ久留米座、午後2時30分開演「笑福亭風喬独演会」。ゲストはなんと!上方落語協会会長「笑福亭仁智」。前売り2500円、当日3000円。当日「くるめすたいるで見た」とおしゃっていただければ前売り代金でご入場いただけます!

久留米文学散歩 vol.84

怪火⑩
文/増原 達也

そのトタンは幅三尺、長さ六尺位で、四方の下を支えているのも松で高さ20センチ程に切ってあり四隅にこれを敷き、その中央で、これも松だったと教えられていますが、燃やしていたのです。そして数行前にも書きましたごとく骨片が見分けがつく様になると、その部分の骨と土を一緒に今度は墓穴に入れると云うより撒いた様に記憶しています。記憶しているのはその辺迄で、その時、どの程度の作業中で私が帰ったかも、すでに記憶にはなくなっています。何でも二〜三日の作業だったと思いますが、その間若院家は、その側で、ずーっと佛教の衣姿でお経を唱えておられました。その御寺は母方では先祖からのもので、それ迄は彼の実父が佛事ごとには出掛けておられたとか、耳にした事がありました。そう、彼が復員してからは檀家廻りは、殆ど彼の仕事になっていた様です。忘れる処でしたが、彼は佛教大学から海軍に入った際は、私の祖父の処に挨拶に来たとか、耳にした事がありました。そして祖父が「坊主が刈り出されるようでは、日本も危ないのかもしれぬ・・・」と云っていたとか、祖母から聞いたことがあります。それでも人が少なくなっていたのか、終戦迄の間に一度祖父は村長にも就いていた様です。今から思えば現在のように選挙ではなかった時代なので、中央からの「官選」だった様です。人の運とは解らぬもので、短い期間でも戦時中、「長」に就いていた為、戦後直ぐに「公職追放」になった上、第一次の「農地改革」で小作に出していた田圃は四分の三を失っています。その時の祖父の落ち込みは酷いものであったと後で耳にしました。この時、何故か山林だけは占領軍は手を付けていません。只祖父の家は田圃は多く所有していた様ですが、山は多くは所有していませんでした。それに所有している山は、ほとんどが雑木林だった様です。戦後暫くして「バス」、「タクシー」等に「木炭車」時代が来た時は、この雑木林が役に立ちバス会社やトラック会社に「木炭」を造って出していた様です。併しこれも昭和27年〜29年頃迄だった様です。併しこの時、祖父はすでに亡くなっていました。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.127

“2011年 コロンビア サンイシードロ”
写真と文 安達  和宏
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この年は買い付けと審査会で2度コロンビアに行ったのですが、この一コマは買い付けで行ったサンイシードロという地区の農園での昼食風景です。鶏肉にプラタナといってバナナの様だけど甘くない野菜とライスにお決まりのサンコーチョ(スープ)、農園の隣接した建物で産地ならではのバーベキュースタイル。近隣の生産者や家族が集まり、温かい“おもてなし”を受けるのです。そんな食事の合間にも農園の歴史や今後の取り組み、現状の問題点など熱く語ってくれます。時折小さな子供たちの鳴き声に話も中断しますが、ゆったりした時間の中にもコーヒーづくりに掛ける揺るぎない情熱を感じるのでした。

香茶店〝香り不思議発見〟 Vol.110

今年のクリスマスや年末年始は
想いを込めた香りの贈り物はいかが!
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初冬に咲く山茶花、これから季節を迎える椿。久留米の市花はつばきってご存知ですか?
一年の締めくくりは想いを込めた香りの贈り物はいかがですか?天年堂ではさまざまな香りのお香を取り揃えています。店内ではサンプルもありますので来店の上お試しください。

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・凛の香(香り3種)…880円(税込)
・Café time insence…550円(税込)
[さくら&グリーンティ、ロータス&ワイン、カシス&モカ]
・わびすけ(スティック香)…660円(税込)
・セントスケープ(3種)…1,100円(税込)
[コーヒー&チョコレート、ティー&ホットミルク、ユズ&ジンジャー]

むすんで、ひらいて!! vol.67

言葉の遅れ「発達性言語遅滞」
一般財団法人田中教育研究所
幼児心理カウンセラー  野田 鏡子
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3歳くらいになっても言葉が出ない、呼んでも振り向かない、このような状態にあると何か障害があるのでは?と、当然、思ってしまいます。1歳前後で歩き始め、人見知りや後追いといった愛着関係もしっかり育っているにも関わらず意味ある言葉を発しない。おもちゃでは一人で遊ぶ、手先も器用。「おててはどれ?」「あしはどれ?」と聞くと、手を出したり、足をだしたりする。しかし、言葉でのコミュニケーションが出来ない。

東京大学医学部付属病院・榊原洋一先生は、こうした発達性言語遅滞についてこう言われています。
「言葉はコミュニケーションの手段だ。発達性言語遅滞の子どもは、自分から相手に自分の意思を伝えるもっとも有効な手段を使わないということになる。ところが、こうした子どもは、人とコミュニケーションを取りたいという気持ちが少ないのではないのだ。自分からは言葉を発しないものの、自分に向けて質問されているという状況をよく理解し、できるだけ答えようという気持ちはあるのだ。しばらく言葉をしゃべらない状態が続く(2~3歳くらいまで)が、ある時、急にしゃべりはじめる、というのが発達性言語遅滞の特徴である。」

自閉症スペクトラムと診断されることが多いのですが、自閉症は生得的な、つまり、生まれつきの脳の疾患です。発達性言語遅滞は障害ではなく、言葉の発達だけがゆっくりしている状態ということです。
私もそういった状態にある子どもの教育・指導をする事がよくあるのですが、本当にこちらが驚くほど急に話し出します。「あ~聞いてたんだ」「わかってたんだ」と感動します。子どもがしゃべらない状態であっても出来るだけ話しかけ、コミュニケーションを取るように心掛けられると良いと思います。

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