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まつりバカの系譜(4)・ ・ 水の祭典40周年 ・ ・

 鴎

昭和63年、明治通り東町歩道橋付近の中央分離帯が完成、その後明治通り全線で道の両側に施設されていた緩速道が廃止される。この明治通りの様相の変化は水の祭典に変化をもたらした。
 それまで、道路幅いっぱいに広がって進行していたパレードチームが、中央分離帯によって分断されるため片側進行を余儀なくされた。もちろん、現在も50を越える参加チームによって、パレードでは華やかな演技が提供されている。だが、まつりの風景はこの時確かに変わったのだ。
 逆に夜の総踊りはこの分離帯によって周回コースが取りやすくなり、たくさんの踊り連の参加を可能にした。昼間のパレードをメインに生まれた水の祭典だが、その会場である街路の変化は、その後のまつりの「顔」をも、じわりと変えていくことになる。
 第18回水の祭典。元号が平成に変わったこの年を最後に、長年まつりを牽引してきた鶴田松男会長が勇退する。後任は喜多村禎勇氏に。その後、自ら下町育ちのまつり好きと自認する前川博氏が振興会会長に就任する。
 このまつりが始まったときから様々な仕掛けを作り、その運営をリードしてきた米替が特にこだわっていたことがある。それは「町方(まちかた)の心意気」を大切にすることだった。行政や組織はそのお膳立てに徹し、町方の自由な活力を源とすること。それがこのまつりにパワーを与え、新しい伝統の創造へと繋がるに違いない。
 平成7年第24回水の祭典。この年、昭和30年組の3人が企画委員会入り。新しいまつりバカの登場である。

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