Home > 久留米文学散歩 > 久留米文学散歩 vol.95

久留米文学散歩 vol.95

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第九回

吉政が織田信長に影響を受けたわけ 文/江﨑久美子

田中吉政が「土木の神様」と呼ばれる程の土木技術を持っていたのは、織田信長、豊臣秀吉との関係が深く係わっていたからということを、どなたもご存じないかも知れません。今回は、その一つを少しだけ説明します。

吉政が元服した頃は、浅井長政の時代であり、長政は織田信長の妹お市を娶り、信長と同盟関係を築き、若くして北近江の国人領主として領国支配を完成しつつありました。

しかし、元亀元(一五七〇)年四月、長政は朝倉攻めの最中だった織田信長の背後を襲い、同盟を破り敵対関係になったのです。

近江の湖北地方の宮部、国友、石田らの地侍たちは地縁的繋がりにより浅井長政に従い、そのまま二か月後の六月には、よく知られる姉川の戦いに突入していくことになります。

「信長公記」の巻五には、次のようにあります。

「虎後(御)前山より宮部迄路次一段あし候、武者の出入りのため、道のひろさ三間々中に高々とつかせられ其へり敵の方に高さ一丈に五十町の間、築地をつかせ、水を関入れ往還たやすき様に仰せつけらる」

虎御前山から宮部までの間が、一段と悪路だったので、兵の往来を助けるために道幅を約六・四mに広げ、浅井側に約五・五㎞に渡って道のへりに高さ約三mの築地を築かせて堀を掘って水を堰き入れ、砦からの行き来の便利を図ったのです。吉政は、その頃は、宮部継潤の配下で、田中家の小城は、そこから僅かに百メートル程東側にあったと長浜市文化財課は推定しています。周りには「内形」や「堀ノ北」「堀ノ東」「堀ノ前」等の地名が残っています。

しかも、お隣の国友村は、吉政の母方の里です。当時二十三歳の吉政は、宮部継潤の配下で、父や他の武将たちと共に体験した、まさに、郷里で行われた、一大事業であったに違いないのです。そして、吉政も、何かの役割を担ったかもしれませんね。

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
https://kurumestyle.com/wp/wp-trackback.php?p=2075
Listed below are links to weblogs that reference
久留米文学散歩 vol.95 from くるめ-コラム

Home > 久留米文学散歩 > 久留米文学散歩 vol.95

Search
Feeds
Meta

Return to page top