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久留米文学散歩 vol.91

田中吉政公 お慕い申しあげそうろうゆえ 第五回
岡崎城での吉政 文/江崎久美子

吉政は、豊臣秀吉の重臣でした。三河国岡崎城は、徳川家康の先祖伝来の生まれた土地です。秀吉は、俗に言う関東移封、つまり家康を江戸へ移します。その三河の土地に吉政を入れるということは、信頼なしではできなかったことでしょう。
この岡崎城の時、吉政は面白い政策を執り行います。
領内の罪人を罰せず、土地と田畑を与えて更生させようとします。西尾の浜に、松の木を植樹させ、それは、海からの潮風を防ぐ防風林となり、また、西尾の塩作りの燃料に使いました。
吉政の考え方は、罪を憎んで人を憎まずだったのかもしれませんね。
そして、村人に気さくに話しかけ、城から持ってこさせた弁当を一緒に食べたそうです。寺の空き地があれば、「ここは、重要な場所か?」と聞き、「そうでなかったら、ここにお茶の木を植えよ。そして、出来たお茶を寺の客に振舞えば良いぞ。人手がいるなら言うてくれ」と言って、その後も、その茶畑に手伝いに足を運びました。
岡崎城外にあった東海道を城下に引き入れ、東西五キロの二十七曲りという街並みを作りました。当初は防御のためでしたが、曲がる度に色々な店がある、沢山の旅籠があるのですから、街並みが栄えた事は間違いなく、その後は岡崎宿として東海道の名所になって行きました。
土塁の上に造られていただけの城を、近代城郭に造り上げます。天神山という山を一つ潰し、その土で湿地を埋め立て、採取した材木で街道筋に新しい町の家々を造り「町立て」をして、そこは材木町と呼ばれたそうです。
城から北方に徳川家の菩提寺大樹寺があります。その三門、総門を通して真ん中に岡崎城の天守閣が見えます。まるで門が額縁で一枚の絵のようです。岡崎市を訪れ、市長さんにご挨拶した時、その城と大樹寺を結ぶ「ビスタライン」に、高層ビルを建てないよう努力されているとのお話を聞きました。

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