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久留米文学散歩 vol.86

怪火⑫

文/増原 達也

紙面の都合上、話を大きく飛ばさせて頂きます。その街に私が来たのは、その街が昭和28年の大水害で大きな被害を出して二〜三年後だったと思います。何故その街に来たのかと云いますと、「牛に引かれて善光寺参り」と云った具合だったのです。何故なら小唄で、「捕吏に捕えられ引かれて行く者」と辞典には解説しているからです。只、一寸違うのは私の場合は「捕吏や警察官」ではなく、女人に連れられて来たのです。いや尻を追いかけて来たのかも知れません。当時、世の中は「戦後から本格的に復興」をしようとする時期でもあったのですが、それが大水害でその街は出端を挫かれた様なものでした。当時街の中央に位置していたデパートには水害二〜三年後であるにも拘わらずその入口には水害の水痕が二メートル近くの位置に「クッキリ」と残っていました。何故私がデパートに行ったかと申しますと、その五階だか六階建のビルの屋上が遊技場となっており、その一角に「アーチェリー」の遊び場が存ったのです。当時大都会では、各処ですでに「アーチェリー」の遊び場は存った様ですが、その街はそこ一ツだけでした。それでも御客さんは少なくデパート側も本気で「アーチェリー」の遊び場に金を掛ける事はしていなかった様でした。それでも私は根気良く通ったものでした。そんなある時、所用で20日ばかり行かれなくなり、20日過ぎて行った時には、すでに外の遊び場に衣更えされていました。そして何れ位の日数だったか忘れましたが、地方の大手百貨店に衣更えをしていました。が間もなく「大店法」が国会を通過、大型スーパーが、その店を囲む様に三〜四店舗出来たのと人間の交通形態が、徐々に変化、最初は二〜三%の売上減を見せていたものが、人の営業努力とかの古来の商慣例ではどうにもならなくなり、遂に準大手もその街から引き揚げざるを得なくなったのです。その土地の上が三度目の大きな変化をせざるを得なくなってゆきました。その街を通過する都市電車の乗降客も集客努力に拘わらず毎年二〜三%ずつは減っていた様です。 -おわり-

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