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久留米文学散歩 vol.81

怪火⑦
文/増原 達也

この青木繁は勿論久留米市の出身で洋画家ですが、若くして死亡、苦節の生涯を送っています。彼自身は現久留米市の前身有馬藩の下級武士の末裔で早くから絵を描く事に長けており、天才の名を欲しいままにしていた様です。その事が彼自身にはマイナスになり、彼を外国に行って、画法を学ぶ機会の芽を潰している様です。この性格が生みの母親までも敵に回す事になり、彼自身が福岡市の医院で死亡した際も、遂に母親は彼の側には来ていません。ですから死後の後始末も妹が仕切っています。一方の坂本繁二郎は一九二一年(大正十年)にはパリに絵画の勉強に旅立っています。これには支援者が多数現れ、その人達に絵を買って貰い渡仏費用に当てています。パリの生活は三年間なのですが、この間に青木繁とは技術的にも人間的にも差が出来ています。坂本繁二郎の絵はフランスに行く前と帰国後では大きく変化しています。渡仏前の作品には写生的な精緻さが目立っていましたが、帰国後はターナー的な筆遣いが目立つ様になり、ターナーとプロットも同じ物まで出ています。このターナーは夏目漱石も「坊ちゃん」の中で彼を一度取り上げています。対する青木繁は渡英か渡仏をしたかったのですが、支援者がない上に自身から世間を敵に廻す発言等もあったと思われます。それが「海の幸」に出てくる女性の顔です。このタッチはミレー(英国)が描いた女性のプロットを、三人(全員身内)を重ねて描いた合作で、それを彼が絵にした人物像のようです。彼の「海の幸」は、彼の作品の中で唯一目が生きている物として貴重な作品と思われます。もう十年以上も前ですが、青木繁の作品展が石橋文化センター(久留米)で催された事があります。その時、肖像画の多い(十作品以上)のに驚いた事と同じに、その人物の目が全員同じだった事が強く印象に残っています。人間の目は、その人の内面を現す唯一のものです。だから描き方に依りその絵が生きるも死ぬも、それに掛かっていると云われています。この作品展の展示品の前に円山応挙の「雄松」(襖絵二枚)が展示されていたので彼(青木繁)の絵を観る目に影響したのかも知れません。

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