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子どもの為のひろしじいちゃんの絵ごころ指南!! Vol.12

「子どもの絵と坂本繁二郎」
子どもの絵 六ツ門教室
主宰 杉山 洋

六月九日まで久留米市美術館で「没後五十年 坂本繁二郎展」が開催されています。ぜひごらんください。

六十年前、八女市職員を辞職し、画塾で生計を維持することを、坂本先生に報告しにお伺いしたときのことです。先生はいつものように静かにやさしく、「それは結構なことですね。ただ幼児・子どもの絵に芸術を求めてはいけないとおもいます」と一言おっしゃいました。私はそのとき一瞬、胸がつまるほど驚きました。
それまで、八女市の保育所などで勤務していた私にとっては「美術教育」の原点ともいえる知識でした。それを「画家 坂本繁二郎」から直接聞こうとは。
それまで多く接した画家・教師からこれほど鮮明に「児童教育」についての意見を聞いたことはありませんでした。
また「子どもの絵は素直で自由でそれ自体はそれでいい。しかしそれは小乗の作品で、真の絵は客観大乗に突き抜けていなければならない。それは、どんなにうまい絵を描いても子どもにはできぬことである」という言葉を遺しておられることもその後知りました。ここには「美術教育家 坂本繁二郎」の理念が見事に打ちだされています。
これらのことは、いま開催中の「没後五十年 坂本繁二郎展」でも察知出来ぬことです。
直接、坂本先生にお尋ねして、年譜の空白を埋めたいと思っているうちに先生は逝かれ、その機会を失いました。
二十年ほど前、先生の版画活動の同志だった「山本鼎」の履歴を調べているとき、月刊『芸術自由教育』全十冊の存在を知りました。この冊子は、我が国の美術教育史に、きわめて重要な位置を占めるものですが、いまは稀覯本となり、やっと国会図書館でめぐりあえました。そして、大正十五年十一月の創刊号末尾に「日本児童美術自由画協会」の会員名簿のなかに山本鼎とならんだ坂本繁二郎の氏名を発見することができました。ここに先生の年譜の空白を埋める資料があったのです。
大正デモクラシー運動の一翼を担って、芸術教育の自由化をめざした運動の中心に坂本先生はおられたのでした。
大家の画家の絵を模写することを美術教育の主流としていた国の方針に断固として反旗をひるがえし「子ども自身の自由な絵画活動こそ美術教育の根源である」という主張を掲げて大正八年に設立されたのがこの協会でした。
坂本先生三十九歳の渡欧直前の参加決意表明でした。
詩歌部門の会員名簿には北原白秋の名も発見できました。
〈余白追記〉
坂本先生の八女定住の決意をここに記します。
「八女は青い草が満ちている。路傍には芋の切れはしも落ちているから、ここでは飢えることはない」と言っておられました。

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