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久留米文学散歩 vol.76

怪火(あやしび)②
文/増原 達也

只父は、「この戦争は長くなるから、誰もが一度は征かねばならぬだろうから・・・」と応えていたようです。そんな会話の中で父は、「戦線を延ばしすぎた様だ」と気の置ける友人には話していたと、後日母が私に話してくれました。すると友人は「憲兵が飛んでくるぞ。それでなくてもお前は東條に睨まれている組に入っているのだから」と、忠告していたのを母は襖越しに耳にしていた様です。それを後日私に話してくれました。父の話しの概要は、「あすこま(ガダルカナル)で延ばす間には和平の切っ掛けはあった筈だ。戦力等と云うものは、神代(孫子の兵法・実際は孫武の敬称)。春秋時代の人(前七百七十年〜前四百三年頃)の昔から距離の二乗に反比例すると云う事を知らなさすぎる」と結んでいた様です。日本が「ガナルカナル」に上陸した日は忘れましたが、そこを撤退し始めたのは昭和18年2月初旬と記憶に遺っています。一日で撤退が終わってはいないでしょうから、完全に撤退が終わったのは同月、すなわち二月中頃ではなかったでしょうか。同島に上陸して撤退までの期間はそう長くはなかった筈です。それは悲惨な戦いであった様です。この戦いの著書は戦後多く出版されています。その撤退が終わった頃ですから、二月の終わりか三月の初旬に父は呉(広島)から征きました。そう、このガダルカナルに上陸した日本の兵隊は三万人と云われて居ますが、撤退した人員は一万五千人と伝えられていますから、その人数だけが戦死したことになるのですが、戦闘で死亡した人は僅かで、後は病死(餓死と疫病)であったと伝えられていますので、当時日本は相当無理な展開をしたものです。これは余談ですが、ガナルカナルで生き残った兵士達は後のニーギニヤ戦線やインパール作戦に向けられたと伝えられています。 ― つづく ―

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