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久留米文学散歩 vol.71

夏目漱石と熊本そして久留米⑨

扨この(株)春陽堂書店ですが、この社の創業者は和田篤太郎で彼は一兵士として西南戦争(西南の役)に参加、帰還後に本を背負って行商から創めたと遺されています。何でも彼は岐阜県の出の様ですから当然官軍だったのでしょう。

西南戦争は明治10年に西郷隆盛を頭とする不平士族が兵を挙げ、明治を作って以降士族の最大且つ最後の反乱で、これに西郷が征韓論に敗れて官職を辞し、鹿児島に設立した私学校の生徒達が参加しています。併し熊本城の攻略に失敗、隆盛は自刃、以降政府の主導と中心は自由民権運動に変わるのです。

西南戦争の総決算(明治史から)

政府軍 兵力 六0,八三一人

死傷 一五,八0一人

戦費 四一,五八七,七ニ六円

西郷軍 兵力 約四0,000人

死傷 約ニ0,000人

処刑   ニ,七六四人

斬首刑 ニ三人

〜詳説日本史研究一九八九年度版から〜

前にも書きましたが、春陽堂は創業者の和田篤太郎が西南の役から帰還後行商から創め、新桜田町に小さな書店を開き、明治15年(一八八二年)頃から木版に手を伸ばしています。伝えられる処では、この和田篤太郎氏は木版画をこよなく愛しており、手の込んだ木版口絵を入れた本を出版することを自社の目標にしていたと伝えられています。併し当時、木版画は全て手作業でコスト面と大量生産が難しかったので、一作品に付き三百部から五百部程を刊行していたと伝えられています。ですから当時としては優れた口絵単行本が出版されていた様です。そして一八八四年(明治17年)頃は京橋区南小伝馬町に移転、その翌年には早くも外国物の本まで出版するに至ってます。明治30年に入ると「中央文学」や「新小説」に「草枕」が出るのですが、それにしてもその春陽堂が現在迄存続した原因ですが、色々と存るとは思いますが、女系の経営者(全般的には保守的で時々光る物を出す)であったのが一ツの原因だった様です。 |つづく|文/増原 達也

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