Home > 新・落語スズメ > 新・落語スズメvol.1

新・落語スズメvol.1

「噺家の名前といえば…」
文/松田 一成

噺家の名前といえば圓生、志ん生、文楽、小さん、正蔵に可楽。(そういえば可楽師のお嬢様が毎年大江戸のれん市で久留米にやってきていたのはご存知か。またそれは別の機会に。)また四天王と呼ばれた、志ん朝、柳朝、談志、圓楽。継がれた名前もあれば、大きすぎて誰も襲名できずにそのままになっている名跡も。その中で100年近く継ぐものが現れず、飛び切りの名跡といえば、あの御仁のお名前。ご存知、落語中興の祖、言文一致運動にも一役買った『三遊亭圓朝』。先月11日が命日でございました。安政2年(1855年)、師匠『圓生』の圓の字と、当時、江戸で売れに売れまくっていた新内語り『紫朝』の朝の一字をとって、『圓朝/エンチョウ』。噺家の名前に朝の一字が加わった始まりはここからではないかと。(アタシ調べ。亭号には「朝寝坊」が圓朝以前からありました。)気になりますね、その圓朝を魅了し、一字貰った紫朝という新内語り。〜富士松紫朝、本名は萬吉と称し、夙に明を失い盲人と為りて音楽を学ぶ。(中略)新内節と称する一派を開き、名声大に揚り、三條内府の邸に召され演奏を為すの栄を蒙りしことあり(中略)五十一歳の時久留米に帰りて多くの門人を教導せしが、明治三十五年陰暦正月二十二日七十六歳を以て没す。(中略)墓は寺町妙正寺に在り。(久留米市誌より)〜なんと、明治、大正、昭和、平成、綿々と現在まで続く源流がここ久留米にあったとは。噺家の名前、朝の一字は、久留米出身の新内語り『富士松紫朝』から『圓朝』へ。志ん朝、柳朝、そしてその柳朝の弟子小朝に(圓朝は小朝が継ぐという話も実しやかにありました)。芸どころ久留米の奥深さ発見。残念ながら上方の名跡『米朝』の朝は師匠米丸のお内儀さん、麻子からとったものだそうで(笑)

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://kurumestyle.com/wp/wp-trackback.php?p=1723
Listed below are links to weblogs that reference
新・落語スズメvol.1 from くるめ-コラム

Home > 新・落語スズメ > 新・落語スズメvol.1

Search
Feeds
Meta

Return to page top