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久留米文学散歩 vol.66

夏目漱石と熊本そして久留米④
文/増原 達也

この様な事が続いた為、彼も俳句を詠む気にはならなかったのでしょう。併し漢詩の方は29年6首、30年1首、31年4首、32年4首と遺されています。この漢詩の一番多いのは大正5年で78首となっています。この78首は当時、「明暗」を執筆中で彼が遺した記録では午前中明暗の執筆午後漢詩詠みに専念したとしています。前に戻りますが、鏡子の悪阻は相当激しかった様ですが、自分自身が迷いの最中であり、それが神経にも障ったのかノイローゼ気味が続き家庭も険悪な状態だったようです。そんな時だったので漱石の気持ちも那美さんの方に動きかけ、それが家庭での態度にも現れた事は十分に考えられます。元々漱石が鏡子を知り結婚に踏み切ったのは鏡子が女として男の目に一番魅力のあった年齢で、只、それだけだった様な気がします。もう一つ存りますが、これは後日述べさせてもらいます。それが慣れない生活に苦労している上妊娠すれば女の肢体は大きく変化します。男には決して好感を与えるものではありません。それの逆が初産後の肢体、容貌は妊娠中の肢体を取り返す如く男に魅力的になっています。こんな事ですから彼が那美さんを事ある事に思い出し特別に比較する分けではないのですが、目の前の鏡子と比較するのは仕方ない事だったと思われます。ですから漱石自身には浮気と云った感情は相当希薄であったのでしょうが、鏡子と肉体関係も両者間では遠のいていたことは考えられ、それが一層鏡子との会話を少なくしていた事も当然考えられます。そんな事は漱石自身も気付き亦鏡子自身もそれなりに気にしていただろう事は想像されます。それに他の先生(五高)から那美さんの人柄等も鏡子自身の耳に入れていた可能性も強く、もう一つは漱石の女性歴等(順さん、眼科医の女等)も面白おかしく鏡子の耳に入る様な話し方が存ったと考えられます。これらの事が半分寝たり起きたりしている彼女の気持ちにどの様に作用しただろうか。それに当時住んでいたのが、「白川」の川沿いであり、この家の二階から白川の流れを眺めた鏡子は川から何を思わされたのでしょうか。

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