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久留米文学散歩 vol.63

夏目漱石と熊本そして久留米①

文/増原 達也

漱石が池田駅(現上熊本駅)に着いたのは、明治29年4月13日の午後と云われています。迎えに来ていたのは菅虎雄一人だった様です。現在駅舎を出ると前に一米程の漱石立像が建立されています。これが何時建立されたかは知りませんが、多くの人が駅舎に出入りすると、直ぐに見えなくなります。漱石がこの第5高等学校(現熊本大学)に招聘されたのは前任の英語教授ラフカデオハーンが退任した事に依るものです。以後漱石は英国に留学する迄、ここの英語教授を務めています。勿論、中根鏡子ともこの熊本で結婚するのですが、鏡子が父と東京を出たのは明治29年6月4日と云われ、その際彼等に同伴したのは女中一人と伝えられています。そして彼等は6月8日に熊本に着いている様です。両者が結婚式を挙げたのは6月の中旬ですが、漱石と鏡子の記憶には2〜3日のずれがある様です。その時も駅に迎えに出たのは漱石一人であった様です。扨、漱石が着いた際は一人一台の人力車で池田駅から前の坂を登るのですが、その頂上に着くと、熊本市内が半分、一望出来るのです。ここで漱石は虎雄に「森の都だね」と云ったと伝えられていますが、本当だろうかと思われます。何故かというと彼は後日「ネコ」や「坊ちゃん」を書く力量の持ち主です。それに全然遠慮の要らない虎雄です。その上漱石自身も「都会好み」と云って云いタイプの人間です。「何と田舎だ。森や林ばかりじゃないか」だったのではないでしょうか。それに対して、虎雄は「住めば都と云うのだろう。」位の事を云ったと思われます。私も上熊本駅から徒歩でその坂を、現在は「夏目坂」と名が付けられ、相当両側も整備され観光用になってますが、遂最近までは整備されていなく、過去の面影が感じられたと云われています。

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