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久留米文学散歩 vol.56

筑後川と久留米⑥

文/増原 達也

その他、忘れてならないのが、「宮入貝事件」でしょう。「事件」と云われるか、どうかは疑問ですが、大きな災いであった事は事実です。この貝の学名は「カタヤマガイ」と云い、人体に大きな害をなし、それを解決すると云うより、その菌を発見、「撲滅」の切っ掛けを作ったのが、「宮入慶之助」氏であった為、その名が付けられた様です。只、この人が菌と云うか、「寄生虫」を発見したのは大正末頃か昭和の始め頃だったと思われますが、日本側は戦後になる迄、予防、撲滅の本格的な施策は取っていなかった様です。

それを戦後占領軍大佐のハンター博士が音頭を取り占領軍と協同で撲滅作業がなされています。そして一九八二年に大がかりな捜索でも「カタヤマガイ」が二個しか発見されず、終息宣言が出されている様です。

この寄生虫は日本住血吸虫で、何故か「カタヤマガイ」だけに寄生、成虫になって今度は人体に入り、その人体を侵すと云うものです。これを学術用語で「中間宿主」と云う様ですが、この時、すなわち人間の体内に入る時も「雌雄抱合虫体)で入るらしく、人間の体内では見る見る成長、その人体は肝臓、脾臓が侵されて腹水が溜り、貧血を起し、時には死亡する事もあった様です。当時分布地区とされていたのは筑後川中流部の内、久留米市合川町と対岸の三井郡北野町を結ぶ線より以西、豆津大橋周辺地区迄の両岸地域(鳥栖市部含む)とされています。その他日本住血吸虫病は広島、岡山、山梨県でも発見されています。

扨、この宮入慶之助氏ですが、長野県出身で明治三十七年京都帝大福岡医科(九州帝大医学部の前身)に入学、卒業後は九州帝大で寄生虫一本の学者で国際的にも名の通った学者だった様です。亡くなられたのは昭和二十一年四月六日と記録されています(八十二歳)。

宮入氏の学勲碑は昭和二十七年に鳥栖市曽根崎町で宮入貝の供養碑は久留米市宮ノ陣町宮瀬に建立されています。

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