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久留米文学散歩 vol.48

自得とその時代⑩
文/増原 達也

枯れ果てゝ 身は土となり墓なくも
心は国を守らむものを
松崎の駅の長に問いて知れ
心づくしのたびのあらまし
これは彦九郎の辞世の句ですが、話では死体のそばに置いてあったと云われています。只何故、小郡(松崎)で自刃したのかハッキリした事は書き遺していませんので謎は多く残っています。彼の足跡をたどってみて思う事は、薩摩藩に大きな期待をしていったのではないかと思います。ですから薩摩に入るのに約2ヶ月準備をしています。併し行ってみると藩内は2ツに別れ、半分以上は幕府存続派が占めており、その態勢を維持する空気であったようです。藩内で尊皇倒幕など表明を口にする者は少数派であり、この現状維持派に命まで狙われる羽目になっていたのではないでしょうか。だから薩摩を出て日田に行き、そして小郡に来ています。当時日田は天領(徳川将軍直轄の領地)であり、ここにも長く居づらく、そして旧友の森氏(松崎・医師)の処に逃げ込んだと云う事が推察されます。この日田では広瀬淡窓の父だか伯父だかと面識はあった様で、そのつてで日田に行ったのですが、たぶんそこまで薩摩の刺客は追って居たと思われ、急遽松崎に下ったのでしょう。しかしここにも幕府だか薩摩だかの手は伸びており捕えられて拷問にかかると他に迷惑が及ぶ懸念も存ったので、遂に自刃に及んだと思われます。そして「大政奉還」「王政復古」までは74〜75年の日時が流れています。彦九郎自刃以降も日本は飢餓が続き幕府の力が衰えていったのではないのでしょうか。だから逆に云えば伝雄僧正等の善行がスポットを浴びる事にもなっていたようです。何も連絡を取り合っていた訳ではないでしょうが。丁度この頃フランスではナポレオンが頭角をあらわし現在のEU程の国々を支配しています。この間百年程は日本も欧州も混乱期に入っていた様です。欧州庶民政治はナポレオン時代を入れると25年続いています。

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