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久留米文学散歩 vol.32

漱石の草枕と筑後川⑥
文/増原 達也

この年すなわち明治14年ですが、漱石の母千枝が死亡。そして漱石は成立学舎に入学、英語を学ぶ事になっています。只彼は小学校時代に学校を転々としていますが、どの学校でも「成績は優秀」で、現在で云う「飛び級」をしています。この辺の事を彼は物語に書いていますが、最初は「英語ときたら大嫌いで手に取るのも厭」だったようです。処が兄(長男)の一言で「英語」に気持ちを変化させているのです。漱石の性格から勘案して兄の一言で急に変化する事は考え難いので彼の気持ちの中に「これからは米国及び英国と交流の時代が来る」との予感が存ったものと思われます。彼自身も書き遺していますが、だからと謂って漢詩や漢文の勉学を捨てたものではなかったようです。彼の漢詩には「老子・淵明」系のものが多いようです。この兄の名前は「大一」後に大助となるのですが、当時は警視庁に勤務していたようです。この時彼等(大一や金之助外に五名程の姉兄あり)の実父夏目直克も警視庁に勤務しており、その下役に樋口一葉の父が居たのです。この一葉の実父樋口則義は山梨県(元甲斐国)の農民で地元の娘あやめ(後の滝子)と結婚、離農して江戸に出ています。慶応3年に八丁堀同心の株を買って直参となるのですが、直ぐに維新になり警視庁勤務になっています。このような関係で夏目家とは縁が出来ており、則義の勤務態度は真面目だったのですが、同心の株を買い入れる際、可成りの借金をしていたようで個人での資金繰りは決して楽ではなかったと云われています。この時、直克が金銭を用立てており、その事で樋口家の家庭内の事を知る事になったようです。すると樋口家の借財は思ったより大きく「大一」の「一葉」と結婚を考えていた直克も、この結婚を取り止めにしています。これが漱石との縁談と擦り替って伝えられている向きがあるようです。この一葉を最初から森鴎外は高く評価していました。

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