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久留米文学散歩 夏目漱石編(7)

文/増原 達也

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春畦の処を出て漱石は田畑の中を西原まで歩いています。この田畑では菜の花とレンゲの花が多く彼の目にとまったと思われます。彼の俳句の中には「菜の花」は多いのですが、レンゲの句を詠んだ事は余りなかったのではないだろうか。

「・・川幅は余り広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷に依って水の上を滑って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢合わせをしたがる所まで行かねばやまぬ・・」

「・・舟は面白いほど、やすらかに流れる。左右の岸には土筆でも生えておりそうな。土堤の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から屋根を出し、煤けた窓を出し。時によると白い家鴨を出す・・」

と筑後平野の中央を流れる川の様子が書かれています。これが「草枕」の「十三章」の一部だが、この小説は明治39年7月に10日余りで180枚を仕上げています。この事を彼は、

「新小説の編集者から、義理をからめて、強引に頼み込まれた・・」

と知人に手紙を出し、その中に「俳句的小説」とも書き添えています。 この十三章を彼が書く時には、彼の頭の中には西原での舟に乗り、瀬の下迄の船旅があったと思うのです。このときの土台は明治37年(日露戦争)だが、実際に舟に乗ったのは明治30年3月で、これを「草枕」として小説にしたのは明治39年7月となっています。もう1ツ加えると、この「草枕」は「陶淵明」の「桃花源記」が種本になっています。亦漱石は英国から帰国(明治36年1月)して「猫」と「坊ちゃん」そして「二百十日」以外は、西洋物を書いており、彼自身の中で西洋的な作品には辟易していたのでは、と思われます。この時の事を妻鏡子は「傍らで見ているとペンをとって原稿用紙に向かえば、直ちに小説が出来ると云った具合」と語っています。(「漱石の思い出」から)

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