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2016-04

むすんで、ひらいて!! vol.25

「幼児期にこそ早期に指導が望まれるもの」⑤ 2歳の壁
一般財団法人田中教育研究所
幼児心理カウンセラー  野田 鏡子
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最近、1歳から2歳のお子様の教育をする事が多くなりました。

そんなに早くからと思われる方も多いかもしれませんが昔とは生活様式が変化しており父親、母親以外の人と接する事が少なくなったり母親も仕事をする方が多くなり乳児期から保育園に行く子も増えて来ました。保育園ではなかなか一人ひとり密に接する時間もないのが現状です。

しかし、1歳から2歳の時期は非常に大切で障がいを見分ける上でも健常の発達との違いが出て来ます。

例えば、1歳になれば、名前を呼べば振り向く、微笑みかけると微笑みかえす。こわい顔をすればじっと見て悲しそうな顔をする。

1歳半くらいになれば模倣、いろいろな事を真似しようとします。又、前に遊んだおもちゃの場所を覚えていて出してくれという態度をしたり、こちらが驚くほど日々変化します。

この時期はまだ言葉が出ない子も多いのですが「車どれ?」と聞くと手で示したり「積木ちょうだい」と言えば手渡してくれたり「どれ?」「ちょうだい」そして、まねをするということが1~2歳までに出来ることがその後の成長に大きく左右して来ます。
次に「ふり」「つもり」の見立て遊びが出来るようになります。
りんごのおもちゃを持って食べるようなふりをしたり、飛行機になったつもりで両手を広げて飛んでいるような動作をしたりします。
自閉症や知的な障がいがある場合、この「つもり」「ふりをする」が非常に困難なのです。

2歳の壁を越えることによって言葉が急速に発達し、見たり、聞いたり、体験したりして知的能力が発達していくようです。

もし2歳までに「どれ?」「ちょうだい」などの意味が理解出来ていないようであれば、意識的に発達を促すよう接していかれると急速に変化し成長の波に乗ることもあります。

くるめ食素材探検 vol.31

「阿蘇、熊本も一大産地なんです。」キャベツ編
文/靏久 格(産直や 蔵肆)
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キャベツがヨーロッパで誕生したのは12〜3世紀といいますから、日本では鎌倉時代のことです。地中海沿岸原産の「ケール」(青汁なんかでよく見かけますね)の中から、十二世紀頃にドイツで結球するキャベツが生まれ、その後イギリスで赤キャベツや縮緬キャベツが生まれて、ヨーロッパ全土に広がったそうです。日本には、幕末から明治初期に渡来しました。ハイカラなお野菜だったんでしょうかね。

ヨーロッパの冷涼な気候で育ったキャベツは、春まきして秋に収穫するのが普通の栽培方法でした。そのため、まず北海道の春まき野菜として定着し、東北や長野など夏涼しい地帯に広まりました。

しかし、九州など暖地では夏の高温多湿時に腐りやすく、秋の収穫まではもちませんでした。そこで、秋まきして小さい苗で冬を越し、春になってから大きく育って初夏に結球するタイプが定着しました。

輸送力に乏しい戦前までは、水田の裏作として秋に種まき、初夏に八百屋さんに並び、田植え後は姿を消す。そんな季節限定の野菜だったんですね。現在のように全国で一年中キャベツが食べられるようになったのは、トラック輸送の進歩と、品種改良技術の賜物です。

久留米文学散歩 vol.41

自得とその時代③
文/増原 達也

カエサル(シーザー)が殺されたのが、前44年頃でローマはここで一応「共和制」が終り、暫くの間「三頭政治」が続き、そしてローマは五賢帝となるのです。これがおよそ百年続き、この時をローマ帝国の最盛期と云われています。この時代にローマ帝国は軍人にゲルマン民族を多く採用、この人物達が時間の経過と共に要職に就き、その傭兵隊長から皇帝が追放され「西ローマ」は滅亡しています。その時代が日本では卑弥呼の時代だったのです。だから当時のローマ辺りと日本とでは文化の差は大きかったと思われます。この当時のローマはギリシャ文化の流れを色濃く表しています。元々ギリシャ文化はオリエント文化の流れで、現在のエジプト辺りが発祥地と云われており、自然の力を「神」としていた様です。現在のユダヤ教も、この当時の場所を発祥地としています。余談ですがカエサルが殺された際、彼と夫婦同様の生活をして居たのが、有名な「クレオパトラ」です。ですからカエサルの死亡で自分と彼との間に出来ていたシーザリオンと云う子供には、財産の分与や地位の譲渡は当然とクレオパトラは期待していたのですが、彼女と子供には何一ツ遺されていませんでした。当時のカエサルは「終身独裁官」で世が安定していれば「世襲」もあった筈だったのですが、殺される事を予感していたのか「遺書」を遺していたのです。それにより彼の実妹の子が「カエサル」の後を継ぐ事になっています。クレオパトラの方は次の夫となった人物がローマと戦い海戦で負けた為、彼女は自殺しています。それが前30年と記録には残っています。丁度この頃、任那(現在の韓国)に日本府を設置した事が資料に遺されています。この様に辿りますと日本文化はローマ文化から二百年程遅れて世に出ています。参考迄ですが中国で「紙」の製法が発見されたのは、前105年で世界で最初ではと云われています。

香茶店“香り不思議発見” Vol. 67

スズラン:谷間の姫百合(英名の意味):清楚な香り
香star 天年堂  稲生宗司
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純白の花、スズラン。葉が蘭に似ていて、花の形が鈴に似ていることからスズランと名付けられた。

・フランスでは5月1日を「スズラン」の日という。
(この日にスズランを求めると1年中幸福であると信じられているという)
・フランス語では「ミューゲ」:麝香から出た名(香りが高いことに由来)
・ギリシャ神話によると、龍と闘い傷ついた若者の傷口から滴り
落ちた血潮のあとにスズランの花が咲いたという。
・和名のスズランは、小形の純白の花が鈴のようにつき、春蘭に
似た香りがするところからきている。(君影草ともいう)
・生薬や製薬原料(強心配糖体コンパラトキシン等を含む)として利用

愛らしい姿がその場を和ませてくれる花、スズラン。
控え目で、相手の幸せを思う気持ちを感じさせる花、スズラン。
春のおわりにスズランの香りを楽しんでみませんか?

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.84

“中米 ホンジュラス買付の旅
オルランド・アリタさん”
写真と文  安達  和宏
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2014年に行ったホンジュラスでの一コマ。中央の笑顔の男性がオルランド・アリタその人です。自分たちのルーツは日本人で、それで”アリタ”と言う名が残っていると親しげに語られます。コーヒー生産者としてスペシャルティコーヒーの素晴らしさとその可能性に賭けたその姿勢は、カッピングの時にセッティングをしたり自らお湯を注いだりと、家族の先頭に立って精力的に動かれます。(頑張ってる〜お父さん^^って感じ)実はこの写真、オルランドさんがSNSのフェイスブックに投稿されたもので、思わず嬉しく懐かしく使わせて頂きました。インターネットの普及で海の向こうの身近になりました〜オルランドさん、僕らは家族ですね!次の訪問が、またまた楽しみになりました!!

むすんで、ひらいて!! vol.24

wakaba201604.jpg「幼児期にこそ早期に指導が望まれるもの」 ④豊かな感情

一般財団法人田中教育研究所 幼児心理カウンセラー  野田 鏡子

先日、一人でお昼のランチを食べに行った時のことです。隣のテーブルに若い夫婦と5歳くらいの男の子が座っていました。夫婦は向かい合って座りしきりに話していて、子どもは父親の横に座ってゲームをしていました。
しばらくすると、注文した食事が運ばれて来ました。父親は小皿に取り分けて子どもの前に置き「食べなさい。」と言ったのですが、それでも、その間一度もゲーム機から目を離すことなく一言もしゃべりませんでした。
最近、こんな光景をよく見かけませんか?時代の変化ではあるのでしょうが「一体子どもの心はいつ育つのだろうか・・・」と、とても気にかかります。
大きな喜びの感情、深い悲しみの感情が希薄になっているように思います。
人間の感情の中で喜びの感情と悲しみの感情が少なくなれば、それに対抗する怒りの感情が強くなると言われています。
怒りの感情は誰にでもあるのですが、それを抑えるのは喜びの感情です。

喜び、悲しみの感情が育たないまま大人になってしまえば信じられないような犯罪や虐待も当然起こりえるのではないでしょうか。
「殺すのは誰でもよかった。」最近の犯罪でよく耳にする言葉です。怒りの感情だけが突出しているようです。罪の意識もあまりないのです。

私は長年幼児教育に携わっていますが幼児教育で何が一番大切かというと快体験、楽しい体験をすることだと思っています。喜びの感情をしっかり育てる。快体験が豊かであれば将来どんな苦難に遭遇しても立ち向かっていけるはずです。
子どもにはいつも楽しそうにキラキラ輝いていて欲しいものです。

久留米文学散歩 vol.40

自得とその時代②

文/増原 達也

だからと云って、あれもこれも信用しないのでは事が前に進みません。この倭人伝の中に「投馬国」と云うのが出て来ます。この投馬国について、現在の日本国内で「説」が10や20は存在しています。その内の一ツに長崎県の彼杵郡の遠目辺りではなかったかと云うのが存り筆者は面白く拝読させられました。理由は「遠目」が少し「なまる」と「投馬」と聞こえるからです。前に記しました様に「また聞き」を日本人ではない人間が「聞き取り」書くのですから、間違いが発生しても仕方がない事だったのでしょう。
この魏国ですが曹操が魏王と称したのは西暦二百十六年でその魏が滅亡したのが二百五十八年となっていますので、在位は40年そこそこの王国だったのです。その間に当時の日本(倭国)に使者を送る位ですから、立国時の野心と云うか望みは大きな国であった要です。
この間に日本(倭国)も使者を送り(二百二十八年)、この時、魏国から「親魏倭王」の金印を貰い、これを称号ともしており、他に「金印紫綬」や銅鏡と絹織物等も貰い帰国しています。そしてこの倭人伝魏国の次の代の「晋」になって作成されているのです。
こんな時代に遺されている「高良神社」若しくは「高良山」ですから、この表記が「高羅神社」で存り「高羅山」であっても不思議ではない筈です。事実「景行天皇」が「西狩」の際に使用された九州での御所は「高羅行宮」とされています。忘れる処でしたが、前出の魏国への使者の送り主は「邪馬台国・女王卑弥呼」となっていたそうです。ですから二〜三世紀にはその国もその人物も存在していたのでしょうが、その書き物は遺っていないようです。若しかしたら「将来」その際の「送り状」のような物と「書簡」が中国の方で発見されるかも知れません。そうすると「倭人伝」より詳しい当時の状況が少しでも判明するのですが。

香茶店“香り不思議発見” Vol. 66

tennendou201604.jpgヨーロッパを中心にした香り(植物の利用)

香star 天年堂  稲生宗司

古代エジプト・シリア・ローマ人は沐浴を好んだ。
ローマの浴場に入る時は「香室」で油を塗り「冷水浴」で摩擦をして、「温浴室」・「熱浴室」(スチームバスの先駆け)に入る。「香壺」に入った「香油」を注ぐ(サウナとアロマテラピーを組み合わせた事が既に行われていた。)
フィンランドでは、「白樺」の精油には、収儉性のスキンローション効果があることが知られていた。
古代も現代も変わらず、香りで「からだとこころ」の「やすらぎとときめき」を!!

掛け香づくり教室
日時/毎週水曜日開催
10:00~11:30
定員/3~6名様 ※要予約
体験料/1人 1,080円

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.83

adati201604.jpg“中米 グアテマラ買付の旅
ラ・ベンディシオン農園”

写真と文  安達  和宏

何度かお伝えしたことのある中米グアテマラの ラ・ベンディシオン農園の一枚。この農園がある”ウエウエテナンゴ”という地域は、メキシコ国境に近く標高1700〜1800mという標高と、この写真にもあるメキシコ側から来る風に霧も立ち上がり日当たりや寒暖の差など絶妙の気象条件が揃います。収穫時期も他の中米に比べると遅く2月から4月中旬です。この様なテロワール(生育環境)を存分に発揮している地域がこの”ウエウエテナンゴ”と言えるでしょう。この農園の他にも、有名なエル・インフェルト農園、モンテクリスト農園、サンタロサ・ブエノスアイレス農園などリッチな味わいのコーヒーが育てられています。今年は新店舗の準備で、収穫真っ盛りこのグアテマラに行けなかったので…来年こそは行くぞぉ!と、もう来年の予定を考えているのであります!!

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