Home > Archives > 2015-12

2015-12

久留米文学散歩 vol.36

漱石の草枕と筑後川⑩
文/増原 達也

そしてこれについてもう一ツ上げますと、「池辺吉太郎」と云う人物の名が存り、住所は「熊本県玉名郡横島村」となっています。衆知の如くこれは池辺三山です。この人物も「二松学舎」出身だったのですが、両者共過去に会った事が存る、などは全然書き遺していません。彼は漱石が朝日新聞に入る際の橋渡しを社命(朝日)でした人で、死亡(明治45年)する迄彼とは付き合いはあっています。勿論「悼辞」は彼(漱石)が書いています。扨この三山氏は池辺吉十郎の子息で13歳か14歳頃に吉十郎と共に「西南戦役に参加」。吉十郎氏はそれが原因で刑死、三山は子供だったので許されています。17歳頃に上京、慶応義塾に入るのですが中退してパリに留学、この時「巴里通信」を「日本新聞」に寄稿して明治29年に「朝日新聞」に入っています。そして翌年「東京朝日新聞」の主幹となり漱石を朝日に向えたのですが、最初は大阪朝日の社主が「草枕」を読み東京朝日にこの話を持ち込み、両社共同で主幹の三山を交渉人として漱石を同社に小説担当の記者として向えています。 漱石は「渡辺君の史論に就いて」の中で、当時の事このように書き、「・・渡辺君の名はその前から承知して知っていたが顔を見るのはその時が初めてで・・」とか「余りに自分の前にいる彼と西郷隆盛が似ているので西郷を連想し始めた・・」
等と書き遺しています。それでは一体「二松学舎」(三期生)の名簿はなんだったのか。考えられるのは入学時年齢はたいして関係なく学費は前納していたが塾には行った事がなかった、と云う事です。漱石は1年程度で中退していますので、その後に三山は通学したのでは、などと考えてもみています。彼の家系も漱石の家系も明治維新では敗者側なのですが、明治維新後には敗者側の方が文学者や他の学者を多く排出しているようです。
「・・独倚禅牀夢美人(独り禅牀に倚って美人を夢む)」これは初期(二十八歳)の漢詩の一部ですが、借金をしてまで座禅に入った彼の気持ちが良く出ています。

くるめ食素材探検 vol.26

ブロッコリー編  「花を食べる野菜、ブロッコリー」
文/靏久 格(産直や 蔵肆)
burokkori201512.jpg
今が旬のブロッコリー。キャベツと同じ、ケールが祖先のアブラナ科であるブロッコリーは、寒さを好み、寒にあたって旨味を増します。

普通、野菜は茎や根っこ、葉っぱなどを食べるのですが、ブロッコリーは花の部分を食べます。あのもこもこは「花蕾」(からい)といいまして、ちっこい花芽なんです。

明治時代にはいってきた野菜ですが、しっかりと食べられるようになったのはここ40年ほどの話。最近ではスティックセニョールなども人気ですね。

まずは、目利きから。大きすぎずキュッとしまっているものを選んで下さい。寒さから身を守るためにキュッと寄り添っているのがいいんですね。

色は淡い緑色。黄色くなってしまっているものは、花が咲きかけているので避けましょう。最後に軸は500円玉大が目安です。

「野菜の王様」と呼ばれるほど栄養素密度の高い野菜。ブロッコリーは特に緑色が濃い緑黄色野菜で、β-カロテンを多く含み、体内でビタミンAとして働きます。また、ビタミンCはレモンの約2倍、ビタミンEはニンジンの約6倍も含まれるそうです。これらのビタミンは体の免疫力もアップさせるので、これからの季節、風邪やインフルエンザ予防にもぴったりと言えるでしょう。最近ではがんを予防する成分として「スルフォラファン」が一躍有名になりました。

ブロッコリーを扱う際、花蕾がボロボロになることはないですか?そんな時は、茎の真ん中に、深く1本切り込みを入れます。そして、切り込みから割くと、花蕾が綺麗にわかれます。最後まで包丁をいれるとボロボロになってしまいますので、切り込みから手で割くのがコツ。ぜひ、試してみてくださいね。

むすんで、ひらいて!! vol.20

「がまんする心を育てる」
一般財団法人田中教育研究所
幼児心理カウンセラー  野田 鏡子
wakaba201512.jpg
時々、スーパー等で床に寝転がって泣いている子どもを見かけます。母親は側で感情を抑えきれず周りの人にお構いなく叱っています。
「今日は、おもちゃは買わないって約束したでしょ!」ますます子どもは泣き叫びます。
「もう勝手にしなさい!」子どもは泣き叫びながら母親の後を追いかけます。

2歳頃になると、親と子どもの間でこういった綱引きが始まり、3歳頃にピークを迎え、これを「三歳児の綱引き」と言います。親と子の間で「してよいこと」「してはいけないこと」の区別をつける時期です。子どもは、癇癪を起してパニックに陥ることもありますが、この時期に子どもの言いなりになり過ぎるとあまり良くありません。子どもの要求ばかり通してしまえば「わがままな子」になってしまいます。

がまんする心は、様々なことが積み重なって形成されます。我慢強い子に育てるには子どものできることから少しずつ積み重ねてがまんの程度を大きくしていきます。また、がまんの発達を形成する上では、親や周りの人との基本的信頼感もとても重要になって来ます。

私がパニックに陥っている子どもをカウンセリングする場合、まず、初めの一か月位は危険なことをする時以外、叱ることはしません。ある程度、信頼関係が出来ると、少しずつ「ダメなものはダメ」をわからせます。初めのうちはそこでパニックを起こすこともあるのですが、その時は、しっかり抱きしめて心が落ち着くまで待ちます。そして、次の楽しみを与えるのです。「あっ消防車で遊ぼうか!パトカーもあるよ!」そうすると、今までのことはすっかり忘れ、スッと変わるのです。それが子どもです。

自閉的な子どもの場合は、特に言葉での理解が難しいので、感情のコントロールが出来るよう教育していきます。

がまんは単に、欲求を抑えるだけでなく忍耐力や困難に耐える力、社会性の根本になっていきます。少しずつがまんする経験をしていくといいですね。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.79

“南米ボリビア買付の旅 PART.3
アグロタケシ カルロス・イトゥラルデさん”
写真と文  安達  和宏
adati201512.jpg
2015年9月5日~13日まで、ボリビアへ買付けの旅に行って参りました。訪問する農園はそれぞれ印象的なのですが、なんと言っても今回のメインイベントはアグロタケシ農園の訪問でした。標高2000mを上回る高地で元々スズやタングステンの鉱山だったこの場所は1967年から国際企業として躍進し、カルロスさんは世界のタングステンの協会の理事長も務められました。ご縁あって国連からコーヒー栽培技術者で有名なジョゼ・ザップ氏がコロイコ(近隣のコーヒー産地)を訪問した際に、現アグロタケシの土地を見て『コーヒー栽培に適しているのでコーヒーの木を植えろ!』と言われたそうです。それを行動に移すところが、やはり素晴らしい起業家精神なのですが、現在は愛娘のマリアナさんが男勝りにこの農園を切り盛りしています。因みにカルロスさんは企業家でもありますが、アメリカやインドネシアの大使を務めるなど公人としてもグローバルな活躍をされていました。ヨーロッパとの通商交渉や隣国チリとの港に関する交渉ではボリビア側の資料を作られたとか…ユーモアを交えてのお話は、我々の心を鷲掴みにします。

香茶店“香り不思議発見” Vol. 62

クリスマスには、没薬(ミルラ)!
香star 天年堂  稲生宗司
kemuri201512.jpg
キリストがお生まれになった時、東方より3人の博士が、持参した宝の箱を開け、黄金と乳香と没薬の3つの捧げ物を献上した。というのは、キリスト生誕にまつわる有名な話。黄金は現生の王、乳香は神、没薬は救世主(医師)を表している。
没薬はカンラン科の没薬樹の樹皮から滲出する樹脂。
香りは乳香に比べて刺激の強いピリッとしたもの。没薬は香料であるとともに薬として広く使用され、古代エジプト人はこれを寺院で焚き、また、死者の防腐保存に用いた。

ミイラづくりに使用 語源はミルラ
黄金より高価!で、刺激の強いピリッとした香り
エジプトのお香キフィの調合に使用
殺菌が強く、口腔剤・うがい薬に使用。

Home > Archives > 2015-12

Search
Feeds
Meta

Return to page top