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2015-06

くるめ食素材探検 vol.21

とうもろこし編  今が旬です「とうもろこし」
文/靏久 格(産直や 蔵肆)
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ちょっと田舎のほうにいくと道端で焼いていたり。お祭りの夜店でよく売っていたりしますね。
最近では「生でも食べられる!」とシルバー系の品種も見かけることが増えてきました。
粒の状態で缶詰で売ってたり、スープなどにとなじみの深いとうもろこし。実は日本は輸入大国なんです。

なんと年間1500万トン。毎日4万トンでございます。その八割は牛や鶏などの餌。残りの二割はコーンスターチ、液糖などへと加工されます。

ポップコーン用ってのは別な品種でございます。通称「爆裂種」普通のとうもろこしを乾燥させてフライパンで炒ってもポップコーンにはなりません。経験済みでございます。
生の場合、皮付きのまま売っているので実の入り具合がなかなかわかりづらいのですが、ひげの数が粒の数ですんで目安にどうぞ。鮮度命!なんですが、数日食べないときは新聞にくるんで立てて保存!

とうもろこしのゆで方、いろいろございますが、
1.水からトウモロコシを入れて、沸騰してから3分茹でる。
2.火を止め、辛いくらいの塩を入れて4分絡める。
3.ざるに上げたら、ラップですぐ包む。
注意 皮は茹でる直前に剥く。ラップで包む時は、火傷に注意。
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うちでも試してみましたが、これはもう今まで僕は何をしていたんだろうと思うほどの出来上がり。トウモロコシの本気が味わえること間違いなしです。一度お試しください。

むすんで、ひらいて!! vol.15

「幼児期に育てておきたいこと」
④数能力の発達
一般財団法人田中教育研究所
幼児心理カウンセラー  野田 鏡子
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最近、特に気になるのが小学校3・4年生になって算数が苦手という子が多くなって来たことです。
算数・数学においては、数学的能力・図形的能力の二つの能力に思考力が加わり推理力が生まれ、初めて算数のおもしろさが解り数学に強い子に育ちます。
数の理解のはじまりは、生後3か月頃にお母さんのお乳が2つあることに気づいてもう一方を探す行動が芽生えだそうです。
1、2、3と言えるいわゆる数詞は2・3歳頃からで、一般的には3歳で5まで、4歳で20まで、5歳で30まで、6歳で50まで位です。
目の前の物を正確に数える計数は、3歳で4まで、4歳で5まで、5歳で10まで、6歳で20まで、計数は数詞より少し遅れて発達しますが、小学校に入る頃にはほぼ同じになります。
数字が読めたり書けたりするのは、あいうえおと五十音を言うのと変わりなくあまり数能力と関係はないようです。

では、どうすれば本当に数能力が高い子が育つのでしょうか。
幼児期は全て遊びから学んでいきます。今日はその教材の中から双六を紹介します。写真は子ども達が一番喜ぶ私の手作りゲーム盤です。
3歳では1~3までのサイコロ(ゲーム盤はもう少し小さくされた方が良いでしょう)、4歳では普通の1~6までのサイコロ1つ、5歳ではサイコロ2つをつなぎ数え、6歳では一方を数字サイコロ(0~9までの10面サイコロ)と6面サイコロを合わせて数えます(この時は数字の方から数えます)。

このように、成長に応じてサイコロを変えていきます。幼児期にこんな遊びを十分に経験して数に対する興味と楽しさと意欲を育てると、きっと算数が大好きになるでしょう。
是非、お父さんお母さんの手作りのゲームを作って下さい。

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材料(広い紙、マイタックシール、絵本などの切り抜き)

久留米文学散歩 vol.31

漱石の草枕と筑後川⑤
文/増原 達也

発心公園に着いた事は事実です。只この時の道路状況は現代とは全然違っており、案内人が居るか、人力車のように地元を知った者でないと追分から発心公園迄は無理ではなかったでしょう。この道を歩いて判った事ですが、彼が歩いたであろう時間帯は丁度太陽が耳納連山から顔を出し、これが正面になる為、光が目を射して歩き難い事です。勿論彼が最初から、この事を知っている分けありませんから、この3月28日は虎雄の家を出る時から終日の約束で人力車を雇っていたのではないでしょうか。そして発心公園を見物の後、冨多坂の対岸まで人力車で行ったと思われます。この当時は現在のような橋はありませんので、「ロープ」が対岸まで渡してあり、渡る人、すなわち客が来ると大声で舟を呼んで渡ったと地元の方が話していました。橋が出来たのは終戦後、この様な鉄の橋になったのは最近ですと老人は付け加えていました。公園での句は
松をもて囲いし春の桜かな
これがその句なのですが、前の「菜の花…」と「筑後路…」には「承露盤」と付記ていますので、これら作品は子規が目を通し筆を入れた可能性が存ります。只漱石は自分で発句した作品は総てと云って良いほど子規に送っていますので、この句も子規が筆を入れた事は充分に考えられます。
現在でもそうですが、少し上に登ると公園からは「筑後平野」が一望出来ます。それに筑後川まではゆるやかな下り坂です。その筑後川を渡った処が御井郡冨多村です。現在は三井郡大刀洗町冨多です。そこに漱石が「二松学舎」当時の級友が住んでいたのです。現在この学校は「二松学舎総合大学」となり、最近は高等学校の部は野球が強く有名にもなっています。本来この学校は、「漢学」の「塾」で、歴史は可成り古いようです。漱石は明治14年に入学しているのですが、
「今からは英語の時代だ」
と実兄から忠告され、翌年には退学しています。

香茶店“香り不思議発見” Vol.57

涼しい ! 焚いてミントわからん !
〜しませんか? 節電対策
香star 天年堂  稲生宗司
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世界でもっとも人気の高い香りはミント
体感温度は4℃下がる。夏バテで食欲がない時、ダルくてやる気が出ないとき、メントールは人の感覚神経にある冷感受容体に作用するため冷たさを感じる。
たとえば寝苦しい夜は、スッキリとした涼しい香りの匂い袋を枕元に置いて爽やかに!逆にエアコンが効きすぎるときは、甘さのあるやさしい香りをお部屋に置けば、ホッとした気持ちを感じます。また、外出で暑さがつらいときは塗香という粉を少し手につけて顔まわりに近づければ、周囲に香りを振りまくことなくリフレッシュできます。前回ご紹介した「白檀」は寝苦しい夜にその香りを焚くことで、すっ〜と睡眠に入れますよ。天年堂ショールームには、白檀をはじめミント系や柑橘系の香りのお香や香りグッズもあります。まずは試してミント ! わからん !

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.74

“2015 グアテマラ バケリート農園”
写真と文  安達  和宏

グアテマラのバケリート農園でのカッピング風景です。コーヒーのチェックと同時進行で奥の台所では、農園主のママが自慢の手づくり料理を準備されています。鍋やフライパンなど壁に並べられたて様子やその段取りだけで、いかにもお料理上手な香りが漂ってきました。カッピング後に食卓に運ばれた料理は自家栽培の野菜たちを存分に使った素朴な料理。決して豪華絢爛とは行きませんが、お決まりのトルティーヤ(トウモロコシで)やフリホーレス(豆料理)、特に炒めた茄子等の野菜の美味しさは素材の味が際立ち嬉しいのです。言葉少なに私たちの食っ振りを見守る姿は、この農園で働く人たちの健康も支えているんですね。ママ…ご馳走さまでした!
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久留米文学散歩 vol.30

漱石の草枕と筑後川④
文/増原 達也

現高良山茶屋の右側の処に石柱が建てられており、それに従って進むと追分口に出ます。現在は人が余り通りませんので、道が判然としなくなっています。この石柱は明治13年10月建立として存りますので、彼が一人でしたら、必ずその石柱を看ている筈です。石柱には「左」と大きな字で彫られ、下が「太宰府」「善導寺」「追分」と彫られ、その下に上の「左」の字程の字で「道」とあります。その位置は階段下の「大鳥居」を背にすることになります。
余談になりますが、明治29年に「青木繁」(画家)が、その階段を正装した神主が上って行くのをスケッチしたのが遺っています。それに依ると明治29年の時点では階段下の大鳥居は階段上にあったようです。
それと石柱の「善導寺」には下に「寸」がありません。この「寸」について調べてみますと「宗教的」になるところには「寸」を付ける風習が存ったと物の本には記載されていました。そしてもう一つは、この手紙の中に存る
「…高良山に登り夫より山越を致し発心と申す処の桜を見物致候…」
の文面です。この山越を致し…を耳納連山を縦走として「発心」に至ったと地元の人は解釈しています。漱石の表現にも少し変な処も存るようですが、高良山の第二鳥居から大社に着いて鳥居下の石柱に沿って歩いたとすれば「物理的」には「…山越を致し…」の表現になる可能性は存りますが富士山を登った人には少しオーバーではなかったでしょうか。知らせる相手がその場所に来ない事が確定していれば、そのようになるのでしょう。出張の報告書が、これに近い物です。この傾向は昔から存るらしく「魏志倭人伝」の中でも魏人の訪倭(現在の日本)の報告書の「山行、水行、歩行」等を寄せると、当時の倭国を通り越して、今のサイパン近く迄の距離になると遺されています。それだけ「大変だった」の強調でしょうが、漱石にもその気持ちがはたらいたと云う事かも知れません。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.73

“2015 グアテマラ
サンタ・イサベル農園 焙煎作業”
写真と文  安達  和宏
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今年も早いもので、もう半分を過ぎようとしています。撮りためた写真を整理していたら、思わず苦笑いの一枚が出てきました。各国の農園ではコーヒーを栽培し生豆を国内外へ出荷するだけではなく、自社で焙煎機を持ち焙煎したコーヒーを商品として出荷する農園もあります。スタッフの奥に鎮座する古い焙煎機は一回の焙煎で7〜8kg投入出来るそうですが、焙煎担当の彼は「俺は12kg入れて焙煎できる!この方が効率いいだろう!!」鼻息荒く捲し立てます。一般的には釜のキャパシティより少なめに入れて焙煎する方が良いとされていますが、そんな理屈もどこ吹く風です。オーナーも「彼がそう言うから良いんだろう…」てな感じ。彼らには栽培に情熱を注いでもらい、焙煎はこちらに任せて頂こうと思った次第であります^^

香茶店“香り不思議発見” Vol.56

白檀を身体に塗ると涼しくなるゲナ(古代インド)
香star 天年堂  稲生宗司
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掛香の雨読に飽けばよく匂ふ 水原 秋桜子
梅雨籠り、くつろぎ読書に耽っている。ほっと一息庭の緑に目を移すと、相変わらず雨脚は白く強い。ふと気づくと、柱にかけられた掛香が常よりも匂う。暫くは瞑目して香に心遊ばせている作者である。
梅雨とお香、実は相性がよく、おすすめの香りは「白檀」。
エアコンの近くでお香を焚くと、香りのやわらかな煙がお部屋にゆったりと漂って爽やかに。
古代インドでは、白檀を身体に塗ると涼しくなることが知られていたそうだ。
*白檀…香木の1種。沈香と異なり常温でも甘く爽やかな香りを発し、特に幹の中心部に香りの強い部分がある。
参考(引用文献):「秀句三五〇選 25 香」 渡部 恭子編
「香りの博物誌」  諸江 辰男著

くるめ食素材探検 vol.20

小麦編  『黄金色に染まる季節』
文/靏久 格(産直や 蔵肆)

筑後平野は秋に種を蒔き、冬の寒さに耐えて育った「麦」で黄金色に染まっています。本格的な梅雨前に迎える収穫時期。米との二毛作で農家さんも忙しそうです。作付け面積では福岡が北海道に次いで二番、佐賀とあわせた筑後平野で全国の一割強を担っております。そんな「麦」のお話。
二年ほど前、1世帯当たりのコメの消費額が、パンに追い越されたと話題になりました。もちろん数字のトリックなどもあるのですが、「瑞穂の国」と称された日本にそこまでなじんだ小麦。
麦自体の歴史は意外と古いのですが、「粒食」主体だったころは「大麦」や、日本の在来種でもある「裸麦」が主流、お米と混ぜる雑穀扱いで、粉にして使う「小麦」はうどん、素麺、麩など。あとは味噌や醤油の原料程度でした。

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本格的な小麦の利用は大正以降。カステラ、ラーメン、ケーキ、ビスケット、スパゲティなど洋風の食事に馴染み需要も拡大していきます。
生産量を見てみますと、元祖EUがトップ、僅差で中国、三位以降はインド、アメリカ、ロシア、カナダと続いていきます。全世界で約7億トン、国内消費量は600万トン前後。そのうち国産は80万トン前後です。輸入は差し引き500万トン強となりますが、ざっくりアメリカ300万t、カナダ100万t、オーストラリア100万tというところでしょうか。
最近ではラーメン専用の「ラー麦」や、うどん専用の「さぬきの夢」などの専用品種も出てきています。筑後もうどんがラーメンと並びよく食べられますが、主原料はオーストラリア産です。オーストラリアの人たちはうどんを食べる習慣はありませんが、品種改良を重ねて和風麺に合う小麦品種ASWを開発、栽培してくれています。
「新米」ならぬ「新麦」に切り替わるのは収穫からしばらく経った秋口の9月頃。乾燥、調整、品質が落ち着くように少し寝かせるそうです。お米とはずいぶん違うもんですね。米は主食なので政府保管米がありますが、輸入小麦は二か月分の備蓄が製粉会社に義務付けられているそう。 これから、いや年中美味しいビールには二条大麦、麦茶には六条大麦が主流です。麦畑、お見かけの際はどの麦かな?とじっくり観察するのも面白いかもしれません。
八女の「田中製粉」さん、創業は宝暦年間といいますから二四〇有余年の歴史。福岡県産の小麦を丁寧に挽いておられます。「かめ印」ブランド、お見かけの際は、ぜひ。
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田中製粉さんの小麦を使っている
福岡市のパン屋「アルティザン」

むすんで、ひらいて!! vol.14

「幼児期に育てておきたいこと」
③しつけについて
一般財団法人田中教育研究所
幼児心理カウンセラー  野田 鏡子

『自然は暴れる子どもに対して、いくら暴れても無駄だということを悟らせます。子どもは木を叩きます。自然はびくともしません。そこで、子どもは木や石を叩くのをやめます。
次に、母親が子どもの欲しいままな欲望に対して、がんとして応じません。子どもは暴れたり叫んだりします。母親はそれでもびくともしません。子どもは叫ぶのをやめます。子どもはだんだんに母親の意志に自分の意志を従わせることが出来るようになります。
忍耐の最初の芽が、服従の最初の芽がこうして育っていくのです。』
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「教育の父」ともいわれるペスタロッチ(スイス)のゲルトルート児童教育法は、現代でも教育の原点とされています。
「だめなものは だめ」と規則(教師や親への尊敬の念・国家や伝統への敬意・ものごとの善悪や勧善懲悪《良い行いを勧め、悪い行いを懲らしめる》の精神・いじめの卑怯さなど)を守る気持ちを持たせきちんと教えていけるのは親しかいないし、親の責任でもあります。
そして、その土台は乳幼児期から始まり、高校生になる頃にはほぼ出来上がっています。
一つひとつ丁寧に教えていきましょう。

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