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2014-03

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.59

“2013グアテマラ サンタロサ ブエノスアイレス農園”

写真と文  安達  和宏

coffee-140328.jpg 今年も中米は収穫シーズン(12月〜3月)となり、我々も買付けの旅で慌ただしい季節となりました。買付けでは収穫されたばかりのコーヒー豆をカッピングで評価/吟味し、対象ロットの選択と買付け価格を決めていきます。また、農園の近況や新しい取組み等の情報収集も重要な仕事の一つです。今すぐ結果が出なくとも数年後に形となったり、現場に行けばこそ分かる諸問題や有望情報があるからです。この写真は昨年グアテマラへ行った際の一コマで、コーヒーの苗床の光景です。風味特性の違いや病気への耐性のある品種など数年後の為に品種事に分けられ、植え付けの時期を待っています。それらの一つひとつに農園主のノウハウが有り、その土地や気候に合った品種/栽培法を日々探求しているのです。今年も3月末からグアテマラとホンジュラスへ買付けの旅に出ます。素晴らしいコーヒーや生産者の皆さんとの再会がとても楽しみです。

香茶店“香り不思議発見” Vol.42

「花・華・葉菜!!! 〜くるめの春の香り風景〜 」

香star 天年堂  稲生宗司

花咲き誇る春。久留米にはこの季節、梅林寺の梅、筑後川の菜の花、森林公園のつつじ、そして桜やさつき等。

春の訪れを知る薫りに沈丁花がある。沈丁花という名前は、香木の沈香のような良い香りがあり、丁子(ちょうじ、クローブ)のような花をつける木、という意味でつけられた。

天年堂でも沈香、白檀の香りはもとより、季節のお花の香りをご用意させていただいている。香りを“聞き”に天年堂店舗「香木堂」へおいでになってみませんか?

(香道の世界では香りは嗅ぐとか匂うとか言わず“聞く”といいます。)

tennen-140328.jpg花の香 五種セット

¥2,500(税別) 単品 ¥500(税別)

リラ、金木犀、バラ、すずらん、水仙

※単品ではコスモスもあります。

※4月より発売予定〈ご予約受付中〉

久留米文学散歩 vol.16

檀一雄編②

文/増原 達也

bungaku-140328.jpg その「セールスマンの死」(滝沢修・ウィリー)の妻役の細川ちか子が入院、急遽代役リンダに杏子が選ばれたのです。現代の若い人はご存じないでしょうが、この当時の滝沢修、千田是也、杉村春子等と謂う人は演劇界の大御所であり、舞台で彼等の相手役をするのは、一流の役者になったあかしとなっていたのです。この「セールスマンの死」で主役のウィリーが死亡、その葬儀で妻リンダが悼辞陳べる場面があるのですが、リンダ役の杏子は一雄の死とダブって、本当に泣きながら台詞にならなかったと、後日、書き遺しています。その後、杏子がどのような人生を送られたかは遺っていません。尚、杏子さんは「火宅の人」(一雄の小説)では矢島恵子で、本名は「入江久恵」と云い大阪出身の昭和2年生まれです。

扨、当の一雄ですが、明治45年、すなわち大正元年生まれで本来福岡県柳川市沖端の出です。只、実父参郎が工業学校の教師に就いていた関係で、父の任地、山梨県の方で生まれていますが、5〜6歳の頃、父の勤務先が福岡工業学校になった為、一度福岡の方に帰って来ています。しかし直ぐ参郎が弘前工業学校に転勤になり、この時は実母(トミ)の実家、三井郡国分村(現久留米市野中町)に預けられ、そこから、当時の国分小学校に通っています。この小学校は、男、女が別の場所に建物が存り、その境になっていたのが「堂女木池」(現在でも存在)で、その縁に座って「女子校の方を良く眺めた」と、彼はエッセイに書き遺しています。この時は、そんなに長く国分村には居なかったようですが、大正9年に実母(トミ)の父が死亡した際の帰郷では大正12年頃まで現在の久留米市に居たようです。それに参郎とトミは大正9年の時には二人の仲は崩れており、離婚は時間の問題となっています。正式に離婚になったのは大正12年です。その間トミは一雄や子供達を残して家を出ています。

くるめ食素材探検 vol.7

梅編「保存食・健康食のNO.1」

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

shokuzai-140328-1.jpg 日本人にはわりとご縁のある果樹といえば「梅」 いや、ちょっと強引だなというのは書いてる本人が承知の上ですので・・・。でも梅干といえば日本を代表する漬物ですし、いい塩梅(アンバイ)、元々はウメと塩による味付けがうまくいったことを示した言葉だったりします。

産地としてはやはり紀州和歌山が有名で日本の生産量の約半分、筑後地方では八女、立花かな。日田大山のあたりも有名ですね。一口に「梅」といっても百ほどの品種がありまして、有名どころでは南高(なんこう)や白加賀など大粒で果肉が厚く、梅干用として人気の高い品種です。ちなみにこの南高、和歌山県立「南」部「高」等学校の先生が梅の優良品種調査に尽力されたために高校名を由来としております。

鶯宿(おうしゅく)はあまり聞きませんが、梅のエキス用としてメジャー、小梅だと甲州などが有名ですね。近所の人からもらったので梅干つけてみたけど、いっちょん美味しくなかとばってん・・・という方、観賞用の品種、という場合もありますのでご注意を。最近では梅酒をつくったあとにハチミツに漬け直して販売されていたりしますね。

これからだんだんと気温も上がり、花見などお出かけの機会も多いと思います。お弁当箱のすみっこに梅干をひとつ入れるのも食中毒予防の知恵です。ちょっとおなか痛いなー、調子わるいなー、というときには梅のエキスや梅醤番茶がお助けしてくれます。

shokuzai-140328-2.jpg先日、八女市黒木町笠原に、梅の木を植えていただきました。一昨年の水害で耕作断念となった土地です。あと5年もすれば梅が収穫できるかな。次の世代へのバトンタッチも視野にいれて、お世話していきたいと思っています。

*梅醤番茶の作り方:湯飲みに梅干ひとつ、醤油ひとさしいれて、熱い番茶を注ぎます。箸で梅干をつぶして出来上がり。毎朝、朝食前に飲むといいですよ〜。

香茶店“香り不思議発見” Vol.41

「耳納の香りを世界へ発信!」

香star 天年堂  稲生宗司

tennen-140307-1.jpg 久留米市の木は「久留米つばき」。久留米つばきは約300年前、シーボルトが久留米つばき「正義(ドンケラリー)」をヨーロッパに持ち帰り世界中に広まった。

この頃、全国初の試みとして、福岡県の新しい育成品種で香りつばきが誕生したとのこと。その名も「耳納の香」、約8年間の育種育成をかけた新品種で、大輪(10cm)、八重咲き、柑橘系のほのかな甘い香り、美しい絞りの花弁と今までにない久留米つばきだ。2010年「国際ツバキ会議」を記念して「正義」をイメージしたお香を開発、この「耳納の香(新種のツバキ)」を私としては、色々な方々のアイデアを採り入れて「久留米の香り」として世界中に広めたい、一緒につくりませんか ! アイデア募集中 !

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コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.58

“エルサルバドル フェルナンドさん

グアテマラ ポールさん と一緒に”

写真と文  安達  和宏

coffee-140307.jpgSCAJ日本スペシャルティコーヒー協会のコンファレンスでの一枚。 違う国の生産者と一緒になれるのは、コンファレンスの良いところで珍しいショットになりました。偶然にもお二人は生産者であり高品質のスペシャルティコーヒーの栽培技術を持ちながら、エキスポーター(輸出業)の仕事もされ同じく優れた生産者の豆を私たちに紹介してくれます。生産者の情熱を上手くビジネスとして繋いでくれる彼らのお陰で美味しい珈琲が飲めるんですね。この2年間で3回行ったグアテマラ、エルサルバドルにはCOE審査員として4月にも行く予定です。お互いの珈琲づくりへの情熱と信頼で築かれた関係はサステナブル(持続可能)というキーワードでも結ばれています。

くるめ食素材探検 vol.6

菜の花編  「眺めて綺麗、摘んで美味しい。」

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

shokuzai-140307.jpg 三月は菜の花のお話。筑後川の河川敷、きれいですね。花が咲く前のものを摘んで、おひたし、てんぷらなんかにしても美味しいですね。

すでに花粉症の時期ではありますが、こういう「花芽」がついたものを積極的にとると症状が軽減されることもあるようです。つくし、ふきのとう、いずれも初春の恵みです。

菜の花は「アブラナ科」に分類されます。カナダからオーストラリアまで世界各地で栽培されています。種を絞ったものが「菜種油」 世界的に見れば3番目、日本では生産量の六割が菜種という馴染み深い油です。年間240万トンを消費する大半がカナダからの輸入で、自給率は0.1%ほど。日本では遺伝子組み換えではなく、品種改良により現代の食生活にあった菜種を開発してきましたが、輸入品の大半は遺伝子組み換えの菜種です。

熊本名産「からしレンコン」、からしもアブラナ科ですが、揚げ油も菜種油が主です。あれ、表面が黄色なのって揚げ油の色なんですね。てっきり芥子の色がでてるもんだとばかり・・・。

甘木駅前の「平田産業」さんは非遺伝子組み換えのオーストラリアと産地契約、圧搾法と「湯洗い」という手間の掛かる方法で精製した菜種油をつくっておられます。小さなロットで地元の生産者のナタネも絞る志あるメーカーさんです。

久留米文学散歩vol.15 檀一雄編(1)

bungaku-140307.jpg 「虎落笛 いく夜虎落らせ 花に逢わん」

これは檀一雄氏の辞世の句です。只、この時、これが最後の句になるとは、本人は思っていなかったと思います。亦、この句の下の句は、妻ヨソ子が腕を支えて書かせたと云う事情も存ります。

これを書いたのは昭和50年12月28日で、彼が死亡したのは同51年1月2日午前10時38分ですから、この点からは辞世の句と云えるでしょう。

この「虎落笛」と云うのは、竹を斜めに切って、その「口」を風が通る事で音が出る事を楽しむと云われており、日本では茶室の垣根等に利用されていたと伝えられています。この時「ヒュー」と低い音を出すそうですが、この「ヒュー」が一雄の恋人「入江杏子」の徒名であったそうです。事実、一雄が杏子に送った書面や手紙には

「Hyu様」

との筆跡が多く遺されています。

もう一ツは昭和50年11月7日に、この杏子が一雄を病院に見舞っているのですが、勿論ヨソ子さん(一雄の本妻)の居ないときです。この時、杏子が帰りに病室のドアを閉めながら、

「また来ますね」

と云って、ドアを閉めたのですが、彼女は、

「今生の別れ」

のつもりだったのを、一雄は言葉通りに

「近い内に、また来ます」

と受け取っていたようです。

この事はヨソ子夫人も

「夫は杏子さんが来るのを待っていました」

と後日書き遺しています。

そこは夫婦で、一雄が口に出さなくても、ヨソ子夫人は感じとって居たのでしょう。

この入江杏子さんは、日本で有名な「民芸劇団」の女優さんで、一雄が死亡する位までは、あまり売れていなかったのですが、丁度その頃その劇団が、主演滝沢修で「セールスマンの死」を掛けていたのです。

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