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2013-12

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.55

“2013ブラジルCOE 審査会 シティオ ダ トーレ農園”
写真と文  安達  和宏

coffee201312.jpg2013年10月11日 ブラジル
カップオブエクセレンス審査会にて
カルモデミナスで開催された審査会は、前号コラムで紹介したジャックスさんの会社(カルモコーヒー)が地域貢献を目的に運営するスポーツクラブが会場でした。そこは、田舎の山の中にあるのですが、プールやグラウンドを持ち子供達から大人まで利用しており地域の人に豊かな生活を提供しています。彼らはコーヒーづくりと供に地域づくりにも熱心なのです。そして、その会場から近くに写真のSitio Da Torre=シティオ ダ トーレ農園のオーナー、アルヴァロさんのお宅が在ります。彼もカルモデミナス生産者の重要メンバーの一人ですが、コーヒーづくりの話しになると目の色が変る程、情熱的に語られます。審査会の期間は毎日こちらで昼食のお世話になりました。カルモデミナスのシティオダトーレ、12月のおすすめブラジルです!

香茶店“香り不思議発見” Vol.38

「旧約聖書に載っている、世界最古の香料:乳香」
香star 天年堂  稲生宗司
tennen201312.jpg どうしても、体験したいことが二つあった。南半球でのクリスマス。南半球での、水道の渦の回り方。
丁度良いタイミング。プロポーズ無しの結婚式の日程とハネムーンの旅先決め。
12月19日がその日であり、新婚旅行先がオーストラリアである。さあ待ちに待った南半球のクリスマス。オーストラリア国内線での出来事。ちゃんとした服を被ってのサンタさんが「メリークリスマス」と言って、機内に入ってきた。サーフィン姿のサンタさんじゃなかった。ホテルの洗面所で実験をした。どうも渦の巻き方は、北とは違う・・・気がした。
12月の香は、「乳香」である。キリスト教圏・イスラム教圏の人々は皆、これが好き。プレゼントでよく売れる。NHKBSの世界遺産のTVで「オマーン国の乳香」をやっていて、NHKさんにどこで売っていますか?オマーン大使館にも同じ質問あり。どちらも「久留米の天年堂さんです」とのことで、連絡が途絶えなかった。脈絡のない話だが。

くるめ食素材探検 第1回 後編

「幻・・・になりつつある食材、そして幻になった食材」
文/靏久 格(産直や 蔵肆)
maboroshi201312-1.jpg 古処山系の中腹にある寺内ダム。筑後川水系では二番目の高さを誇り、1978年(昭和53年)に完成しました。水は福岡市へとパイプを伝って送られます。また、古処山系と黄金川の間を走る大分自動車道。こちらは1987年開通です。

秋月の豊かな山々、そこに降った雨が木を伝って地下にしみ込み、朝倉の平野を潤し黄金川の源流となっていましたが、その水量は寺内ダムの建設、高速の開通と共に徐々に減り、現在ではほぼ24時間井戸から電動ポンプで地下水をくみ上げ、黄金川の水量を維持しているそうです。ポンプの電気代だけで月に30万円ほど。この黄金川で代々スイゼンジノリの栽培、加工を営んでおられる遠藤金川堂の負担です。残念ながら10月10日を持って従業員を全員解雇、ポンプも月末でとまるそうです。
maboroshi201312-2.jpg 川の近隣に住宅街ができ、甘木朝倉が発展していくにつれの水質悪化もあり、生産量は2000年頃で180トンあったものが、今では25トン内外とのこと。
いつまで、私たちはかわたけを楽しむことが出来るのでしょうか。
環境省レッドリストによると、スイゼンジノリは「絶滅危惧種IA類」あと一歩で絶滅、というところまで来ています。
スイゼンジノリの学名は「サクラン」といいます。「聖なる」を意味する学名の”sacrum”は、これを発見したオランダのストリンガー氏が、この生息環境の素晴らしさ、清明さに驚嘆して命名したものだそうです。ぜひともこの環境を守っていきたいものですが、水源の保護、絶滅危惧種の保護という大事業を一企業になんの支援もないままお願いするのは、あまりにも無理。朝倉市、福岡県の公的な支援が始まりましたが、やはり一人ひとりが身近な環境に配慮して毎日を過ごしていく「積み重ね」が大切ではないでしょうか?国分の苔田の轍を踏まないように、同じことを繰り返さないように・・・。

久留米文学散歩 夏目漱石編(11) 其の弐

bungaku201312.jpg だからでしょう。漱石が鏡子と結婚する前後に交際のあった女性は、どの人物も一芸に秀い出ておられます。菅虎雄の一番下の妹順子さんは、今でも「書」が遺る書道の大家です。亦小天で知り合っている那美(本名卓)は、「薙刀」の名手でのあり、晩年は「孫文」の秘書として活躍もしています。漱石が五高に在職中、彼女は「小天」周辺の案内をしています。だから宮本武蔵が岩穴に籠り書き上げた「五輪の書」を完成させた洞窟は那美さんと二人で行っています。この辺の事は「草枕」に少し書き遺されています。この頃には、すでに死亡されていますが「兄嫁」に「登勢」と云う人物が居たのですが、兄の死亡で登勢が一人身になった際、この人の処にも良く漱石は行っています。併し登勢の死亡により、東京から一日も早く離れたい為、中学校の教師になったと云う説も現在迄遺っています。その外にも彼の片思いの「眼科医の女」も後々まで伝えられています。彼が偉くなった為、小さなことも大きくなって伝えられたのかも知れませんが、今にして思えば、どの女性も鏡子さんとは大きく違っていたようです。
漱石は「修善寺の大患」の後、一人で京都に行っています。勿論、女性(多佳女)に逢いにです。この時、京都で俳句を何句か詠っています。前句のある句から
木屋町に宿をとり川向の御多佳さんに(一句)
春の川を隔てて男女哉
その外に
紅梅や舞の地を弾く金之助
金之助は、祇園の芸妓の名前で本名は梅垣きぬ。この多佳女は祇園大友の女将、本名は磯田多佳で、舞の方の名取でもあった為、自分の弟子には全員漱石の作品から名を取り襲名させています。この時は大正四年の春の終りで漱石自身が死亡する一年半程前の出来事です。ここに鏡子が乗り込んで来ます。

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