Home > Archives > 2013-06

2013-06

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.49

“グアテマラ エル・プルテ農園 Finca El Plute”

写真と文  安達  和宏

coffee201306.jpg

2013年3月グアテマラの買い付けにて

グアテマラシティを見下ろす、フライハーネス(パレンシア)という地区(標高1800m)にこのエル・プルテ農園はあります。農園主のフアンさんと奥様のアントニアさん、左端がエキスポーターのオルガさんです。毎年、買い付けている農園なのでもうお馴染みですね〜チェリーやチョコ、まろやかでワインを思わせる豊かな香味は深く焙煎しても(当店は全体的に深くないので・・・)際立った美味しさを持っています。そんなエル・プルテですが、訪問時の休憩時間におもてなし頂いたドラゴンフルーツの美味しいこと!思わず「この甘さは食べんとわからん!わからん!!」と唸ってしまいます。 日本で食べるそれとの違いに驚きですね〜 コーヒー豆も一緒ですが、やはりこの地域だから出せる味わいと云うか、テロワールというか・・・天の恵みがあるんですね。今年も美味しいグアテマラが買い付けられました。ご期待下さい!!

香茶店“香り不思議発見” Vol.32

「桂皮削減??は侵略の正論にあり!!」

天年堂  稲生宗司

kaori201306-1.jpgkaori201306-2.jpg

「アラビアにはフェニックスという540年も生きる巨鳥がいる。死期が近づくとシナモンの小枝と乳香で巣をつくり、その中で死ぬ。するとその骨髄から虫が誕生し、雛となり。シナモンの小枝と乳香製の巣を祭壇まで運び神に供える」―プリニウス自然史より。

このシナモンは、健胃剤・解毒剤・鎮痛剤・風邪薬・消臭剤という効用があり、お香や香水・スパイスにも使用される。

前回御茶の話をしたが、紅茶で有名なセイロンは、16世紀から19世紀まではシナモンの島として知られていた。

現在は、自生のものはほとんど無い。インドの胡椒確保に成功したポルトガルはセイロン南部のガレという町を貿易の拠点にして城塞を築いて、原住民の侵入を防ぎ、強制労働をしシナモンの集荷に酷使した。ポルトガルの次にオランダ。オランダの次にイギリスに支配され、1948年の独立で漸くヨーロッパの支配に終止符が打たれた。

日本では、次の人の為に少し残すのが山の掟。これが正論??か。

夏目漱石編(6) 久留米文学散歩

文/増原 達也

bungaku201306.jpg

この時、漱石は春畦と邂逅出来たか、どうかは、両者共に書き遺していません。只、漱石が、この類、二松学舎の同期生の名簿で逢って昔話しをしたとは誰れの場合も遺していませんが、その土地が指定できる短歌は遺しています。春畦の場合は

拝殿に花咲き込むや鈴の音

と云うのが存り、春畦の家から歩いて数分の処が「老松宮」で、それだろうと思われる句がこの句です。この神社の近隣人は、この神社は江戸時代から存ったのではと、教えてくれました。もう一ツ春畦の家の近くには「大堰神社」が存りますが、この神社は「大正五年」頃の建立の為、漱石が当地を訪問した時期とは符合しません。

例えば大分県の宇佐には二松学舎の時の同期生が二人居る事になっています。これには明治三十二年になって正月早々から出掛け、

宇佐に行くや佳き日を選む初暦

宇佐八幡にて

兀として鳥居立ちけり冬木立

の句を遺し、

小 倉
うつくしき蜑の頭や春の鯛

これには名簿に福岡県企救郡小倉宝町、中原慶太と云う者の外、九州には五、六名の名と住所が存り、これにともなう俳句もあります。宇佐に行った際は行く時も帰りも筑後地区経由で行っているようで、岐路は「日田に入る、大分方面からの峠で馬から落ちて、その馬に蹴られ」(前句)

馬に蹴られ吹雪の中に倒れけり

と謂う句も遺しています。
この時、すんなり久留米まで帰る事が出来なかったようで

吉井に泊まりて
なつかしむ衾に聞くや馬の鈴

この当時は蓆穂の舟が筑後川を上下していたようで、

蓆穂の早瀬を上る霰かな

の句を遺しています。

Home > Archives > 2013-06

Search
Feeds
Meta

Return to page top