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2009-07

ちょっと贅沢な 大人の外(アウト)日

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【これが自分スタイル】『ブレンダーはどんな時でも味がブレないこと』

バーテンダー
岡 智行 さん

jibun-style1.jpg【PROFILE】おか ともゆき  さん(35才)
1974年生まれ。久留米市出身、在住。2002年12月小頭町に『bar‐kitchen』をオープン。2006年ウイスキーコニサー(エキスパート 3級)を取得。自称・ナイスアシストを目指すハートフルバーテンダー。問/090・9584・9131

【これが自分スタイル】
『ブレンダーはどんな時でも味がブレないこと』
生き方も同じ芯がぶれないことが大事です

 ウイスキーのコクと香りを口にする瞬間、優雅な大人の時間が広がる。そんなひと時にエスコートしてくれるのはバーテンダー。
 『バー キッチン』のバーテンダー岡智行さんは、久留米で三人しかいないというウイスキーコニサーの資格を持つ。ウイスキーコニサーとは、二〇〇四年に日本のスコッチ文化研究所がつくった制度でウイスキーのソムリエのようなもの。酒造国の文化、地理、歴史などを熟知していなければ合格しない。
 「腕試しをしてみたかったんです。五年前に東京の名店に行った時、知識が全くついていけなかったことに敗北感を覚えました。ウイスキーについてこんなに自分は知らないなんて……と。それから毎日五時間ぐらい勉強しました」
 二〇〇六年に見事合格。それでも「私が知るウイスキーは、存在するウイスキーの百分の一」と苦笑する。
jibun-style2.jpgウイスキーは文化だと語る。
 「これ一本がここに届くまでに、問屋や樽・ビン業者など世界中のいろんなものが動いているんです。また、長い歴史から生まれています。四度の戦争及び革命に耐えたコニャック。イングランドの重い酒税に負けずに密造したスコッチウイスキー。アメリカの禁酒法が及ぼしたウイスキー業界への影響など……。俺が飲んでいるこれは何なんだ?とお客様が思った時、ラベルでは書き尽されていない歴史をお客様に説明をすると、『今の時代までよく生き残っといてくれたな』と、お客様も興味を持って楽しんで飲まれます。どこの国でつくられ、どういうねかせ方をし、どんなルートを辿ってきたのかを知ると一層おいしくなるでしょう。そんな、頭で飲む楽しみが大人の飲み方の一つ。家ではなく店で飲む醍醐味です。
 ウイスキーの魅力は時間。時間が経つにつれ、この味がこんな風に変わっていくんだという熟成史のおもしろさがあります。今は生産技術が改善され味が安定していますが、昔の少量生産時代の味も知っておきたいものです」
 趣味が高じてバーテンダーとなり、さらにウイスキーを深く知ろうと、グラスに注ぐ一滴の歴史をさかのぼる。
 店内には、英語をつづったアンティークなラベル、珍しい模様のラベル、年月に赤茶けたラベルなど様々なボトルが並ぶ。ウイスキーだけでも五百本を越えているという。埼玉県でつくっている少量生産型ウイスキー『イチローズモルト』が全種類揃っているのもこの店の特徴だ。
 「ウイスキーを初めて口にした頃は味もわからず、飲んでる自分が格好いいと思いながら飲んでいました。そのうちボトルによる味の違いを感じるようになり、ウイスキーをもっと理解したいと思ったのは六年前にこの店を開けてから。当初はラベルや形が格好いいボトルを買い付けていました。西日本は甘めを好む人が多く、今は安くて美味しく甘みを感じさせてくれるボトル、セールスポイントのあるボトルを買い付けています。どれも一つ一つ思い入れがあって購入したものばかり。それをお客様が飲まれて、おいしかったという感動を人に伝えていってもらえたらいいんです。それが文化ですよ」

ウイスキーの魅力を仲間と共感
興味を広める

 彼の向上心をより刺激するのが、スコッチ文化研究所久留米支部。昨年、岡さん自身が発足させ、遠くは熊本から共にウイスキーに惚れた者同士が集う。
 「九州に支部が一つしかなかったんです。誰かがやるのを待っておくのは嫌いなので、自分で久留米支部をつくろうと思っただけです。皆で集まって勉強して意見交換して……ウイスキープラス日本酒や焼酎という題材で新しい酒との出会いもあります。支部で東京へ勉強に行った時には見たこともないボトルとの出会い、人との出会いがあり、それらを共感できる仲間がいることは嬉しいですね」
 こうして吸収した知識、ウイスキーの魅力は来店するお客様へと伝えられる。
 「皆さんに久留米の街へ繰り出すことをもう一度思い出してほしい。食べ物に頼らず酒だけで勝負する硬派バーとして、飲み手を育てる店でありたいと思います。タクシー代を払ってでも寄る価値のある店だと言われる店になりたいですね」
 モットーは、サントリー山崎のチーフブレンダー輿水精一さんの言葉『ブレンダーの仕事はたとえ嫌なことがあっても味を変えない、ブレないこと』。
「生き方も同じ。嫌なことがあっても人に当たらない、芯がぶれないことが大事だと思っています」
 彼がつくるグラスは、いつもウイスキーを愛するぶれない情熱が琥珀色の中にブレンドされている。

文/森 志穂
写真/中野直美

旬Cooking-米米くらぶ現代食生活塾「冷麺風ソーメン」

旬Cooking

米米くらぶ現代食生活塾
鬼塚 ユキ子

今月の料理
「冷麺風ソーメン」

 夏は暑くて気温も高いので、私たちの体温もそうそう高めてやる必要がありません。したがって、カロリーは少なめで大丈夫!夏は、さっぱりとのど越しの良いものが欲しくなるのは自然な体の要求なのです。そろそろ、ソーメンの季節です。沸騰した湯で2~3分茹でただけで食べられる素麺はありがたい食材の一つです。製造過程では大変な手間ひまもかけられているので、先人の知恵や工夫に感謝していただきたいものです。トマトや胡瓜、赤玉葱、青紫蘇など美味しい生野菜が沢山出てきました。生の野菜にはビタミン、ミネラル、酵素や繊維などが豊富です。カラフルにトッピングして野菜たぷりのソーメン料理を楽しんで下さい。

cooking1.jpg「冷麺風ソーメン」の作り方
1.素麺4束は茹でておく。
2.胡瓜1本は塩少々をまぶして板ずりし、麺棒などでたたいて一口大に切る。トマト1個も一口大に切る。(千切りでも良い)
3.もやし1袋はさっと茹でる。赤玉葱1個は縦半分に切り、繊維にそって薄くスライスし、水にさらす。青紫蘇や生姜は細い千切り。小ねぎ3本は小口切り。
4.白胡麻大3は炒ってよく擂り、だし汁・醤油各1/2C、酢1/4C、砂糖大2を合わせ胡麻だれを作る。
5.器に麺を盛り、野菜を彩りよく飾り、胡麻だれをかけて食べる。
※かいわれ、水菜、カラフルピーマン、わかめなど、野菜や海草なんでもOK!です。

B級グルメの聖地(まち)くるめ「小浜ちゃんぽん」

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久留米やきとり学会 会長  豆津橋 渡

HP  www.kurume-yakitori.com
E-mail  gakkai@kurume-yakitori.com

 日本人は「3」という数字が好きだそうで、御三家や日本三景など数多くの、三大○○があります。最近知ったんですが、「日本三大ちゃんぽん」というものがあるそうで、長崎・天草・小浜温泉ということです。以前、このコラムでも取り上げましたが、「ちゃんぽん」とは福建料理をベースとした長崎市を発祥とする郷土料理で、明治時代中期、長崎市に現存する中華料理店「四海楼」の初代店主陳平順が、当時日本に訪れていた大勢の中国人留学生たちに、安くて栄養価の高い食事を食べさせる為に考案したのが始まりというのが定説です。
 島原半島の西に位置し、橘湾を臨む国道57号線の海岸線に沿って旅館が建ち並ぶ温泉街「小浜」では、古くから長崎茂木港から湯治客が蒸気船を使って往来し、大正時代には既にちゃんぽんが食べられていたといわれています。基本は橘湾の新鮮な魚介がたっぷりのった海鮮系ですが、現在は、専門店だけではなく、和洋食店、居酒屋、寿司屋などでも提供され、各店がさまざまな工夫をこらし、独自の進化を遂げたちゃんぽんとなっています。
chanpon.jpg 小浜はこの「ちゃんぽん」でまちおこし活動をおこなっていて、「小浜ちゃんぽん愛好会」が小浜ちゃんぽん街道公式地図を作って、町のあちこちの「インフォ麺ションセンター」でちゃんぽんに詳しい者が麺会し紹介しているそうです。この活動の中心人物の一人が、地元の人に「ちゃんぽん番長」と呼ばれる雲仙市役所の観光課の職員さん。1日4食ちゃんぽんを食べても飽きないほどのちゃんぽん大好き人間で、マイれんげを持ち歩き一軒一軒食べ周り、小浜ちゃんぽんマップを製作、小浜ちゃんぽんの宣伝マンとして日夜戦い続け(?)ています。
 そのちゃんぽん番長から宣伝を頼まれましたイベントをご紹介。7月25日・26日の2日間、雲仙市小浜温泉マリンパークで開催される九州ご当地グルメコンテスト(略称:グルコン)。真夏の小浜の海辺で九州のご当地グルメの熱いバトルが繰り広げられます。久留米からもやきとりが参加予定。お時間のあるかたは、海水浴がてら、ぜひご来場ください。

住まいば考えよっ隊Vol.31珪藻土

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建築士会 青年委員会  砂原 正利
http://blog.kurumenokenchikusi.com/

  呼吸をする壁として最近注目されている珪藻土。
 珪藻土は、太古の海や湖にいた植物性プランクトンが化石化して出来た土のことです。耐火性を活かして、昔から七輪や建築下地材の原料として使われてきました。
 珪藻土はミクロ単位の微粒子で出来ていて、その一粒一粒に無数の微細な穴があいています。その穴が空気中の水蒸気を吸い込み、調湿性、断熱性、保温性、遮音性、ニオイを吸着するなど多くの機能があるといわれています。しかし、原料の珪藻土自体には壁に着く性質がないため、製品にする過程で合成樹脂(ボンド等)をまぜて付着力を高めているケースも多いようです。

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 合成樹脂は、珪藻土の特徴である微細な穴に入り込み、その穴をつぶしてしまいます。そのような製品は効果が少なくなっていると考えられます。調湿性等の効果を期待するならば、製品の成分など確認するなどしてみて下さい。
 また、普段の手入れとしては、手垢などは消しゴムで落とせます。シミなどは漂白剤を布にしみ込ませ、たたきながら落とすといいでしょう。塗りムラを残したりラフな仕上げならキズなどもあまり目立たなくていいですよ。

からだの参考書-眼のおはなし

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saneyoshi.jpg実吉眼科医院
院長
実吉 安英 先生

 ご存知ですか?日本人の失明の原因の第1位は緑内障、ついで糖尿病性網膜症となっています。今回は天神町にある「実吉眼科医院」の実吉安英先生に、現在の失明の原因やその症状についてお話を伺いました。

●現在の失明の原因は何ですか?
 現在、日本人の最も多い失明の原因は緑内障ですが、数年前までは糖尿病性網膜症が第1位でした。今はわずかに緑内障からの失明が上回っております。
 糖尿病性網膜症の場合は眼科で突然見つかるというより、内科での糖尿病治療中、眼科の定期検診を受けるうちに極初期からみつかることが多いのです。でも糖尿病のコントロールをきちんと行っていけば進行を抑えられたり、眼科でのレーザー光凝固や硝子体手術の進行にも助けられ、失明を免れるケースが多くなったと思われます。緑内障は、自覚症状が出るまで放置される事も多く、そうなると治療も進行を遅らせるのが精一杯で、進行した緑内障をもとに戻す事ができません。早期発見して進行しないようにきちんと治療を続ける必要があります。
●緑内障とはどういった症状のことなのですか?
 緑内障とは視野がだんだん狭くなり、最終的に失明に至ることもある病気です。緑内障にもたくさんの種類があり、突然の発作で起こるタイプや知らず知らずのうちに視野障害が進行するもの、他の眼疾患から引き起こされるものなど様々です。しかしその大半は、眼科専門医で検査を受ければ早期発見できますし、特に発作的に起こる緑内障は急激な眼圧(眼球の固さを示す数値)の上昇による突然の激しい頭痛や嘔吐で、救急車で救命センターや他の科に運ばれ手遅れになるケースもありますが、発作を起こしていなくても眼科で早めにわかりますし、発作の予防処置も可能です。ゆっくり気がつかない内に進行する緑内障の場合、眼圧は高い場合と全く正常値の場合があり、むしろ正常値のまま緑内障が進行するタイプの方が多いことがわかってきています。眼圧が全く正常値の場合、職場の健康診断などでは見逃されるケースも多く、たまたま眼科受診して見つかる場合がよくあります。
●どれくらいの年代に多いのですか?
 以前行われた大規模な緑内障の疫学調査で、40代で2%、50代で3%、60代で6%、70代で10%程度みられたようです。特に親族に緑内障を患った方がいる場合や、疲れ目が気になる場合、また特に自覚症状が無くても少なくとも50歳過ぎたら一度は眼科専門医の診察を受けることをおすすめします。

取材協力/実吉眼科医院 TEL 0942・34・5828

たのしい本のせかいvol.78 ドン・フリーマンの豊かな子ども世界

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久留米子どもの本を読む会 代表  田原 和子

 『くまのコールテンくん』や『くれよんのはなし』は、子どもの頃どこかで、多くの人が出会っているのではないでしょうか。これらの絵本の作者、ドン・フリーマンは、1908年、米国はカリフォルニアの生まれ。高校卒業後に移り住んだニューヨークで、独学で身につけた、トランぺット奏者の仕事をしながら、美術の勉強を続けたとのこと。
 絵本を手がけたのは、夫人のリディアとの共著、『機関車シュッポと青いしんがり貨車』『オペラハウスのなかまたち』などかららしく、地下鉄でトランペットを失くしたのが、絵の仕事に専念するきっかけだったらしい。
 どの絵本にも流れる、ゆったりとした時間。子どもらしい発想や、あくことの無い好奇心をしっかりと捉えた、この人の絵本の数々を観ていると、子どもが子どもらしく居られたこの時空を、古いと片付けてしまわずに、そのまま、子どもたちに取り戻してやりたいと思ってしまうのです。
 生誕100年を記念してか、この何年かに、新しく訳出された絵本も有って、楽しく読み直せるのが嬉しい。ダイナミックで、刺激的な絵の本も魅力的だけど、地味で静かな絵本の中にも、しっかり親子の心を結び付けてくれる、何か目に見えぬ効用を持ったものがあるようです。

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『くまのコ-ルテンくん』(偕成社)
 松岡享子:訳
『くまのビーディくん』(偕成社)
 松岡享子:訳
『とんでとんでサンフランシスコ』(BL出版)
 山下明生:訳
『クレヨンのはなし』(ほるぷ出版)
 西園寺祥子:訳
『野はらの音楽家マヌエロ』(あすなろ書房)
 みはら いずみ:訳
『子リスのアール』(BL出版)
 山下明生:訳
『しずかに!ここはどうぶつのとしょかんです!』
(BL出版) なかがわちひろ:訳
『みつけたぞぼくのにじ』(岩波書店)
 大岡 信:訳
『門ばんネズミのノーマン』(BL出版)
 山下明生:訳
『ダッシュだ、フラッシュ』(BL出版)
なかがわちひろ:訳

ラーメン今昔物語 121「伝説の清陽軒」

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 今年の四月、久留米の諏訪野町に「清陽軒」というラーメン屋さんが新たにオープンしました。地元のラーメンフリークや、ご年配などには「伝説のラーメン屋」としてご存知の方も多いようですが、実はこの店、我が大砲ラーメンの原点の店なのです。清陽軒は、昭和二七年、明治通りの第一勧業銀行(現みずほ銀行)前に誕生した一軒の屋台でした。ここを営んでいたのが、大砲ラーメンの初代で僕の父でもある香月昇と、その兄の香月浩の二人でありました。まだ二十歳そこそこの、若い元気な兄弟の作るイキのいいラーメンは、たちまち夜の町の評判になり、瞬く間に繁盛屋台となりました。併せてイケメンだった二人は「アノ香月兄弟」として、これまた夜のお姉ちゃんたちを騒がせたものでした(ちなみに二人の当時の写真が、オープンしたばかりの清陽軒の入口に飾られています)。やがて兄弟は、それぞれ所帯を持つことになり、話し合いの上、弟の昇の方が清陽軒を出て独立、同じく明治通りの東の端である西鉄久留米駅周辺をテリトリーとして佐賀銀行前に屋台を出しました。これが大砲ラーメンの始まりです。その後、清陽軒の浩は二人の女の子を授かり、これを機に、浩は屋台を畳み、第一勧銀の斜向かい、ロータリー(今は普通の交差点)を挟んだ場所に店舗を構えました。それは昭和三十年代後半でしたか、清陽軒の店舗時代の幕開けでした。店舗はやはり大繁盛、日本の高度経済成長と足並みを揃えたような、清陽軒大繁栄の時代でした。その頃、昇の大砲ラーメンといえば、まだまだ細々とした屋台生活から抜け出せず、僕も幼心に、清陽軒の羽振りの良さを羨ましく思っていた記憶が、かすかにあります。
 さらに時は流れ、平成の世となり、初代清陽軒店主である浩は引退、その跡を次女婿の一木公治君が継ぐのですが、職人気質で一本気な彼は、時代の波に乗ることを嫌い、平成一八年、ついに安武町の最後の清陽軒の灯は消えてしまいました。しかしながら清陽軒の根強いファンは多く、その消えた灯を何とか復活させたいとの声が強まり、何と「清陽軒復活プロジェクト」なるものが、有志たちによって立ち上げられました。そしてついに本年(平成二一年)四月に、新生清陽軒「久留米ラーメン清陽軒」としてオープンしたのです。当然ラーメンは、二代目の一木君の手によるもの。また店舗の構えも面白く、昔の第一勧銀前に佇む屋台をモチーフにしたデザインで、在りし日の清陽軒の姿を懐かしむプロジェクトの有志たちの思いが伝わってきます。僕も微力ながらこの清陽軒復活には協力させていただきました。そこで感じたのが、久留米人は本当にラーメンが好きで、情熱的で、それが高じて、消えた一軒のラーメン屋を復活させてしまうという凄さです。頑張れ清陽軒、あの頃の輝きを、もう一度見せてくれ!

落語スズメ第四十七回 「おそるべし、梅團治」

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松田 一成

 久留米市内某所、恒例『蔵之助、梅團治九州ツアー』最終日。今回の宿題は、両師匠、それぞれ一席ずつ「ネタおろし」ということだったらしい。橘家蔵之助師は、大阪の噺
『次の御用日』を東京に移し替え、桂梅團治師は、やる機会が無かったという『時うどん』を。前半後半でほぼ2週間、九州中20カ所近くで会を催した仕上げらしく、その最終日の控え室には、美味しそうな松露饅頭と不敵なオーラが漂っていた。桂梅團治、その風貌、日に焼けた若乃花、もしくは愛を語るジャイアンかと。そのジャイアンが背を屈めながらが高座に上がる。愛を語るジャイアンゆえ、目尻は下がり、瞳は確認できないくらいツブラ。多少持て余し気味のカラダを左右に振り頷くと、ことさら大きい丸組みの羽織紐がやたら目立つ。くすくすと笑いが起きる。梅團治師、ただにやにやしているだけ。これは反則です。この人は面白い人に違いないと、高座に上がっただけで会場中を納得させてしまった。『播州皿屋敷~お菊の皿~』。青山鉄山がお菊を袈裟切りにし井戸に投げ込む件は、下がった目尻が凄みに変わり、立て板に水とは江戸弁だけではないと思い知らされる名人芸。落語に戻ってからのギャップが余計におかしい。お後、蔵之助師負けじと、誰もが知っている『饅頭怖い』をこんなに笑う噺だっけと引っ掻きまわし、お中入り。蔵之助師
『次の御用日』おさらいの後、問題、梅團治トリの『時うどん』。東京の
『時そば』はもとはこちらが原型。兄貴分のからくりに気づいた主人公が、昨晩のやり取りを、まんま自分一人でしようとするから無理がある。忠実にやればやる程「なんか悪いものでも憑いているのか」と、うどんの屋のオヤジに気味悪がれる。劇中劇?(噺中劇?)、梅團治の一人芝居がエスカレート。笑った笑った、今年一番笑いました。『時うどん』がトリネタなんてとお嘆きの貴方に是非。落語の本質とはこういうものだと、梅團治師に力技でひねられた晩でした。

ナイスシニアになろう!vol.74「ちょっとした変化」

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特別医療法人 理事 吉永 美佐子
久留米市日吉町115
電話:0942-35-2725/FAX:0942-31-1318

 日曜日にプランターの植え替えをしました。暑くて沢山汗をかきながらも、何とか早くやり終えたくて休憩せずにぶっ通しでベランダで作業をしていたら、ちょっとめまいが…。こんな時は要注意です。歳をとると血液がさらさらではなくなります。ちょっとしたことで血管も詰まり易くなっています。頭が痛い、目が見えにくい、ろれつがまわらないなど、ちょっとした変化でも早めに気がついて病院に行くことで、脳梗塞や心筋梗塞は治療することが出来ます。先日専門医のお話を聴く機会がありました。血管が詰まって脳や心臓に梗塞がおきても、2、3時間以内であれば、今はとても良い薬があって、血液の塊を溶かすことが出来るそうです。ただし副作用が大きいので短時間内でなければ効果なし。この薬を投与すればほぼ後遺症がなく回復する可能性が大きくなるそうです。長島監督は発見が遅くなったので残念ながら後遺症が残ったのだとか…。ちょっとした変化を見逃さずに暑い夏を乗りきりましょう

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