Home > 新・落語スズメ

新・落語スズメ Archive

新・落語スズメvol.13

ご報告『落語教育委員会インくるめ』
文/松田 一成

先月23日、えーるピア久留米にて開催しました『落語教育委員会インくるめ』足元の悪い中、ご来場いただきありがとうございました。開演前まさかの土砂降り、町中大渋滞、ギリギリ滑り込みセーフのお客様もちらほら。かと思えば、運営が到着する前に、すでにお待ち頂いていたお客様も。どれだけ楽しみになさっていたのかと反省しきり。楽屋入りの師匠方を見られてよかったと助け舟を頂きました。流石落語ファン、ありがとうございました。午後7時、久留米絣をあしらった素敵な緞帳が上がると、三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎、三遊亭兼好、出演3人による『人の高座(口座)を聞くときは、携帯電話を切りましょう!』キャンペーンコント。待ってました!スーツ姿の喬太郎師を見られる落語会は『落語教育委員会』だけ(あと、緑のジャージ姿の兼好師も。兼好師、普段は完全和服、熊本城に行ったときは、アトラクションの人と間違われて、女子高生と記念写真を撮らされたそう)。15分ほどの小芝居ですが、最近役者づいてる喬太郎師の裏表を演じ分ける姿、そりゃもう、たまんないうまさでございます(某ビールメーカ風)。兼好師の思わぬアドリブ(ブタコレラ事件、その後ちゃんと反省会をされてました)が波乱を引き起こし、一同思わず素に戻る場面も。逆手にとって笑いの相乗作用、言葉の達人たちは心からこの会を楽しんでいるご様子でした。開口一番、兼好師のお弟子さんじゃんけん君(来年真打の予定)の『やかん』、喬太郎師、若旦那が妙に色っぽい『擬宝珠』、中入を挟んで歌武蔵師『稲川』ほろりとしました。トリを新メンバー兼好師の、これ以上笑えるか!『ちりとてちん』。たっぷり2時間、会場にいらしたお客様も大満足だったのでは。帰りしな、師匠方からグリルMのハンバーグを食べに、また来年も久留米に伺いたいとご案内がございました。いえーい!

新・落語スズメvol.11

「落語教育委員会in久留米」
文/松田 一成

「これじゃあ、ホノルルタクシー協会の慰安旅行だよ。」久留米の文化街を歩く、アロハシャツにパナマ帽の大男を先頭に、今は亡き柳家喜多八師が大笑いしたのは、前回、二〇一四年「落語教育委員会in久留米(個性派3人の噺家が織りなす、古典、新作、おまけにコントもある贅沢な落語会)」の打ち上げ。大男とは三遊亭歌武蔵師、他御一行様には柳家喬太郎師とお付きの鏡太さん(現・月の家小圓鏡)、関係者2名。チケットの販売を手伝って下さった3件のスナックを梯子している途中の風景。一件目「S」で出された塩クジラに執着したのは喬太郎師。何でも、生まれて初めて(この久留米で!)塩クジラを食べたのだそう。二件目「R」。和服のママの笑い声は、ロマンチックな蝋燭の明かりとともに、歌武蔵師(独身)の旅情を掻き毟り、三件目「H」では師匠方から「恋するフォーチュンクッキー(振り付き、時代ですな)」ご披露のあと、喜多八殿下(学習院出身だけに)オンステージが続いた。「落語教育委員会」メンバー三人でカラオケに行ったのは結局、その久留米の晩が最初で最後だったそうで、今も続けられている2人の師匠方にも特に思い出深い会だったと伺った。そう、書き出しに前回とあったでしょ。五年ぶりに今回があるのです!8月23日金曜日、えーるピア久留米にて午後7時開演「落語教育委員会in久留米」。出演 三遊亭歌武蔵、柳家喬太郎、三遊亭兼好 古典、新作、コントに、落語の粋を織り込んだ贅沢な会。喜多八師亡き後、新メンバー三遊亭兼好師の評判も抜群。お時間、ご都合がつきましたら、足をお運びください。いや、ほんと贅沢な会です。是非。

新・落語スズメvol.8

「春はうららかあけぼのか」
文/松田 一成

〜吾妻橋とは吾が妻橋よ、
そばに渡し(私)が付いている~
「隅田川馬石」。何ともユニークな名前だが、その馬石師が佐賀で会を開くというので出かけてきた。西日を横目に六五郎橋をわたり、佐賀市へ。繁華街のまんまん中、青木繁も逗留したという旅館の大座敷が会場。桟敷に座って待つ。最前列には早くからのご婦人方。出囃子が入り、春らしい桃色の羽織でご登場。いやあ、背が高い!石坂浩二さんのところで役者を目指していたという、二枚目然とした様子を少し屈めて、高座に上がる。師匠の口から最初に出たのが、先の都都逸。亭号「隅田川」に掛けて、架かった橋が吾妻橋。寄席の風が吹きました。その馬石という名前、当代は4代目、先代は昭和の大名人「古今亭志ん生」という由緒正しき名跡だそうで。その曾孫弟子が復活させたと、ちょっと反り身の話。ただ、志ん生自身は、諸般の事情で(借金取りから逃れるため)わずか20日ほどしか馬石は名乗ってなかったと、ちゃんとオチをつけるところが何とも。大河ドラマ「いだてん(ストーリーテラーとして古今亭志ん生役をビートたけしさんがなさっている)」の江戸言葉の指導に行ったお礼で、ドラマご出演予定があるとかないとか。様子の良さを武器にせず、加減の利いた「たっぷりマクラ」で会場を包んだ後は、「ざるや」。続けて、おかみさんの狼狽ぶりが楽しい「金明竹」。仲入り後、ドキドキが止まらない「宿屋の富」でお開き。春が25回目、夏が32回続いているというこの旅館の落語会、基本一回だけのご出演だそうですが、是非又と望むご婦人方の声多し。次回は夏、「三遊亭歌之介改め四代目三遊亭圓歌襲名披露興行」とご案内を頂き、こちとら久留米っ子、筑後川を渡って帰りました。

新・落語スズメvol.6

「変身(カフカではない)」

文/松田 一成

先日『久留米座』での笑福亭風喬独演会、ご来場ありがとうございました。三味線の師匠もお呼びしての、正月らしい華やいだ雰囲気だったのではと。風喬師、来年もやる気満々ですので、又のご来場、お待ちしております。で、その、三味線の師匠、以前写真集を出したとのお噂もある美貌で、場内のオッサン心を一掴み。お客様との掛け合いも楽しく、出囃子のリクエストを受け付けた。出囃子というのは、噺家が、高座に上がるときに後ろで流れているあれです。プロレスで言えば覆面レスラー、ミル・マスカラスのスカイハイあたりでご理解いただければ。ご婦人からお声がかかりました。「老松!」。太鼓で助っ人に入っていた風喬師と件の師匠、ひと呼吸入ると、すぐに聞き馴染んだあのメロディが流れた。老松。ミスター落語、古今亭志ん朝師の出囃子です。最近の落語ブームで、喋っている姿はネットで何十万回と再生されていますが、残念、そのほとんどが舞台下手から高座に上がるまでをカットしてあり、出囃子はほんのちょっぴり、モニターの向こうは、扇子を置いてお辞儀をするシーンから始まるものがほとんど。予定調和というか、様式美というか、「老松」にのって、志ん朝師の高座に上がるまでのあの佇まいは、是非一度ご覧頂きたい。例えれば、本郷直人が仮面ライダーに変身するような瞬間(ちょっと大袈裟)。思いがけず、生で聞いた志ん朝師の出囃子は、上方の落語会なのにと、半可通ぶりを発揮するよりまえに、三味線の師匠の美貌とともに、嬉しいオッサンへのお年玉となりました。

追伸 3月3日六角堂広場に太神楽(だいかぐら)の鏡味仙志郎師匠がいらっしゃいます。観覧自由、一回だけの公演ですが、こちらではなかなか見られない芸能です。是非!

新・落語スズメvol.5

「続ける秘訣のようなもの」
文/松田 一成

酔いにまかせて、えいやっと入った飲み屋が、思わず心地よく、店主と話しこんでしまった。店をどこで開くのか考えたそうだ。福岡で勝負するには街が大き過ぎ。かといって、自分の地元では小さい、久留米の規模くらいがちょうどいいのかなと。始めてみれば、おっとどっこい、その久留米のスケールこそが難しい。長く続けるためには、同じお客様に何度も来てもらわねばならないからだ。その市村正親似のイケメン店主を眺めながら、充分流行るだろうにと思ったが、お客様はわがまま、なかなか大変だそうだ。そういえば、お手伝いしている落語会、昨年暮れの会は、ご出演して頂いた噺家さんが登場して、ちょうど10年の会でした。ネタ帳を繰っていて当人が気が付いた。ぽつりと。「あたしが出てなきゃ、こんなに続いてないね。」芸人独特の美意識にくすっとしましたが、いやいや、ごもっとも、おっしゃる通り。何度も足をお運びいただくお客様は、落語を聞きに来ている以上に、その噺家さんに会いに来て下さる(この辺はAKBと一緒だな(笑))、その結果が10年という年月か。その仕掛け(落語、おいしいお酒、)がいろいろあるだけで、人を動かすのは人でしかないし、人は人にしか興味を持たない(自分自身への興味も(笑))。ほんとに実感します。件の噺家さんを御贔屓にして下さるお客様も、池町川のバーカウンターでぼんやりする客(アタシ)も、会(杯)を重ねる理由は、結局、その人に、その人に会える場所にひかれるからなんだろうな。人柄を惚れさせるが、長く続く秘訣なのでしょうか。ただ、落語の場合、イケメン具合はあまり関係ないようで。(師匠スミマセン)

新・落語スズメvol.4

「噺家の主張」
文/松田 一成

久留米某所、最近テレビでもお馴染みになった噺家さんの落語会、ホームゲームの心強さか、マクラから飛ばす飛ばす。テレビ言えないこと、いや、言いたいことをどれだけ我慢しているのか、「私の考える正義」ほぼ中年の主張。きっかけはこうだ。某番組でコメンテーターをしている件の師匠、某親方の某協会退会のコメントを求められたときだ。一言「相変わらず勝手な方ですね。」放送後、テレビ局にクレームの電話、ネットでは炎上、自身のブログには噺家やめてしまえとも。一面的な正義の怖さを思い知らされることに。師匠にすれば、噺家も、某協会も同じ徒弟制度、特殊な世界の中で、独特の価値観が存在してたとしても、師匠が弟子を思う気持ち、親が子を思う気持ちは世の中と変わらない。子の為ならどんなに辛くとも最後まで守ってやるのが親の役目だろうと。それを途中で放り出す無責任さを突いた、実に噺家らしいシニカルなコメントだと思ったのだが、しかし、実際は見事に裏目。噺家としてテレビに呼ばれている役割も理解しているし、公共の電波に乗る以上、言葉には充分気を付けていたのだが、本当に今回の件は驚いたと。その話題で、マクラの半分の時間、高座を盛り上げていました。ではもう半分の時間は何の話題か。最近、自身に入門した弟子のせいで、どれだけストレスが溜まっているかという話。笑った笑った。噺家はこうでなくては。

新・落語スズメvol.3

「浪曲、玉川奈々福」

文/松田 一成

旅行けば 駿河の国に茶の香り あれは名代の東海道 名所古跡のあるなかで 音に聞こえし次郎長の〜ご存知『清水次郎長伝』、二代目広沢虎造で聞きなじみのある方も多いかと。今回はその浪曲、浪花節に現われた彗星の話。イムズホールであった柳家喬太郎師の会、ゲストでご出演されたのが玉川奈々福さん。浪曲の先生というよりは、学校の先生といった感じの色白細面の美人ちゃん。声より先に、その佇まいに興味が湧いて参加したことをすぐに後悔。落語は「噺す」講談は「読む」浪曲は「語る」芸と言われますが、奈々福さんのその浪曲、あの晩は爆発していました。ハートを射抜かれたといった可愛いものではなく、もろとも吹き飛ばされたといった表現がいいのか。多分ほとんどのお客様が、アタシも含めて、初めてのライブでの浪曲体験だったと思います。そんな会場で、奈々福さんが一節目に仕込んだ、浪花節の信管に触れました。そして見事に吹き飛ばされました。奈々福さん自身は浪曲の復権を目指し、キャッチも『節と啖呵と三味線で織りなす一人ミュージカル』と浪曲未体験の人にも垣根の低さをアピール、エンターテイメント風を装っています。が、おっとどっこい、聞けばその裏、しっかりと義理人情を詰め込んだ爆弾を片手に、日本人であることの逆の踏み絵を要求しているような。死なばもろとも、一緒に吹き飛ばされれば、この世は天国。人生で大事なものは義理と人情(と、お中元)。奈々福さんのうなる全力投球の浪花節に決意を感じたのでした。素敵です奈々福さん。

そんな玉川奈々福さんの会、11/4久留米シティプラザCボックスで公演。是非!※詳細は14Pをご確認下さい

新・落語スズメvol.2

「六角堂広場にて、

幕末太陽傳〜居残り佐平治〜」

文/松田 一成

シャツ一枚ではちょっと寒かった晩「まちなか角打ちバル&まちなかシネマ」に初参戦。シティプラザ六角堂広場(屋根はある!)で月に2度ほど行われているそれぞれのイベントが、今回は敬老の日特集ということで同日開催、日本酒(先日の福岡県酒類鑑評会で最高位をとった蔵元のお酒でした。ラッキー)を飲みながら、落語の登場人物が舞台の映画鑑賞となりました。平日開演18時ということで、遣り繰り算段、ご同輩二人とテーブルを確保、至福の夜の始まり始まり。今回上映された映画は1957年日活『幕末太陽傳』、落語「居残り」の主人公佐平治を演じるフランキー堺の活躍を中心に物語は展開。勤王の獅子高杉晋作に石原裕次郎、久坂玄瑞に小林旭、気弱な若い衆喜助には岡田真澄(美男子です!)。遊郭で働くやりて婆ァは先日亡くなられた菅井きんさんの姿。それはあとからあとから名優、怪優のオンパレード。60年前、リアルタイムで見た方には素直に嫉妬を感じます。圧巻は、オッサンのハートを鷲摑み、フランキーを巡る美女二人、花魁役の左幸子と南田洋子(当時27歳と24歳!)。お客相手の手練手管が居残り稼業(無銭宿泊)のフランキーには通じない。そこには花魁としてのプライドもちらほら。三両惜しさに結婚をちらつかせる(起請文、結婚約束手形)南田の色目は、コメディエンヌとしての才能を見抜いた監督川島雄三のセンスか。実際に吉原にあった遊郭「相模屋」をスタジオに作り上げたそうで、前述美女二人の階段を使っての喧嘩シーンは、見てるこっちが痛くなるような迫力でありました。酔いも回ったところでエンドロール。次行く店を考えながら、思いました。幕末太陽傳とうたいながら主役が裕次郎でなかった壮大なシャレは、当時の太陽族への皮肉なのかなと。それとも製作費獲得のための監督の詭弁か。結局これを最後に川島は日活を退社したそう。映画の結末と相俟って(フランキー堺が泣かせます)、空になった一合枡に吹く秋風は、切ない余韻がお似合いでありました。

新・落語スズメvol.1

「噺家の名前といえば…」
文/松田 一成

噺家の名前といえば圓生、志ん生、文楽、小さん、正蔵に可楽。(そういえば可楽師のお嬢様が毎年大江戸のれん市で久留米にやってきていたのはご存知か。またそれは別の機会に。)また四天王と呼ばれた、志ん朝、柳朝、談志、圓楽。継がれた名前もあれば、大きすぎて誰も襲名できずにそのままになっている名跡も。その中で100年近く継ぐものが現れず、飛び切りの名跡といえば、あの御仁のお名前。ご存知、落語中興の祖、言文一致運動にも一役買った『三遊亭圓朝』。先月11日が命日でございました。安政2年(1855年)、師匠『圓生』の圓の字と、当時、江戸で売れに売れまくっていた新内語り『紫朝』の朝の一字をとって、『圓朝/エンチョウ』。噺家の名前に朝の一字が加わった始まりはここからではないかと。(アタシ調べ。亭号には「朝寝坊」が圓朝以前からありました。)気になりますね、その圓朝を魅了し、一字貰った紫朝という新内語り。〜富士松紫朝、本名は萬吉と称し、夙に明を失い盲人と為りて音楽を学ぶ。(中略)新内節と称する一派を開き、名声大に揚り、三條内府の邸に召され演奏を為すの栄を蒙りしことあり(中略)五十一歳の時久留米に帰りて多くの門人を教導せしが、明治三十五年陰暦正月二十二日七十六歳を以て没す。(中略)墓は寺町妙正寺に在り。(久留米市誌より)〜なんと、明治、大正、昭和、平成、綿々と現在まで続く源流がここ久留米にあったとは。噺家の名前、朝の一字は、久留米出身の新内語り『富士松紫朝』から『圓朝』へ。志ん朝、柳朝、そしてその柳朝の弟子小朝に(圓朝は小朝が継ぐという話も実しやかにありました)。芸どころ久留米の奥深さ発見。残念ながら上方の名跡『米朝』の朝は師匠米丸のお内儀さん、麻子からとったものだそうで(笑)

Home > 新・落語スズメ

Search
Feeds
Meta

Return to page top