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ラーメン今昔物語 Archive

ラーメン今昔物語 134「炎天下の行列」

ラーメン屋のHK

この夏も、記録的な猛暑の夏でした。お盆の間も、夕立も降らない酷暑の日々が続きましたが、にもかかわらず、久留米に帰省したお客様は、今年も僕の店の前に長い行列をつくって下さいました。有り難い限りです。せめて外にお並びのお客様には、冷茶やかき氷のサービスくらいしか僕たちにはできませんが、炎天下で何十分も並び、さらに熱いラーメンを食べていただけるということは、僕たちはラーメン屋冥利に尽きます。感謝の極みです。
 そして、そんなお客様をお迎えして、これまた熱い釜の前で、一杯一杯心を込めてラーメンを作る社員、ホールを駆け回るパート・アルバイトさん、本当にありがとうございます…  また、僕たちがこだわる良質の食材を厳選して届けてくれる業者さんや、その他全ての協力会社の誠意に、いつも感謝しています。

 これらのことを、経営者である僕が「当たり前」などと思えば、お天道様の罰が当たり、商売する資格すら無くなるでしょう。
 そんな思いを改めて心に刻み込んだ、今年の夏でした。
(2010年9月)

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ラーメン今昔物語 133 「結婚披露宴にて」 

ラーメン屋のHK

僕ももうこの年になると、よく結婚披露宴で挨拶を依頼されます。それは僕の会社の若い社員や、取引先、知人などの披露宴で、多いときは年に七~八回ということもあります。そんな披露宴での僕の挨拶は、すべてアドリブで、メモに頼ったことはありません。新郎新婦の顔を見て、そのときその場で思いついたことを面白おかしくしゃべって、挨拶に代えさせていただいています。しかし、アドリブがゆえに思わぬことを言ってしまい、後になって反省することも多々あります。
 それは、最近よくある「できちゃった結婚」というケースの披露宴でのこと。そもそも僕は、その「できちゃった結婚」というものが嫌いです。そんな気持ちのまま挨拶したものだから、知らずに「え~新郎の○○君、そして妊婦の○○さん」と、「新婦」と「妊婦」を間違えてしまいました。でも二人の内情を知る一部の友人たちからウケたので、僕はあえて訂正することなく、親族の心情を察することも忘れて挨拶を続けました。その披露宴もめでたく終わりました。しかしあとで聞いたことですが、そのときの妊婦、いや新婦のお父さんは、そのスジの親分さんだったとのことでした(お陰様で後難はありませんでした)。
 また、もうひとつの結婚披露宴は、「できちゃった結婚」どころか「できちゃって生まれちゃった結婚」でした。その子供は一~二才くらいの女の子でした。そのときも挨拶で僕は言ってしまいました。「私はできちゃった結婚が大嫌いです。ところがこれは、できちゃって、すでに生まれちゃった結婚。更に嫌いです。シカシナガラ、その女の子はカワイイ。しかも愛子内親王殿下にそっくり。従ってこの結婚は特別に認めます」これはウケました。満場の拍手でした。
 最後に、僕が実験的な挨拶を試みたときの披露宴。そのとき僕は、最後の万歳三唱の役でした。宴もクライマックスとなり、新婦の涙の手紙、新婦の父の感無量の言葉。涙で声にならない新郎の挨拶…。会場は感動でしんと静まり、すすり泣きさえ聞こえます。そんな中で、「最後の万歳三唱のご挨拶を」と、僕の名が呼ばれました。そのとき僕は、涙なみだの披露宴を、最後くらいは笑いで終わらせようと、万歳三唱前の挨拶でこんなことを言ってしまいました。「新郎新婦のお二人に大切な言葉を贈ります」静寂の会場、人々は僕の次の言葉に聞き耳を立てています。一呼吸おいて僕は続けました「その大切は言葉とは…『おっぱい』…」思わずお笑い芸人の「小ボケ先生」のネタをやってしまったのです。会場は一瞬静寂。親族は目が点。やがて一部の若い男性たちから爆笑が起こりましたが、それだけでした。「小ボケ先生」はあまりメジャーではありませんでした。ましてそのネタを、最もふさわしくないところで使ってしまいました。それでも僕は気を取り直して、作法通りに万歳を三唱して降壇しました。   (2010年8月)

ラーメン今昔物語 132「ジャズとラーメン」

ラーメン屋のHK

のラーメン店では、二十年ほど前からBGMにジャズを流しています。今でこそ居酒屋から、はては寿司屋までジャズを流すお店が出てきていますが、二十年前ジャズのBGMを流す店といえば、それこそジャズ喫茶かショットバーくらいでした。ですから当時はよくお客さんから「何でラーメン屋にジャズなの?」という質問を受け、僕はこう答えていました。「たとえば、クラシックは白人の王侯貴族に雇われた音楽家が、王侯貴族のために創った音楽。一方ジャズは、かつてのアメリカ南部で人種差別と貧しさに生きるアフリカ系アメリカ人(黒人)たちの中から自然発生した、自分たちの魂の音楽です。僕のラーメン屋も、元々は戦後の貧しい一軒の屋台から始まりました。ラーメンそのものも、いわば社会の底辺から生まれたものです。音楽にたとえるならば、やはりその生い立ちがジャズに近いものを感じて、BGMをジャズにしました」と、まあこのような説明をしていました。そして最近ある本で、一般的な飲食店のBGMはどのような音楽がふさわしいのか?というタイトルの記事を読んだのですが、飲食をするお客さんが、食事や会話に耳障りを感じないのがやはりジャズでした(静かなインストゥルメンタル・ジャズ)。要するに、高級レストランは別として、クラシックはかしこまりすぎるし、歌謡曲やポップスは、それぞれの曲調がバラバラなので、お客さんのテンションとの差が生じ、曲によっては不快感を与えるということでした。これを読んだ僕は「うん、自分は間違っとらんやった」と、ほくそえんでしまいました。しかしながら僕がさらに思うのは、何でもかんでもどんな店にもジャズを流せばよいというものでもありません。やはりそのお店の意匠・環境・空間というトータルなコンセプトがきちんとしていなければ、ジャズのBGMを流しても、それは浮いたものになるでしょう。
 今回はジャズの話を偉そうに書いてしまいましたが、実は…、僕はジャズ愛好家でも何でもなく、僕が好きなのは七十年代のアメリカンロックなのでした(苦笑い)。
(2010年7月)

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ラーメン今昔物語 131「星になったラーメン店主」 

ラーメン屋のHK

僕の友人でもあるラーメン店主がきのう亡くなりました。それは五月のさわやかな雨上がりの夕暮れ時でした。今回、四十九歳という若さで逝ったそのラーメン店主の話を少々させて下さい。
 生前の彼は冗談好きな飄々とした男でしたが、ラーメンに対する思いはなかなか熱いものがありました。十年ほど前に宅配ピザの店を人に譲り、一念発起でラーメン屋を始めてから以降、ことあるごとに、ラーメンに関するアドバイスを僕に求めました。たとえば「豚骨の部位はどこが一番スープが出るとね?」と訊かれると、僕は「そりゃ、呼び戻しスープなら、全部の部位がよか。まず、一番もろい脊髄からダシが出て、次にバラ、そしてアタマ。最後にゲンコツ(大腿骨)が自然に壊れてダシが出る。間違ってもゲンコツは割って入れたらでけんばい。一気にいいダシが出てしまうけんね割って入れるのは取りきりスープのやり方ばい」と、まあこんな具合ですか。また、彼はラーメン店の経営のやり方も一風変わったところがありました。突然、三潴や大川を中心に同じ屋号の店を、何店舗か一気に出店し、それらの店が軌道に乗ったかと思うと、次々と屋号ごと弟子に安く売ってしまったのです。そして自分は柳川に別の屋号の店を出し、その一つの店に収まってしまいました。本当に奇抜な男でした。趣味と言えば「酒」。とにかく無類の酒好きで、僕が朝起きて携帯を見ると、深夜二時や三時の彼からの着信記録が幾度となくありました。恐らくどこかの飲み屋あたりでラーメン談義に盛り上がり、その勢いで僕を誘いだそうとしたのでしょう。結局、その酒が祟ってこのようになってしまったのですが、彼にとっては、それも本望なのかも知れません。
 しかし彼は、幾ばくもない自分の余命を知りながらも、やはりラーメンへの思いは最後まで衰えず、取引のある僕の麺工房の部長を入院中の病院まで呼んで、新作の麺の打ち合わせをしていました。それも常に冗談交じりで…。僕にはこのようなまねはできないでしょう。恐るべきラーメン魂です。
 そんな彼の死は僕の心に悲しみの風穴を空けてしまいました。しかし、彼がラーメン屋として生きた足跡は何かのかたちで記録しておきたいと思い、冥福を祈ると共に今回のコラムで彼の話を書かせていただきました。
 先ほど聞いたことですが、去年嫁いだ彼のひとり娘が、先月男の子を産んだということでした。星になった彼は、これからはその孫の成長を空の彼方から見守り続けるでしょう。
(2010年6月)

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ラーメン今昔物語 129「感謝とは?」 

ラーメン屋のHK

 先日、ある食べ物屋の前を通りかかったら、そのお店の外壁に大きく「ありがとう」と書かれていました。僕はすごいなと思いました。そこまで「ありがとう」という感謝の言葉を大書きして店外に宣言しているというのは、その店の社員からパート・アルバイトに至るまで、よほどお客様への感謝の心を持たせる教育が徹底しているのでしょう。 僕はまだその店に入ったことはありませんので、その真偽はわかりませんが・・・。
 世間では、感謝感謝とよく耳にします。ところが真の意味での「感謝」というのは、なかなか難しいものです。僕の店でも「ありがとうございます」という基本用語は徹底させていますが、はたして従業員全員が本当に感謝の心を以てお客様にそれを伝えているのか?心のないロボットが言っているのではないか?まだまだ僕には自信がありませんし、まして店の壁に「ありがとう」の大書きなど、とんでもありません。
 しかし僕は従業員にことあるごとに言うことにしています。「給料は会社からもらっているのではない。まして社長からもらっているのでもない。お客様から頂いているのです。それを忘れてはいけません」と。
 また「従業員の皆さんは『働いてやってる』ではなく『働かせて頂いている』という心で働き、管理職は、従業員の皆さんに対し『働かせてやってる』ではなく『働いて頂いている』という心を常に持って下さい」ということも言い続けています。
 互いに感謝の心があれば信頼関係が生まれ、労使の争いなど起こり得ません。
 さて、あらためて「ありがとう」という言葉について、一風堂の社長・河原さんはこう言っています。「親に『ありがとう』を言えない者が、お客様に心からの『ありがとう』を言えるはずがない」と。同感です。
 感謝の心のない「ありがとう」が相手に伝わる訳がありません。そう、「ありがとう」とは、「言う」のではなく「伝える」ことなのですね。
 ところで読者の皆様、毎回僕のこんな駄文にお付き合い頂き、本当にありがとうございます。
 伝わったかなぁ・・・。
(2010年4月)

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ラーメン今昔物語 128「クレームは宝」 ラーメン屋のHK

二十年ほども前の話ですが、僕が近所のある小さな商店で饅頭を買い、家で食べようとしたところ、何とその饅頭にカビが生えていました。お客さんも少ないうらびれた店だから、商品の回転も悪くて古くなっていたのでしょう。僕はとりあえずカビの生えた饅頭をその店に持って行きました。「おばちゃん、さっき買った饅頭、カビの生えとったよ」すると、そのおばちゃん、僕が差し出した饅頭を見もしないで、「ウチはそんな商品は置いとらんし、売った覚えもなか!」と、いきなり逆ギレ。僕はけんもほろろに追い返されてしまいました。とっても印象的なお店の対応で、僕はあきれて腹も立ちませんでした。
 クレームはその対応の仕方で、その店なり会社なりのレベルがわかります。
 まず三流の対応、それはそのカビの生えた饅頭を売った店のように、クレームそのものを認めもしないで、しまいには逆ギレしてお客様を逆恨みするパターン。もうこれは論外ですね。
 次に二流の対応。それはクレームのお客様に対して、上っ面だけで謝り、心の中では舌を出して、お客様を小馬鹿にしているというもの。こんなお店や会社は伸びないどころか、確実に衰退します。
 そして、一流のクレーム対応は、まずお客様の話を真剣に聞き、話の内容を全て把握した上で、こちらに落ち度があれば、お客様の気持ちになって心から謝罪する。そしてお客様に損害があれば、誠意を以て対応するというもの。さらにその後が最も大切です。クレームというものは重要な情報であり、氷山の一角です。その情報を真剣に解析し、その不具合の要因が見つかれば、即座に改善をし、それを全社に周知徹底させるということです。
 こんな会社(店)は必ず伸びます。そしてその会社は、クレームに感謝します。クレームは宝なのです。
 とは言うものの、果たしてウチの会社は何流なのだろう・・・、ちょっと不安です。
(2010年3月)

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ラーメン今昔物語 127 「嗚呼、見タクナキコト」 ラーメン屋のHK

  五十年も生きると、見たくないものばかり見せられます。先日、あるファミリーレストランでのこと。僕が隣のテーブルを何気なく見ると、若い女性が片膝を立て、その膝に右手の肘を乗せて食事をしていました。ずり下がったジーンズからはパンツのゴムまで見えて(見せて?)います。その正面の母親らしき年配の女性は、くわえタバコでぼんやり外を眺めていました。この光景を見て、僕は思いました。「この国の行く末を憂う」というより「この国の病気はすでに末期だ」と。この親子の姿は、戦後日本の象徴です。
 アメリカ製の自由と個人主義がこの国に押しつけられて、わずか六十年でかつての世界に誇れる日本人の品格は、完全に地に落ちてしまいました。身に美しいと書いて躾「しつけ」という、この美しい言葉も、その観念も、この母親には無いのでしょう。ああ、見たくなかった。「厚化粧をしてレオタードで踊る小沢一郎」と同じくらい見たくない光景でした。
 もうひとつ、「毛の生えた肉だんご」と同じくらい見たくも聞きたくもないことが僕の身近で起きました。それは書きたくもないことなので書きません。
(2010年2月)

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ラーメン今昔物語 126 「ついにラー博へ」 ラーメン屋のHK

 みなさま明けましておめでとうございます。このコラム、恥ずかしながら本年もまだ続いております。相変わらずの稚拙なネタと駄文ではございますが、本年も辛抱強くお付き合いいただけましたら、この上もなく幸せでございます。
 さて、八年前のコラムでも紹介しました「ラー博」こと、新横浜ラーメン博物館。ラーメンフリークならずとも、広く一般の方もご存知のこの施設は、平成六年の開業以来、様々な切り口のラーメン情報を発信しながら、日本中に「ラーメン店の集合施設」と「昭和レトロ」、この二つのムーブメントを巻き起こしてきました。そして十六年目を迎えた今年も、「ラーメンの殿堂」としての地位は不動のものであります。そんな、全国のラーメン店も出店をあこがれるそのラー博に、実は去る十二月十九日、我が大砲ラーメンが出店させていただきました。お陰様で大変盛況で、連日長蛇の列を維持しながら、この正月を迎えることができました。また、館内には、大砲ラーメンの紹介と併せて、久留米のまちや特産品等の紹介・展示コーナーも設置されており、久留米のPRの一助ともなっております。この出店が大砲ラーメンの関東進出第一号店ですが、今後は、このラー博を発信基地として、「本物の久留米ラーメン」を広く関東、そして全国に広めたいと思っています。また、そのことが久留米の知名度や、イメージの向上につながれば、いち久留米人として有り難いことです。
 何だか、新店オープンの宣伝みたいになってしまいましたが、今回のラー博出店は、様々な意義や思いがあったものですから…、どうぞご容赦の上、今年も寛容な心でお付き合い下さい。

(2010年1月)
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ラーメン今昔物語 125「幼き恋心」ラーメン屋のHK

 なんとなく甘酸っぱそうなタイトルですが、何のことはない、オヤジが三人酒を飲みながらの昔話。その三人とは、草野町のKさん、粉屋のH君と僕です。この日は珍しく、下ネタではなく幼い頃の思い出話に花が咲きました。テーマは「芽生え始めた淡い恋心」とでもいいましょうか、最初に切り出したのは僕でした。
 それは僕が小学三年の頃でしたか、当時の小学校の机は、現在のように一人に一台ではなく、二人分が一つにつながった横長の木製の机でした。しかも、そこに座るのは男女のペア。席替えはクジでペアが決まり、否が応でもその相手と一学期中肩を並べて勉強するのです。皆、新学期の席替えの日は戦々恐々。心中「あの子とならいいな」「あの子とだけは死んでもイヤだ」と、クジの結果を祈るように見つめます。当時からクジ運の悪かった僕は、何も期待してはいませんでした。ところが、さらに人生にも期待していない僕は、自分の耳を疑いました。「カツキヒトシ君、○○トモコさん(名字は忘れた)」という先生の声を聞いたとたん九歳の僕は思いました。「人生すてたァもんじゃない」と。トモコちゃんといえば、僕が密かに思いを寄せていた可愛くて利発な女の子です。トモコちゃん自身は僕のことをどう思っているのか知る由もありませんが、そんなことは僕にはどうでもよく、その日から僕にはバラ色の小学校生活が訪れました。そんな幸せな日が続くある日のこと・・・。この話、飲み会のときの言葉を借りれば、「そいがっさい、授業中トモコちゃんから借りた消しゴムば、うっかり自分の筆箱に入れてっさい、家に持って帰っしもたったい。そいで、家でそれに気のついて、ありゃしもたーっち思ったとばってん、なんかそん消しゴムが愛おしゅうして、 愛おしゅうして・・・。そんで、どげんしたち思う?俺はそん消しゴムば・・・、食うた。おう、食うてしもた。ゴムん味しかしぇんやったばってん、一所懸命食うた。で、次の日、トモコちゃんに消しゴムの所在を訊かれたっちゃけど、俺はすっとぼけた。ところがそん日から、トモコちゃんば見るたび、口の中にゴムの味がよみがえってしもて、しまいにゃトモコちゃんの顔までゴムに見えるごとなってしもた」一同大爆笑。すかさず草野町のKさんが「ソレあるある。俺の場合は、放課後好きな女子の笛(リコーダー)ば、ねぶり(舐め)まわした。ギャハハ。そしたら他の連中も、それぞれ好きな子の笛ばねぶりまわしよったげな。ワーハッハー」すると、それを聞いていた粉屋のH君がニヤリとしながら、「ムフフ・・・Kさん、その醍醐味はやっぱり、ハーモニカですよ、ハーモニカ。ムフフ」一同さらに大爆笑。こうして、幼き日の恋心(少年期の変態性?)を酒の肴に、夜も更けていきました。
 ちなみに、トモコちゃんはその後、どこか遠くの町に転校し、もう僕と会うことはありませんでした。笛をねぶられた女子も、ハーモニカの子も、KさんH君とは別の男性と結婚し、幸せに暮らしているそうです。
 今回の話、ロマンチストで憎めない、そんなオヤジたちの他愛ない話と思っていただけたら幸いでございます。

(2009年12月)
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ラーメン今昔物語 124 「夢奇談」 ラーメン屋のHK

「夢奇談」ラーメン屋のHK

 夢とは全く不思議なものです。意外な人間がいきなり登場してワケのわからぬ言動を演じたりします。先日の僕の夢に、突然初登場したのが、ウチの店舗にいるMという、大人しくてあまり目立たない社員です。年はもうオッサンに近いのですが、彼には何と一回りほども年下の若くてかわいい奥さん(香林亭にいた元バイト)がいます。僕が彼と言葉を交わした記憶は、その犯罪的(?)な結婚の披露宴のときと、その後の出産祝いのとき位でしょうか、そんなこれといった深い交流のないMがイキナリ僕の夢に現れて、支離滅裂なことをするのです。それはこう。「カツキ!」背後から僕を呼ぶ声が聞こえました。「呼び捨て」なので、友人かなと思って振り返ると、そこにいるのはMなのです。僕は自分の目と耳を疑って言いました。「いま俺を呼んだのはM、お前か?」するとMはニヤニヤしながら、「そうばい、俺ばい。カツキ!」ムッとした僕は静かに言いました。「もういっぺん言ってみろ」Mは「おう何度でも言うちゃる。カツキ、カツキ、バカツキ~」僕は思わずMをチカライッパイ殴りました。ところがMは鼻血をタラリと流しながら、さらにニヤけた顔で「いっちょん痛うなかば~い、バカツキ!」「一体俺に何の恨みがあるとや!」僕は血液が凄まじく逆流するのを感じながら、さらにMをボコボコに殴りまくるところで目が覚めました。この日は、たまたま社内の慰安旅行の日でしたが、僕は目が覚めても、なぜか夢の怒りが収まらず、その状態で集合場所に行きました。僕が車から降りると、何と目の前にMがいるのです。思わず僕は言いました。「M、もう一回俺を呼び捨てにしてんや」Mはキョトンとしていました。
 しかし夢って一体どんなメカニズムなのでしょう?日頃、もしくはその日に感じたストレスや焦燥感のようなものが、夢のストーリーをかたち作るものなのでしょうか。是非専門家に訊いてみたいところです。ちなみに、僕は社員を現実に殴ったことは一度もありませんので、誤解無きようお願いいたします。

(2009年11月)

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