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水の祭典40周年 Archive

まつりバカの系譜(6・最終回)

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 歴代の企画委員会が最も頭を悩ませてきた課題、それは奇しくも「水の祭典」というその名称だった。多くの観光客から開口一番問われる事。「水は何処に?」
 平成14年、初めて夜の明治通りに有馬火消しが登場する。スポットライトを浴び、高々と空中で行われる梯子乗りの演技に、人々は息を呑んだ。続いて道路の真ん中から勢いよくミスト化した水が吹き上がり、色とりどりの照明が映し出す荘厳で涼やかな演出。
 この一連の演出を実現せんがため、まつりバカたちは何年も何年も消防団に足を運び地道に交渉を重ねた。おそらく久留米だけであろう夜の路上での梯子乗り演技は、今や団員が最も気合いを入れる晴れ舞台となった。
 「筑紫次郎」の呼び名を持つ筑後川の豊かな水に感謝し、同時に三百年余の歴史を持つ有馬火消しの現役団員にスポットを当てる。明治通りに再現された筑紫次郎という演出により、初めて水の祭典は顔を持つまつりになったのだ。
 平成23年、水の祭典は40周年の節目を迎えた。その本祭前日、前夜祭の舞台にひとつのサプライズが用意されていた。それは40年にわたる米替の労に報いるための表彰だった。突然壇上へ呼ばれた米替は驚き、戸惑いながらも深い感慨に襲われる。
 事務局や組織の変遷に耐えながらも、支え続けた40年。思わず落涙した米替の目に映ったものは、こだわりにこだわった「町方のまつり」というスピリッツが未来へ確実に引き継がれていくという確信だったのかも知れない。
 米替誓志、75歳。まだまだ現役のまつりバカである。

まつりバカの系譜(5)

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 新しく加わったこのまつりバカたちは、次々と新しい企画を打ち出していく。まずこだわったのが、明治通りを中心とした都心部へのまつりの集約と、面的な拡大だった。街をまつり一色に!
 当時中心部にある東町公園では何も行われていなかったが、まずここに屋台広場を開設。まつり当日営業を休んでいた屋台組合と交渉を重ね、東町公園に結集、まつり見物に繰り出してきた市民によって大いに賑わいを醸し出す。
 さらに、当時は都心部から離れた石橋文化ホールでのみ行われていた前夜祭から、東町公園での前夜祭開催へと動き出す。公園内に作られた特設ステージに次々と仕掛けを打ち出し、野外での前夜祭開催が根付いていった。
 平成12年第29回水の祭典。この年を最後に25年間続いてきた水の祭典の目玉のひとつ「さわやか小町コンテスト」が姿を消した。時代の流れとはいえ、バラエティショー的なまつりは次第にその姿を変えていく。
 翌、平成13年。頭打ちになってきた観客動員に頭を悩ますまつりバカたちが次の一手を打ち出した。「パワーストリート」の誕生である。
 それまで、明治通りのパレードのみだった昼の部に、いわゆるストリートパフォーマンスが可能な広場を作り出した。パレードが通らない交差点や商店街を広場と位置付け、さまざまな出演団体に解放したのだ。実に多様な団体が集まり、開会宣言と同時にパフォーマンスを始めた。
 また、これに先駆けて始められた太鼓響演会と相まって、このまつりは一気に密度の濃いまつりへと変貌を遂げた。

まつりバカの系譜(4)・ ・ 水の祭典40周年 ・ ・

 鴎

昭和63年、明治通り東町歩道橋付近の中央分離帯が完成、その後明治通り全線で道の両側に施設されていた緩速道が廃止される。この明治通りの様相の変化は水の祭典に変化をもたらした。
 それまで、道路幅いっぱいに広がって進行していたパレードチームが、中央分離帯によって分断されるため片側進行を余儀なくされた。もちろん、現在も50を越える参加チームによって、パレードでは華やかな演技が提供されている。だが、まつりの風景はこの時確かに変わったのだ。
 逆に夜の総踊りはこの分離帯によって周回コースが取りやすくなり、たくさんの踊り連の参加を可能にした。昼間のパレードをメインに生まれた水の祭典だが、その会場である街路の変化は、その後のまつりの「顔」をも、じわりと変えていくことになる。
 第18回水の祭典。元号が平成に変わったこの年を最後に、長年まつりを牽引してきた鶴田松男会長が勇退する。後任は喜多村禎勇氏に。その後、自ら下町育ちのまつり好きと自認する前川博氏が振興会会長に就任する。
 このまつりが始まったときから様々な仕掛けを作り、その運営をリードしてきた米替が特にこだわっていたことがある。それは「町方(まちかた)の心意気」を大切にすることだった。行政や組織はそのお膳立てに徹し、町方の自由な活力を源とすること。それがこのまつりにパワーを与え、新しい伝統の創造へと繋がるに違いない。
 平成7年第24回水の祭典。この年、昭和30年組の3人が企画委員会入り。新しいまつりバカの登場である。

まつりバカの系譜(3)

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 福島県郡山市。同市は久留米市の国内唯一の姉妹都市だ。明治11年、久留米藩士約六百人が刀を鍬に持ちかえ、この東北の地へ率先して入植、今日の郡山市の礎を築いたといわれている。
 その姉妹都市締結セレモニーは昭和50年8月3日。水の祭典本番の明治通り、六ツ門のステージ上で行われた。当日、郡山市からは87人が久留米を来訪している。
 時代は高度成長期のまっただ中。翌年にはさわやか小町コンテストも始まり、当時久留米市にあったKBC九州朝日放送の後援も得て、まつりは一気に華やかなフェスティバルへと加速する。リオのカーニバルダンサーが登場、広場では松田聖子やチェッカーズなど、数多くの若手タレントがステージを賑わせ、まつりは多くの市民がTVのように観て楽しむバラエティショーそのものだった。
 実行委員会会長の鶴田松男の元、高松武と米替は、毎年次々とアイデアを捻り出し、文字通り東奔西走してこのまつりを創り上げていった。第6回(昭和52年)にはそろばん踊り大行列(現・そろばん総踊り)も登場、二千人の踊り連が明治通りを練り歩く。
 「ガメ煮のまつり」
いつの頃からか、このまつりはそう呼ばれるようになっていく。神事の祭事のように古い伝統こそないが、明治通りという壮大な舞台を得て、市民が年に一度、活力を爆発させる場へと成長していった。
 東日本大震災。この未曾有の災害に苦しむ彼の地へ、ふるさと久留米から今こそ元気を届けたい。
「がまだせニッポン!」今年は気合い入れてまつります。

水の祭典40周年■まつりバカの系譜(2) 「どうせやるなら 伸び伸びとな」

 くるめすたいる 2011.5月号

 昭和49年、開催3年目となるこの年、初めて水の祭典総合実行委員会が組織され、初代会長に鶴田松男が推された。そしてこの年、今ではこのまつりの大骨格となった「明治通り歩行者天国」が実現する。市政くるめ683号「くるめの顔」欄に、その経緯が記されている。  …以下引用…
「49年にくるめ水の祭典実行委員長に推されたが、これも地域への恩返しと思い引き受けた。ところが、明治通りの緩速道を細々と走るこども神輿。かわいそうで見られたモノじゃない。どうせやるなら、ど真ん中を堂々と走らせてやりたい。当たって砕けろという気持ちで、当時の伊藤久留米警察署長に明治通り開放を相談した。国道の開放だからいい返事はすぐにゃ返ってこないだろうが・・・
 が、伊藤署長は『鶴田さん。道路を歩行者に取り戻しまっしょ。クルマが威張っとる明治通りで酒盛りがやれりゃ、こりゃ最高ですばい』と、快諾。実に粋な署長さんじゃった。その夏から「明治通り歩行者天国」を舞台に子どもからご婦人、年寄りまでみんなが参加できるガメ煮的な祭りが実現した」   …後略…
5mizunosaiten.jpg 広い明治通りを駆け抜ける子どもたちの笑顔や元気な歓声は、未来への希望そのものだ。この時の英断は、まさに新しい伝統の第一歩となった。
 ふるさとのためなら、という心意気。そんな多くの人々の思いがまつりを創ってゆく。

水の祭典40周年-まつりバカの系譜(1)

 「お前、ちょっと行ってきてくれ」
当時文化センターで「歌と踊り市民の夕べ」などの企画を担当していた米替誓志青年に白羽の矢が立ったのは昭和47年。近見敏之市長の肝いりで各団体や有識者などを集めた「祭り研究会」が発足、そこでは当時バラバラに行われていた夏の祭事をひと括りにし、新しく「水の祭典」としてスタートさせるべく議論が重ねられていた。
 実は「久留米まつり」の名を冠した祭事は、昭和22年から17年間行われていた。もともと筑後地区の重要な商都である久留米には、江戸時代から「祇園祭」「ご繁昌」など、その時代の文化をリードする華やかな祭りが行われていた。
 戦後の荒廃からの復興を期したこの「久留米まつり」でも、九州初のミスコンともいうべき「ミス久留米顕彰会」が開催されるなど、かなりの賑わいを見せていたという。
 新しモン好きはいいが「飽きヤスの好きヤス」が久留米人気質。水の祭典と同時期に始められた類似の仕掛けに「春の祭典」「秋の祭典」などがあったのだが、いずれもいつのまにか消滅している。
 その中で夏の水の祭典だけは戦後最長の祭事となって、今もなおますます多くの参加者を集めている。全国を見渡しても神事以外の祭りでこれほど永く続いている市民祭は希有なものだろう。一体何故、これ程までに市民に支持され続けているのだろうか。
 このコラムは40年にわたって水の祭典に寄り添ってきた米替氏の目を通して、その生い立ちを振り返ってみる。
 今年の本祭まで四ヶ月、よろしくお付き合いください。

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