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無用の言ながら Archive

再生のための再考-無用の言ながら⑤

日本経済新聞特別編集委員  野瀬 泰申
「ある食によるまちおこし団体が県主催のイベントに呼ばれて出展した。しかし悪天候に災いされ大量の食材が残って200万円の赤字になった。個人で簡単に背負える金額ではない。沈痛な表情の団体代表は「別のイベントで稼いで穴埋めします」と自分を励ますように言った。
 愛Bリーグには「補助金をあてにしない」という不文律がある。自分たちが勝手連的に始めたまちおこしなのだから、補助金を前提にしないのは当然のこと。立ち上げ段階で補助金をもらうことはあっても、運動がある程度軌道に乗ると自力でやるようになる。
 赤字を出した団体も補助金に依存していない。これまでイベントの収益をやり繰りして活動を続けてきた。リスクは自分たちで取ってこそ自由に動けるという立場だ。だから逆に頑張りがいがある。
 補助金頼りが体質になると様々な弊害が出てくる。最も典型的なのは「補助金があるからまちおこしをやる」というスタンスだ。これは「補助金が出なくなったから止める」に直結する。補助金の果たす役割は小さくない。だが頼るのは危ない。
 市民自らが多少のリスクを恐れず地域の再生に取り組む覚悟。いまの久留米にそれがあるのだろうか。再生のための再考のときがきている。

まちおこし?無用の言ながら④

日本経済新聞特別編集委員  野瀬 泰申

「B-1グランプリは「日本最大のグルメイベント」と形容されることが多い。しかしそれは間違っている。「グルメイベント」は料理を売るのが目的だから、客を呼ぶためにイベント用の料理を開発しても構わない。個店のメニューでもいい。来場者の投票でどこが優勝しようと、店や料理人の名誉にはなっても、地域全体が潤うことはない。
 対してB-1グランプリに個店は出展できない。資格があるのは基本的に地域に根付いた食べ物をつかってまちおこしをしているボランティア団体だけだ。売っているのは料理ではなく地域。そこが決定的に異なっている。
 食のイベント会場でブースに個別の店の名前が書いてあったり、自分の店の名前が入ったTシャツを着ている人がいたりすれば、イベントがどんな名目であってもそれは集客と店の宣伝のためのグルメイベントと見られ、まちおこしには直結しない。
 「店が元気になれば人を呼べ、まちおこしにつながる」という考え方もある。しかし外から、まちおこしではなく業界おこしをしていると思われ「結局は商売なのだな」という印象を持たれた瞬間に、地域の支持を失う危険性をはらんでいる。
 では久留米の「やきとりフェスタ」はどっちだろう。グルメイベント? それともまちおこしイベント? その両方?

無用の言ながら③『物語を探そう。』

日本経済新聞特別編集委員  野瀬 泰申

「B級グルメ」という言葉自体は1980年代からあった。しかしいまほどのブームにはならなかった。ではなぜ2010年になってブレイクしたのか。
 ブームになっているのは実は「B級グルメ」ではなく「B級ご当地グルメ」、つまり「ご当地」が真の主役なのだ。「よそでは食べられない」とか「食べ物の中に土地の歴史が潜んでいる」というものが人気を呼んでいる。しかしながら久留米のB級ご当地グルメはよそでも食べられるものばかりだ。博多のやきとりと久留米のやきとりは基本的に同じではないのか。久留米ラーメンと博多ラーメンの違いなどこだわるほど違っているのか。
 つまり「よそでは食べられない」という意味で、久留米のB級グルメは決定力を欠いているのだ。これを補うことができるのは「物語の力」しかない。愛Bリーグ代表の渡辺英彦さんは常に言う。「美味いものではなく、うまい話が人を呼ぶ」と。
 久留米は物語=うまい話を発信してこなかった。久留米がとんこつラーメン発祥の地という歴史的事実、やきとり店の数が人口比で日本一という外形的事実は物語ではない。
 物語を探そう。伝説をつくろう。それができなければ久留米は現状を打破できない。

無用の言ながら②『応援団の大切さ』

日本経済新聞特別編集委員  野瀬 泰申

 全国にある食によるまちおこし団体は、市民の応援団が付いている団体と、そうではない団体に分類できる。今年9月に神奈川県厚木市で開かれた第5回B-1グランプリの会場を回っていて、応援団がいる団体の底力を改めて感じた。
 例えば青森県の「八戸せんべい汁研究所」は大勢のサポーターに後押しされている。厚木で2日間に1万食以上を提供するにあたって、八戸から20人ほどの本隊が乗り込んできた。しかし同時に関東在住の八戸出身者が応援に駆けつけ、人数は倍近くに膨れあがった。この人数で調理、手渡し、会場を回っての宣伝と仕事を分担して、戦争のような2日間を乗り切った。
 同じ青森県の「十和田バラ焼きゼミナール」のブースもにぎやかだった。バラゼミのメンバーのほかに弦楽四重奏団やプロのモデル、東京在住の会社員らが応援のパフォーマンスを繰り広げ、会場でひときわ目立っていた。パフォーマンス部隊はもちろん、バラゼミの応援団である。応援団のエネルギーの源は郷土愛と、団体の活動に対する共感である。頼まれてやる応援には熱がこもらない。
 久留米には応援団がいるのだろうか。そこが一番心配な点である。

無用の言ながら①『材料はつかってこそ意味がある』

日本経済新聞特別編集委員  野瀬 泰申

2010年10月16日、富士宮やきそば学会が創立10周年を迎えた。市内のホールで開かれた式典には多くの人々が集まったが、どの顔も誇りに満ちていた。やきそば学会の歴史はB級ご当地グルメをテーマにしたまちおこしの歴史そのもの。富士宮の皆さんには「この新しい地域活性化モデルをつくったのは自分たちだ」という思いがある。
 富士宮の最大の功績は、当時見向きもされなかった「やきそば」にまちおこしのパワーを発見したことである。そして秘められたパワーを「おやじギャグ」という意表を突くソフトを通じて全国に発信した。
 それから10年を経て見えてきたのは「地域に埋もれた材料を発掘するのがまちおこしの近道」ということであった。「つくる」のではなく「ある」ものをつかうことである。その意味で久留米にはラーメン、やきとり、うどんなどの材料が「ある」。それは久留米にとって他都市にない有利な条件であることは間違いない。
 だが問題はここからなのだ。「ある」ことは「ない」よりいい。しかし、うまく使わなければ、ただ単に「ある」だけで、それ以上の意味はない。久留米にとって越えられない壁があるとするなら「いかにつかうか」という方法論の不在ではなかろうか。

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