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くるすたコラム Archive

新・落語スズメvol.26

『江戸前の男

~春風や柳の朝のさわやかさ~』

文/松田 一成

落語関連の本で、秋の夜長の一冊をとのリクエスト。アタシの一冊はこれ。吉川潮著『江戸前の男』〜春風亭柳朝一代記~1996年新潮社刊。昭和の時代、落語四天王と呼ばれ、古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽と同時代を駆けた噺家の話。最初に読んだ時の感想を痛烈に覚えています。柳朝さんの落語を一度でも生で見たかった。それ以上に、ああ、アタシも江戸ッ子に生まれたかったと。〜江戸ッ子は 皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで腸(はらわた)はなし~。粋と野暮。柳朝さんと、柳朝さんを囲む人たちのやり取りが、それを基準に進んでいく。奥様のヨリさん、総領弟子の小朝師をはじめ柳朝さんの弟子たち、噺家の仲間、幼馴染。一章ごとに落語の題がつけられ、序章(くやみ)と最終章(茶の湯)は柳朝さんの夢の風景が差し込まれている。困った。女、酒、博打。芸人への憧れと、江戸ッ子の威勢のよさを堪能する本だと思って紹介をはじめたが、改めて読み返していると、グッとくるものがある。正直に書くと少し泣いた。生前、柳朝さんと親しかった作家の色川武夫氏が、病に伏した柳朝さんを見舞う代わりに「明日天気になれ」と題したエッセイを書いている。全編引用したいが、その色川さんの(柳朝さんはそう呼んでいた)思いやりを受け取る柳朝さんの行動が、思い切り人間臭く、(江戸ッ子の基準からは)とても野暮に思えるのに、それがすごく美しい。400ページ以上ある作品ですが、あっという間に読めます。落語や春風亭柳朝を知らなくても、充分楽しめるお話です。もちろん、読み終わった後は、柳朝さんや落語を愛おしくなるのは受け合い。

新・落語スズメvol.24

『新時代の落語会』
文/松田 一成

お手伝いさせて頂いている落語会、ほぼ5ヶ月ぶりに開催しました。といっても、時候柄、ソーシャルディスタンスをとっての再開、定員をほぼ半分以下にして、開演中は窓という窓を開けてのスタート。会場が繁華な街のビルの3階、救急車のサイレンも御愛嬌での落語会は、演じる噺家も、緊張よりは新しい体験、初体験と吹いていた。新時代の落語会で変わった風景は、噺家以外は全員マスク姿と、もう一つ、座布団前のマイク。狭い会場なので、もちろん普段はマイクなんて使わないのですが、今回からネットの生配信をやってみました。普段はラジオで番組作りをなさってる方からご提案があり、YouTubeでのチャンネル登録とあわせて、今回の配信となりました。急に決まった事でしたが、お馴染みさまばかりでもあり(ご来場いただいたお客様は有料、ネット配信は無料にもかかわらず)、逆に楽しんでくださる姿勢。まるまる2時間の高座を配信させて頂きました。YouTubeでリアルタイムでご覧になられた方はそう多くはありませんでしたが(現在でもアーカイブとしてご覧になることができます!)、こんな形の落語会が新時代の(敢えて新時代と言いますが)スタイルの一つになるのかと思いながら、『芸は消えもの』という言葉を思い出しておりました。
いい話と悪い話。8月25日に久留米座で予定していました『落語教育委員会inくるめ』開演中止とさせて頂きました。楽しみにして頂いた方申し訳ありません。いい話、8月5日開催点心寄席、午後7時よりYouTube立川生志チャンネルにて生配信。是非、チャンネル登録をお願いします。

新・落語スズメvol.21

『談志の遺言』

文/松田 一成

『〜来たことを後悔するようになればいい』と県境に関所を設けた県知事さんの発言を聞いた。『けしからん』というのは簡単だが、『もっともだ』という意見は口には出しにくい。子分を守る親分としては理解できなくもないところ。まあ、それを口に出すところが、追い詰められているのだなとアタシは同情的であります。そんな発言の真逆のセリフを思い出した。20年前くらいだろうか。志ん朝、笑点クラスの噺家でさえ、ホールを満杯にすることが難しかった落語低迷期。九州のこんな田舎にその噺家が来るというので小躍りしてチケットを求めた。待ちに待った当日、会場が変更されていた。1000人超の大ホールから500人弱の小ホールに。その客席の半分も埋まっていない。高座に上がった噺家は会場をぐるっと見渡し、今にして思えば、その時覚悟を決めていたように思う。有名人であるその噺家への大袈裟な拍手で始まった独演会。一所懸命、笑いを探す客。始終不機嫌な噺家。会場は期待と違う雰囲気に明らかに戸惑っていて、奇妙な時間が流れていた。見切ったのか、その噺家『今日、ここに来なかった奴を後悔させてやる』。『芝浜』を唐突に始めた。内容は割愛するが、追い出しが鳴っても、会場嗚咽の嵐。誰もしばらく席から立ちあがれない。アタシにとっては落語に対する人生の転機となった会でした。『ここに来なかった奴を後悔させてやる』ということは、そこに居合わせたアタシたちは、『落語のすばらしさ、言葉の凄みを、周りに伝えなさい』という使命をその時受けたのだと思う。あれから随分時間がたった。時代や価値が変わりつつある。落語、ひいては芸術を取り巻く環境はどこまで厳しくなっていくのか想像できない。でもあのガラガラのホール落語の時とは全く違う。客が来ないのではない、行かれないのだ。希望はいくらでもある。もう少しがんばりましょう。

新・落語スズメvol.20

『コロナってる話』

文/松田 一成

〜コロナ猛威の最中皆様如何お過ごしでしょうか?遂に寄席も臨時休業と相成りました。こんな時こそお笑いが良いのですが…致し方無いですね。オリンピックさえも一年延期です。『コロナ感染』が『オリンピック観戦』を吹き飛ばした訳ですが『感染に完全に立ち向かい勧善懲悪の結末』を待ちましょう!〜知り合いの噺家さんから3月28日に送られてきたメール。東日本大震災の時でさえ閉めなかった東京のすべての寄席が、その28日、29日休演を決めた。ホール落語や、独演会等は早々に中止延期が決定していましたが、今回のこの話は金銭面以上に、精神的に相当こたえているようで。とくに上野鈴本演芸場三月下席夜の部では、新真打の門出を祝うべく「真打昇進襲名披露興行」の真っ最中、28日春風亭一左さん、29日はこのコラムでもお馴染み三遊亭歌武蔵師匠の一番弟子、三遊亭志う歌さんのお披露目が予定されていました。「しばらくして収まったらシャレになる」と粋がるところは、アタシの尊敬してやまない噺家さんのスタンスだが、ホントつらい。オリンピック延期が決まる前までは、なんとなく大丈夫そうだとの気配まであったのに、完全に油断しておりました。とりあえずゴールデンウイーク終了まで厳戒体制とは。今回ばかりはパーパー吹く相手の質が悪かったようで。勧善懲悪の結末は果たしていつ頃見られるのやら。『噺家は世情のアラで飯を食い』コロナをどう料理して下さるか、普通に寄席で落語が聞ける日常が来るまでお待ち申し上げております。

新・落語スズメvol.19

『BとK』

文/松田 一成

コロナですよ。軒並み中止、延期の報が続いてますが、くるめすたいるさん主催3月7日『立川生志独演会』石橋文化センター小ホールも延期となりました。こういった時、本当に弱い。いかに娯楽や芸能、もっと平たく言えば文化が、世の中の余裕で生かされているかを気付かされます。8年ぶり2度目。先日の落語会、空き時間があったので噺家さんからタバコの吸える喫茶店とのリクエスト。昭和から続く洒落た雰囲気をいたく気に入られ思わず長居。久留米は残ってます。2、3軒思い当たるそんな店の話をしていたら、じゃあ、夜の部もということに。あけぼのアーケードから脇に入って鮨屋の先、ちょっと降りるような感じでそのバーに入った。今でも緊張する佇まい。初めて連れて行ってもらった時は、すっかり時間の止まっているような空間に、久留米で飲んでいることを忘れたことを思い出した。50年以上変わらない内装は、壁一面に飾られた様々なウイスキーボトル。長めのカウンターと、恐ろしく座り心地のいいソファーのある中2階の構成は、その当時一番流行っていた店を参考に作ってもらったと伺った。師匠も一瞬で気に入ったようで、バーにまつわる飛び切りの話(御出演、古今亭志ん朝師匠)をして下さった。貸し切りの状態で結構グラスを重ねたように思う。唐突に「帰っていいから。」と言われ、『まさかのママ狙い』と下らない想像を笑いながら先に店を出た。ロマンチストな師匠は店の時間と空間を独占したかったのだろう。「久留米はいいね。ありがとう。」別れ際に言われた言葉がとても嬉しかった。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.129

“2019年 コロンビア COE審査会adachi2.jpg

アルメニア/キンディオ”

写真と文 安達  和宏

2019年の3月、コロンビアCOEの審査会の一コマです。審査会もその方法や理論的な事など毎回(毎年)アップデートされていて新たな発見や勉強になります。そんな中、今回はこのカッピンググラスの形状が違ってました。今までは陶器の湯呑型で口径が広いものが多かったのですが、今回は背の高いコップ型が使われました。容量は殆ど変わらないと思いますが、攪拌(ブレーク)の時は普段より小さい動きになりますし、時間経過してからの液体と粉との対流などその関係にも影響あるようです。この様に、毎年新たな取り組みと検証が進み、美味しいコーヒーづくりにフィードバックされています。今年は未だどこの国の審査会へ行くか決まってませんが、今から楽しみです。

新・落語スズメvol.18

『落語暦(らくごよみ)』

文/松田 一成

宮原勝彦さん、アタシが最初に落語会を開くのに相談した、師匠のような存在の人だ。お名前を知ったのは、もう20年以上前だったと思う。落語好きが高じて、自宅を寄席にした人が居ると聞いた。狭い街なのですぐに辿りついたのだが、行ってびっくり、応接間あたりを畳敷きにした、20人くらいの寄席かと思ったら、ステージ付きの100人も入る立派なホールが玄関脇に建っていた。ホールの名前を『狸ばやし(今年から『たぬきばやし』に改名)』。落語趣味もここに極まれり。金持ちの道楽でも何でもない、いたって真っすぐな落語道を進んでいると、こんなホールが建ってしまったと、さも当たり前のように聞いたように思う。なんなら、あなたも、みたいな雰囲気があった。(だから最初の会を開くときに相談したのだが)その宮原さん、元サラリーマン、西日本新聞の記者をされていたが、4年前に退職され、昨年秋に本を出版されたという。もちろん落語の本。落語暦(らくごよみ)一年366日(閏年もおまけで入ってます)を落語で遊ぶ本と前書きに記してある。1月1日の『御慶』に始まり、12月31日の『芝浜』まで、今日は何の日?形式から、それにまつわる(こじつけた(笑))落語、俳句やうんちく、同僚下川光二氏に書かせたというイラストも秀逸な楽しい本だ。「書き上げるのに3年かかった」と宮原さんの力作には、友人だった直木賞作家『葉室麟』さんが以前寄稿された『狸ばやし騒動記』も収められている。(宮原さんの人なりは、さすが直木賞作家、涙なくしては読めない文章です)アタシの同僚もはまっているその『落語暦』、集広舎より出版、現在、近郊書店に絶賛平積み中とのこと。是非お手もとに。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.128

“2008年 ブラジル

ミナス・ジェライス クリスティーナ村”

写真と文 安達  和宏
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ブラジルの買い付けは世界一のコーヒー産地という肩書き抜きにして、他の産地以上に思いが入ってしまいます。中でも2002年ブラジルCOEで見事一位になった、アグアリンパ農園の訪問は一際印象に残りました。サンパウロから北東300km程にある湧水で有名なサンローレンソの街へ、そこから車で10分いつも買い付けするカルモデミナスへ、そこからまた10分ほどでクリスティーナ村に入ります。農園主のジョゼ・カルロスさんは柔和に話し始め、乾燥の様子や小屋に保管しているこの年収穫のパーチメント(乾燥させまだ殻が付いたままの生豆)を見せてくれました。その光景と何より広がる空の青さが私の心を鷲掴みにしました。このところご無沙汰してしまったクリスティーナ村、また出向きたいものです。

新・落語スズメvol.16

『暮れの話』
文/松田 一成

酔い覚ましに外に出ると、空気がパリッとして、少し寒すぎはしませんかという頃の話。平成15年の暮れ、夕食を済ませた頃電話があり、太地喜和子似の後輩がやっている小料理屋に呼び出された。堅気には見えない、どうも噺家風情の方がいらっしゃって、とっさにアタシの事を思い出したらしい。当時アタシはコミュニティFMで番組をやっていた事もあり、欲目半分、既に酔っぱらってはいたが、ままよと成り行きにまかせることにした。店につくと、カウンターに一人、ベージュ色のタートルネックセーターを着た、キレイに刈り上げた短髪頭の初老の男性が飲んでいた。その時が、人生の岐路だと気が付いたのは、随分後だ。それはそれは楽しい時間が過ぎて、興奮していたように思う。そんなアタシを見て、件の噺家は、「あんちゃん、そんなに落語が好きなら、自分で会をおやりなさい。九州での仕事の時は連絡するから」と悪魔の囁き。酒の場のリップサービスだと自分に言い聞かせながら、暮れにいい夢を見せてもらったと、その晩はなかなか寝付けなかったように覚えている。それから令和になった今まで、続いている会、一回だけの会、なんと、会に来て下さっていたお客様が自分でと始めた会。ネタ帳を繰っていたら、優に200回を越えていた。知り合った頃は『二つ目』(江戸落語の位)だった噺家が『真打』に昇進され、最近はお弟子さんまで出来た。まるで人生。落語が縁で随分と楽しい思いをさせてもらっている。最近は歳をとって横着も覚えたが、開演前には緊張するし、会が終わっての打ち上げは何より楽しみだ。そんなきっかけとなった噺家の新しい会が今日ある。道具を車に積み込もうと外に出たら、空気がパリッとしていて、思わず息を飲呑んだら、そんなことを思い出した。皆さま、今年もありがとうございました。どこかの会で見掛けましたら、気安くお声掛けください。楽しみの多少のお福分けが出来ればと思います。よいお年を!
1月4日シティプラザ久留米座、午後2時30分開演「笑福亭風喬独演会」。ゲストはなんと!上方落語協会会長「笑福亭仁智」。前売り2500円、当日3000円。当日「くるめすたいるで見た」とおしゃっていただければ前売り代金でご入場いただけます!

新・落語スズメvol.15

『高座のはなし』
文/松田 一成

お手伝いさせて頂いている落語会、30人も入れば満杯の会場だが、開演前にお客様から、高座が高すぎるのではないかと質問があった。実際、前列のお客様から高座を見ると見上げる形になり、なかなか首が疲れそうな高さだ。高いから高座?ビールケース3段ほど、測ってみると1メートルちょっと、確かに顔は上を向くことになる。なぜこの高さなの?『高座』、語源は寺院、説教所で説教師が着く「講座」にあり、聴衆のいる平座より高く設けられたところから「高座」と書くようになりました~上野鈴本演芸場のホームページより~平たく言えば、上から目線での説教が始まりかと(お坊さんごめんなさい。お寺で使う本物の高座を見せて頂いたが座るというより、登るという表現がぴったり。)合点するにはもう一つの理由の方が合理的。落語を生でご覧になられた方は思い当たるところがあろうかと。落語を語る第一は表情だが、それと同じくらい仕草が噺を伝える。特に手の仕草は登場人物を描きわけるのに重要だと、それこそ初めて高座を設えたときに師匠から教わった。正座をして、太腿にニギリコブシを置く位置で人物の身分が分かると。なるほど、ニギリコブシが膝頭から遠ければ遠いほど、反り身になって偉そうにみえる。それを伝えるには、最後列のお客様からも膝頭が見えなければなりません。ホールのように見下ろす形であれば、座布団一枚で事足りますが、狭い会場では、すべてのお客様から演者が見えるようにするには、お客様が座った目線の位置と噺家の膝の位置が同じくらいの高さが必要なのです。先のお客様へそうご説明させて頂くと、納得のご様子。後ろの方に陣地を拵えられた。ちなみに最前列、まんまん中あたりの席を(やっぱり首は疲れますが)、符丁で唾被り(つばっかぶり)というそうで。なかなか受難のお席ですが、寄席の特等席だとアタシはおすすめいたします。機会があれば是非。

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