Home > くるすたコラム

くるすたコラム Archive

新・落語スズメvol.15

『高座のはなし』
文/松田 一成

お手伝いさせて頂いている落語会、30人も入れば満杯の会場だが、開演前にお客様から、高座が高すぎるのではないかと質問があった。実際、前列のお客様から高座を見ると見上げる形になり、なかなか首が疲れそうな高さだ。高いから高座?ビールケース3段ほど、測ってみると1メートルちょっと、確かに顔は上を向くことになる。なぜこの高さなの?『高座』、語源は寺院、説教所で説教師が着く「講座」にあり、聴衆のいる平座より高く設けられたところから「高座」と書くようになりました~上野鈴本演芸場のホームページより~平たく言えば、上から目線での説教が始まりかと(お坊さんごめんなさい。お寺で使う本物の高座を見せて頂いたが座るというより、登るという表現がぴったり。)合点するにはもう一つの理由の方が合理的。落語を生でご覧になられた方は思い当たるところがあろうかと。落語を語る第一は表情だが、それと同じくらい仕草が噺を伝える。特に手の仕草は登場人物を描きわけるのに重要だと、それこそ初めて高座を設えたときに師匠から教わった。正座をして、太腿にニギリコブシを置く位置で人物の身分が分かると。なるほど、ニギリコブシが膝頭から遠ければ遠いほど、反り身になって偉そうにみえる。それを伝えるには、最後列のお客様からも膝頭が見えなければなりません。ホールのように見下ろす形であれば、座布団一枚で事足りますが、狭い会場では、すべてのお客様から演者が見えるようにするには、お客様が座った目線の位置と噺家の膝の位置が同じくらいの高さが必要なのです。先のお客様へそうご説明させて頂くと、納得のご様子。後ろの方に陣地を拵えられた。ちなみに最前列、まんまん中あたりの席を(やっぱり首は疲れますが)、符丁で唾被り(つばっかぶり)というそうで。なかなか受難のお席ですが、寄席の特等席だとアタシはおすすめいたします。機会があれば是非。

新・落語スズメvol.14

『粗忽長屋』
文/松田 一成

「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺は誰だろう?」ご通家の方ならピンとくるかも、落語『粗忽長屋』のサゲ。最近立て続けに聞くこととなった。一席は、大ホール二人会、もう一席は40名ほどの定例会、演者はそれぞれ。粗筋はこう。身元不明の行き倒れ騒ぎに出くわした八五郎は、その行き倒れは今朝まで一緒だった熊五郎だと言う。見物人からは、行き倒れは昨晩からだったから人違いだと言われるが、いやいや、人様に迷惑をかけてはいけない、熊五郎本人にその死骸を引き取らせると八五郎奔走。いきなり「お前は死んだんだ」と言われた熊五郎も、自分の粗忽さ加減をいろいろ指摘されなんとなく納得。そこでその死骸を抱きかかえながら熊五郎、冒頭のセリフ。五代目小さん(インスタントみそ汁のコマーシャルに出てた人、立川談志の師匠)に言わせると、粗忽ものと言われるジャンルの噺の中で最も難しいと。実際、先般のホール落語の中では最大公約数的に、八五郎、熊五郎それぞれの慌てぶりを面白おかしく並べたて、笑いにつなげる、これぞ本道、間抜けなオチがじわじわと客席を笑いで包んだ。一方定例会の演出は、八五郎の正義を盾にした暴走を前面に押し出す。初め熊五郎は八五郎を信用していない。どちらかというと、ホール落語の演出と違って、熊五郎は常識を持ち合わせた小市民といった設定。抵抗を試みるが、八五郎の正義に翻弄され、徐々に追い詰められ、自分自身を見失っていく。ついにはその死骸と対面する。件のサゲ。死骸は俺ではないと最後まで信じたいが、状況は絶望的。テーゼを変えるしかないのかという結論、熊五郎の最後の抗いに聞こえた。正義を声高に叫ぶ者の前ではすべてが無力。もう笑うしかないという熊五郎の状況に、笑った笑った。同じ話を聴いたと嘆くなかれ、噺家のセンスはこうも偉大。

祝伊丹十三賞受賞!今年も久留米に『ほとばしる浪曲!玉川奈々福』がやってきます。11月4日 午後2時開演 久留米シティプラザCボックス。前売り・予約/2500円。問い合わせ・ご予約/久留米で落語の会 090(2511)5371

新・落語スズメvol.12

「社会派です(笑)」

文/松田 一成

タイムリーに吉本問題(笑)。まあ、次から次に、いろんな話が出てきて、二転三転、つじつま合わせに四苦八苦、それを追い詰めて、世の中は果たして何を映しているかとういう話。勧善懲悪のストーリーに仕上げるには、主人公のキャラ不足が露呈。セコイ嘘の発端は、体制批判に、お前が言うな感を漂わせながら、御涙頂戴とは少し遠かったよう。ただ、金髪某氏の天然ぶりが、この人ほんとに素直な人なんだろうなと、テレビで本当の事を言ってしまった琴錦関の「どっちも好き発言」と重なりました。アタシも早速お茶の間コメンテーターの仲間入り。素敵です、生活には全く関係のない話を、飛び切りのエンターテナーとして金もとらずに見せてくれる世の中は。中心はテレビ。テレビは正義、テレビはモラル、テレビは生活。まだまだ世間、いや、国家を為している風情。そのテレビの強力なライバル、ネット。ある程度のポジションをこしらえてきましたが、いかんせん、全ての世代には行き届かず、まだまだテレビが前提の世界だったり、興味のある方向だけがその人にとってより深い世間になってしまう難あり。どっちもロハ(只)で楽しみ、アガペー(無垢の愛、おおげさ(笑))だと信じている我々はその対価に何を支払っているんだろうと。こんなくだらないことで大騒ぎしながら(くだらないというのは正義やモラルの押し付け)消費活動の片棒を担いでいることは織り込み済みでしょうが、それを差し引いても、今回の違和感は拭えず。これがプロレス的予定調和ならあっぱれですが、労働闘争をする芸人は笑えません。テレビやネットが映し出す現実と言われている世の中と、多少ずれを感じている、そのずれが対価(つけ)なのかなというのが今回の話。

新・落語スズメvol.10

「二朝会」
文/松田 一成

令和になってもブームがまだ続いているようで、落語CDの予約発売案内が届いた。〜『1969年7月から1974年12月まで、全29回にわたり、五代目春風亭柳朝との「二朝会」。約45年の時を経て、当時まだ30代にして既に名人の片鱗が伺える志ん朝の、華やかな高座をお聴き下さい。』〜とあった。昭和の落語四天王と呼ばれたお二人の若かりし頃(柳朝の方が9歳お兄さんであったが)芸を競い合った伝説の落語会の音源が見つかったそうだ。「二朝会」、もちろん柳朝と志ん朝の朝をとって名付けられたそうだが、最初はそんなオツな呼び方はされていなかったとも。柳朝と志ん朝の会、第一回目プログラムのご挨拶には、林家正蔵(彦六)と柳家小さんが並んでいる。そのなかで正蔵は弟子でもある柳朝の噺家廃業エピソードを記し、落語以外ではテレビに出ないと決意した志ん朝をほめている。また小さんは当時テレビで売れていた二人が、本業の噺にやる気が出たことを素直に喜んでいる。アタシには文献(笑)でしか知らなかったものが、志ん朝師が亡くなってもう18年あまり経ち、令和になって、こうやって世の中に出てきた。嬉しい。少々値の張るCD全集だが予約しようかと。だがちょっと待った。「二朝会」の音源なのに、柳朝師の演目が一席も入ってない。予定もないらしい。うーん、ブームというのはなかなか野暮な現実も突き付けます。アタシにとっては、まだ伝説の落語会のようで。
追伸、令和伝説(になるかもしれない)の落語会!兼好が!喬太郎が!歌武蔵が!5年ぶりに久留米に来る!落語教育委員会in久留米、8月23日開催決定!詳細は来月。

新・落語スズメvol.9

「裏長屋騒動記(ネタバレあり)」
文/松田 一成

「(五代目)小さん師匠から、新作落語の依頼を受けたときは夢かと思うほど嬉しかった」とインタビューに答えたこともある落語好きの山田洋次監督が、その落語の世界を芝居にしたというお話。案内には監督自身の言葉で「今回初めて、前進座と一緒に舞台を創ることになりました。落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」をもとに、ある裏長屋で起こる騒動のお話です。〜どうぞ、ご見物の時には、舞台の俳優さんと同じ空間で、笑いや喜びを共有して、にぎやかに大声で笑いながらお楽しみください」。アタシにとって前進座といえば、女優も出演する歌舞伎くらいしかイメージのなかった劇団。その芝居に落語の主人公、嫌われ者の『馬』と正直だけが取り柄の『清兵衛』を、どう見せてくれるのかと楽しみに劇場へ向かう。あらすじは人情噺「井戸の茶碗」が縦糸となり、『清兵衛(劇中では久六)』を中心に浪人の娘『お文』と若侍『高木作左衛門』の恋模様を描いた爽やかな時代劇。落語の中では河豚に当たってすぐに死んでしまう『馬』も、芝居のなかでは意外と長生き(笑)。死人となった後も見事な踊りを(DA PUMP、U.S.Aのノリで)披露のサービスぶり。落語として頭の中で想像する世界が、目の前で軽快に繰り広げられ、違和感のあった場面転換も、気づけば芝居の間として楽しめる仕掛け。いよいよ、長唄に編曲された「寅さんのテーマ」が流れると、大向こうから「豊島屋!」の声も掛かり、山田監督「してやったり」の表情が思い浮かぶ。カーテンコールに並んだ役者さんの表情を思い出しながら、日本人の心情的大団円を素直に楽しんだ芝居見物でありました。

新・落語スズメvol.7

「茶番」
文/松田 一成

『歌奴』といえば「山のアナアナ」で聞き馴染みの三遊亭円歌師(今年3月、三遊亭歌之介師が四代円歌となる予定)を思い出される方も多いでしょう。当代(当代は四代、円歌師の歌奴は二代目)は大分県のご出身、品のある語り口に、現代感覚のクスグリで、先日も上野鈴本演芸場で主任(トリ)を取られてます。その三遊亭歌奴師が、太神楽の鏡味仙志郎師とご出身地の大分の興行に合わせて久留米でも一席持って下さいました(久大線落語会!)。そのご報告。それぞれ、落語と太神楽ご披露の後は、スペシャル!アタシも初めて、『茶番』。いわゆる寸劇、コントなのですが、カツラとほっかむり、尻っぱしょりで演じるのは忠臣蔵、五段目二つ玉の段。盗賊「斧定九郎」を仙志郎師、五〇両を持って夜道を急ぐ老人「与市兵衛」を歌奴師。真っ暗な京都山崎街道を舞台に、定九郎が与市兵衛を切り殺し、金を奪うという実に陰惨な話、それが見事にショートコントへ大変身。仙志郎演ずる定九郎、片足を大袈裟に上げて「見得」を切るが、「ツケ」を打つ歌奴師がなかなか終わらない。そうじゃないと手取り足取り始める芝居の段取りがちょっとした歌舞伎教室。見得、ツケ、だんまり(スローモーションのように大袈裟に動く様子)、面白可笑しい符丁の解説となって、古典芸能に漬かってる感(お前は漬物か!)満載でありました。お仲入り後は歌奴師の落語。講談ネタから、人情大岡裁き「さじ加減」。堅物な若医者「現益」と芸者「お浪」のラブストーリー。爽やかに語って下さいました。こんな番組を久留米で見られるなんて。来年も是非「久大線落語会」期待しております。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.103

“2017 コロンビア サン・アドルホ農園Ⅱ”

写真と文 安達  和宏

adachi20171205.jpg2017年3月に訪問した農園での一コマです。前号で紹介した女性方が作った農園のおもてなし料理で腹ごしらえの後は、生産処理場と乾燥棚(2階建)の見学です。お腹パンパンのところに不安定なハシゴ階段を必死によじ登りながら乾燥の様子を記憶に留めます。電線が目の前にある位なので結構な高さで、眺めも変わり農園の区割りもよく分かります。棚の上では、ゆるやかな風を受けながら生産者とエキスポーターが談笑し近況報告や今年の出来映えを話していました。我々もそうですが、エキスポーターにとっても情報交換は最重要事項です。産地の状況や生産者の想いも汲みながら、また私たちに素晴らしい豆を紹介してくれるのです。

伝える事の重要さを噛み締める今日この頃であります。

銀のすぷーんの 筑後平野 旬だより vol.62

~藤山町の栗~

 

今年も秋を感じさせてくれる栗が収穫の時を迎えました。久留米市藤山町で、栽培された栗は、特別大粒のもの!ごろっと大きな栗の鬼皮をむき、スジ取りをして、シロップでことこと煮込むこと1週間。じっくり時間をかけて、ほっくりおいしい渋皮煮を手作りします。その栗を丸ごとに閉じ込めたマロンパイや、ぎっしりつめこんだ「贅沢モンブラン」などに使っていきます。久留米ならでは、手作りならではの味覚を楽しんで!

 

取材協力/銀のすぷーん

syun201210-1.jpg syun201210-2.jpgsyun201210-3.jpg

銀のすぷーんの 筑後平野 旬だより vol.61

~藤山のなしが今年も実りました~

 chikugo1209.jpg

PÂTISSERIE銀のすぷーんで素材に使われている梨は、お菓子屋さんでよく見かける洋ナシではなく、いわゆる和ナシ。久留米市藤山町で、7月から9月にかけ収穫される「幸水」「豊水」が使われています。梨の木の枝剪定~受粉~摘果から、スタッフが梨作りにも参加し、今年も収穫の時を迎えました。梨が育っていく様子をじかに見ながら、梨農家さんの大変さや自然の恵みに感謝しつつ、藤山のなしの美味しさを生かしたスウィーツを作ります。

 

取材協力/銀のすぷーん

銀のすぷーんの 筑後平野 旬だより vol.60

「小林さんのマンゴー」

お待たせしました!小林さんのマンゴーが入荷しました。
広川町の小林さんが営む農園で育てられたアップルマンゴーが、ようやく収穫の時期を迎えました。「今年はまだですか?」というお客様の、待ちわびるお声も聞こえてくるほど、この季節の人気商品になりました。小林さんのマンゴーは、手間ひまかけて、愛情かけて育てられた逸品。ひとつひとつネットをかけられたマンゴーは、完熟すると自然に落下します。もぎ取るのと比べ香りがとても良いのだとか。そんな完熟のアップルマンゴーをたっぷり使った生ケーキが販売中。じっくり熟したマンゴーが、キラキラ輝いてショーケースに彩りを加えてくれています。小林さんのマンゴーが収穫できるまでの期間限定!
短い夏を楽しんでください。

取材協力/銀のすぷーん

201208_chikugoheiya1.jpg 201208_chikugoheiya2.jpg

Home > くるすたコラム

Search
Feeds
Meta

Return to page top