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くるすたコラム Archive

新・落語スズメvol.19

『BとK』

文/松田 一成

コロナですよ。軒並み中止、延期の報が続いてますが、くるめすたいるさん主催3月7日『立川生志独演会』石橋文化センター小ホールも延期となりました。こういった時、本当に弱い。いかに娯楽や芸能、もっと平たく言えば文化が、世の中の余裕で生かされているかを気付かされます。8年ぶり2度目。先日の落語会、空き時間があったので噺家さんからタバコの吸える喫茶店とのリクエスト。昭和から続く洒落た雰囲気をいたく気に入られ思わず長居。久留米は残ってます。2、3軒思い当たるそんな店の話をしていたら、じゃあ、夜の部もということに。あけぼのアーケードから脇に入って鮨屋の先、ちょっと降りるような感じでそのバーに入った。今でも緊張する佇まい。初めて連れて行ってもらった時は、すっかり時間の止まっているような空間に、久留米で飲んでいることを忘れたことを思い出した。50年以上変わらない内装は、壁一面に飾られた様々なウイスキーボトル。長めのカウンターと、恐ろしく座り心地のいいソファーのある中2階の構成は、その当時一番流行っていた店を参考に作ってもらったと伺った。師匠も一瞬で気に入ったようで、バーにまつわる飛び切りの話(御出演、古今亭志ん朝師匠)をして下さった。貸し切りの状態で結構グラスを重ねたように思う。唐突に「帰っていいから。」と言われ、『まさかのママ狙い』と下らない想像を笑いながら先に店を出た。ロマンチストな師匠は店の時間と空間を独占したかったのだろう。「久留米はいいね。ありがとう。」別れ際に言われた言葉がとても嬉しかった。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.129

“2019年 コロンビア COE審査会adachi2.jpg

アルメニア/キンディオ”

写真と文 安達  和宏

2019年の3月、コロンビアCOEの審査会の一コマです。審査会もその方法や理論的な事など毎回(毎年)アップデートされていて新たな発見や勉強になります。そんな中、今回はこのカッピンググラスの形状が違ってました。今までは陶器の湯呑型で口径が広いものが多かったのですが、今回は背の高いコップ型が使われました。容量は殆ど変わらないと思いますが、攪拌(ブレーク)の時は普段より小さい動きになりますし、時間経過してからの液体と粉との対流などその関係にも影響あるようです。この様に、毎年新たな取り組みと検証が進み、美味しいコーヒーづくりにフィードバックされています。今年は未だどこの国の審査会へ行くか決まってませんが、今から楽しみです。

新・落語スズメvol.18

『落語暦(らくごよみ)』

文/松田 一成

宮原勝彦さん、アタシが最初に落語会を開くのに相談した、師匠のような存在の人だ。お名前を知ったのは、もう20年以上前だったと思う。落語好きが高じて、自宅を寄席にした人が居ると聞いた。狭い街なのですぐに辿りついたのだが、行ってびっくり、応接間あたりを畳敷きにした、20人くらいの寄席かと思ったら、ステージ付きの100人も入る立派なホールが玄関脇に建っていた。ホールの名前を『狸ばやし(今年から『たぬきばやし』に改名)』。落語趣味もここに極まれり。金持ちの道楽でも何でもない、いたって真っすぐな落語道を進んでいると、こんなホールが建ってしまったと、さも当たり前のように聞いたように思う。なんなら、あなたも、みたいな雰囲気があった。(だから最初の会を開くときに相談したのだが)その宮原さん、元サラリーマン、西日本新聞の記者をされていたが、4年前に退職され、昨年秋に本を出版されたという。もちろん落語の本。落語暦(らくごよみ)一年366日(閏年もおまけで入ってます)を落語で遊ぶ本と前書きに記してある。1月1日の『御慶』に始まり、12月31日の『芝浜』まで、今日は何の日?形式から、それにまつわる(こじつけた(笑))落語、俳句やうんちく、同僚下川光二氏に書かせたというイラストも秀逸な楽しい本だ。「書き上げるのに3年かかった」と宮原さんの力作には、友人だった直木賞作家『葉室麟』さんが以前寄稿された『狸ばやし騒動記』も収められている。(宮原さんの人なりは、さすが直木賞作家、涙なくしては読めない文章です)アタシの同僚もはまっているその『落語暦』、集広舎より出版、現在、近郊書店に絶賛平積み中とのこと。是非お手もとに。

コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.128

“2008年 ブラジル

ミナス・ジェライス クリスティーナ村”

写真と文 安達  和宏
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ブラジルの買い付けは世界一のコーヒー産地という肩書き抜きにして、他の産地以上に思いが入ってしまいます。中でも2002年ブラジルCOEで見事一位になった、アグアリンパ農園の訪問は一際印象に残りました。サンパウロから北東300km程にある湧水で有名なサンローレンソの街へ、そこから車で10分いつも買い付けするカルモデミナスへ、そこからまた10分ほどでクリスティーナ村に入ります。農園主のジョゼ・カルロスさんは柔和に話し始め、乾燥の様子や小屋に保管しているこの年収穫のパーチメント(乾燥させまだ殻が付いたままの生豆)を見せてくれました。その光景と何より広がる空の青さが私の心を鷲掴みにしました。このところご無沙汰してしまったクリスティーナ村、また出向きたいものです。

新・落語スズメvol.16

『暮れの話』
文/松田 一成

酔い覚ましに外に出ると、空気がパリッとして、少し寒すぎはしませんかという頃の話。平成15年の暮れ、夕食を済ませた頃電話があり、太地喜和子似の後輩がやっている小料理屋に呼び出された。堅気には見えない、どうも噺家風情の方がいらっしゃって、とっさにアタシの事を思い出したらしい。当時アタシはコミュニティFMで番組をやっていた事もあり、欲目半分、既に酔っぱらってはいたが、ままよと成り行きにまかせることにした。店につくと、カウンターに一人、ベージュ色のタートルネックセーターを着た、キレイに刈り上げた短髪頭の初老の男性が飲んでいた。その時が、人生の岐路だと気が付いたのは、随分後だ。それはそれは楽しい時間が過ぎて、興奮していたように思う。そんなアタシを見て、件の噺家は、「あんちゃん、そんなに落語が好きなら、自分で会をおやりなさい。九州での仕事の時は連絡するから」と悪魔の囁き。酒の場のリップサービスだと自分に言い聞かせながら、暮れにいい夢を見せてもらったと、その晩はなかなか寝付けなかったように覚えている。それから令和になった今まで、続いている会、一回だけの会、なんと、会に来て下さっていたお客様が自分でと始めた会。ネタ帳を繰っていたら、優に200回を越えていた。知り合った頃は『二つ目』(江戸落語の位)だった噺家が『真打』に昇進され、最近はお弟子さんまで出来た。まるで人生。落語が縁で随分と楽しい思いをさせてもらっている。最近は歳をとって横着も覚えたが、開演前には緊張するし、会が終わっての打ち上げは何より楽しみだ。そんなきっかけとなった噺家の新しい会が今日ある。道具を車に積み込もうと外に出たら、空気がパリッとしていて、思わず息を飲呑んだら、そんなことを思い出した。皆さま、今年もありがとうございました。どこかの会で見掛けましたら、気安くお声掛けください。楽しみの多少のお福分けが出来ればと思います。よいお年を!
1月4日シティプラザ久留米座、午後2時30分開演「笑福亭風喬独演会」。ゲストはなんと!上方落語協会会長「笑福亭仁智」。前売り2500円、当日3000円。当日「くるめすたいるで見た」とおしゃっていただければ前売り代金でご入場いただけます!

新・落語スズメvol.15

『高座のはなし』
文/松田 一成

お手伝いさせて頂いている落語会、30人も入れば満杯の会場だが、開演前にお客様から、高座が高すぎるのではないかと質問があった。実際、前列のお客様から高座を見ると見上げる形になり、なかなか首が疲れそうな高さだ。高いから高座?ビールケース3段ほど、測ってみると1メートルちょっと、確かに顔は上を向くことになる。なぜこの高さなの?『高座』、語源は寺院、説教所で説教師が着く「講座」にあり、聴衆のいる平座より高く設けられたところから「高座」と書くようになりました~上野鈴本演芸場のホームページより~平たく言えば、上から目線での説教が始まりかと(お坊さんごめんなさい。お寺で使う本物の高座を見せて頂いたが座るというより、登るという表現がぴったり。)合点するにはもう一つの理由の方が合理的。落語を生でご覧になられた方は思い当たるところがあろうかと。落語を語る第一は表情だが、それと同じくらい仕草が噺を伝える。特に手の仕草は登場人物を描きわけるのに重要だと、それこそ初めて高座を設えたときに師匠から教わった。正座をして、太腿にニギリコブシを置く位置で人物の身分が分かると。なるほど、ニギリコブシが膝頭から遠ければ遠いほど、反り身になって偉そうにみえる。それを伝えるには、最後列のお客様からも膝頭が見えなければなりません。ホールのように見下ろす形であれば、座布団一枚で事足りますが、狭い会場では、すべてのお客様から演者が見えるようにするには、お客様が座った目線の位置と噺家の膝の位置が同じくらいの高さが必要なのです。先のお客様へそうご説明させて頂くと、納得のご様子。後ろの方に陣地を拵えられた。ちなみに最前列、まんまん中あたりの席を(やっぱり首は疲れますが)、符丁で唾被り(つばっかぶり)というそうで。なかなか受難のお席ですが、寄席の特等席だとアタシはおすすめいたします。機会があれば是非。

新・落語スズメvol.14

『粗忽長屋』
文/松田 一成

「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺は誰だろう?」ご通家の方ならピンとくるかも、落語『粗忽長屋』のサゲ。最近立て続けに聞くこととなった。一席は、大ホール二人会、もう一席は40名ほどの定例会、演者はそれぞれ。粗筋はこう。身元不明の行き倒れ騒ぎに出くわした八五郎は、その行き倒れは今朝まで一緒だった熊五郎だと言う。見物人からは、行き倒れは昨晩からだったから人違いだと言われるが、いやいや、人様に迷惑をかけてはいけない、熊五郎本人にその死骸を引き取らせると八五郎奔走。いきなり「お前は死んだんだ」と言われた熊五郎も、自分の粗忽さ加減をいろいろ指摘されなんとなく納得。そこでその死骸を抱きかかえながら熊五郎、冒頭のセリフ。五代目小さん(インスタントみそ汁のコマーシャルに出てた人、立川談志の師匠)に言わせると、粗忽ものと言われるジャンルの噺の中で最も難しいと。実際、先般のホール落語の中では最大公約数的に、八五郎、熊五郎それぞれの慌てぶりを面白おかしく並べたて、笑いにつなげる、これぞ本道、間抜けなオチがじわじわと客席を笑いで包んだ。一方定例会の演出は、八五郎の正義を盾にした暴走を前面に押し出す。初め熊五郎は八五郎を信用していない。どちらかというと、ホール落語の演出と違って、熊五郎は常識を持ち合わせた小市民といった設定。抵抗を試みるが、八五郎の正義に翻弄され、徐々に追い詰められ、自分自身を見失っていく。ついにはその死骸と対面する。件のサゲ。死骸は俺ではないと最後まで信じたいが、状況は絶望的。テーゼを変えるしかないのかという結論、熊五郎の最後の抗いに聞こえた。正義を声高に叫ぶ者の前ではすべてが無力。もう笑うしかないという熊五郎の状況に、笑った笑った。同じ話を聴いたと嘆くなかれ、噺家のセンスはこうも偉大。

祝伊丹十三賞受賞!今年も久留米に『ほとばしる浪曲!玉川奈々福』がやってきます。11月4日 午後2時開演 久留米シティプラザCボックス。前売り・予約/2500円。問い合わせ・ご予約/久留米で落語の会 090(2511)5371

新・落語スズメvol.12

「社会派です(笑)」

文/松田 一成

タイムリーに吉本問題(笑)。まあ、次から次に、いろんな話が出てきて、二転三転、つじつま合わせに四苦八苦、それを追い詰めて、世の中は果たして何を映しているかとういう話。勧善懲悪のストーリーに仕上げるには、主人公のキャラ不足が露呈。セコイ嘘の発端は、体制批判に、お前が言うな感を漂わせながら、御涙頂戴とは少し遠かったよう。ただ、金髪某氏の天然ぶりが、この人ほんとに素直な人なんだろうなと、テレビで本当の事を言ってしまった琴錦関の「どっちも好き発言」と重なりました。アタシも早速お茶の間コメンテーターの仲間入り。素敵です、生活には全く関係のない話を、飛び切りのエンターテナーとして金もとらずに見せてくれる世の中は。中心はテレビ。テレビは正義、テレビはモラル、テレビは生活。まだまだ世間、いや、国家を為している風情。そのテレビの強力なライバル、ネット。ある程度のポジションをこしらえてきましたが、いかんせん、全ての世代には行き届かず、まだまだテレビが前提の世界だったり、興味のある方向だけがその人にとってより深い世間になってしまう難あり。どっちもロハ(只)で楽しみ、アガペー(無垢の愛、おおげさ(笑))だと信じている我々はその対価に何を支払っているんだろうと。こんなくだらないことで大騒ぎしながら(くだらないというのは正義やモラルの押し付け)消費活動の片棒を担いでいることは織り込み済みでしょうが、それを差し引いても、今回の違和感は拭えず。これがプロレス的予定調和ならあっぱれですが、労働闘争をする芸人は笑えません。テレビやネットが映し出す現実と言われている世の中と、多少ずれを感じている、そのずれが対価(つけ)なのかなというのが今回の話。

新・落語スズメvol.10

「二朝会」
文/松田 一成

令和になってもブームがまだ続いているようで、落語CDの予約発売案内が届いた。〜『1969年7月から1974年12月まで、全29回にわたり、五代目春風亭柳朝との「二朝会」。約45年の時を経て、当時まだ30代にして既に名人の片鱗が伺える志ん朝の、華やかな高座をお聴き下さい。』〜とあった。昭和の落語四天王と呼ばれたお二人の若かりし頃(柳朝の方が9歳お兄さんであったが)芸を競い合った伝説の落語会の音源が見つかったそうだ。「二朝会」、もちろん柳朝と志ん朝の朝をとって名付けられたそうだが、最初はそんなオツな呼び方はされていなかったとも。柳朝と志ん朝の会、第一回目プログラムのご挨拶には、林家正蔵(彦六)と柳家小さんが並んでいる。そのなかで正蔵は弟子でもある柳朝の噺家廃業エピソードを記し、落語以外ではテレビに出ないと決意した志ん朝をほめている。また小さんは当時テレビで売れていた二人が、本業の噺にやる気が出たことを素直に喜んでいる。アタシには文献(笑)でしか知らなかったものが、志ん朝師が亡くなってもう18年あまり経ち、令和になって、こうやって世の中に出てきた。嬉しい。少々値の張るCD全集だが予約しようかと。だがちょっと待った。「二朝会」の音源なのに、柳朝師の演目が一席も入ってない。予定もないらしい。うーん、ブームというのはなかなか野暮な現実も突き付けます。アタシにとっては、まだ伝説の落語会のようで。
追伸、令和伝説(になるかもしれない)の落語会!兼好が!喬太郎が!歌武蔵が!5年ぶりに久留米に来る!落語教育委員会in久留米、8月23日開催決定!詳細は来月。

新・落語スズメvol.9

「裏長屋騒動記(ネタバレあり)」
文/松田 一成

「(五代目)小さん師匠から、新作落語の依頼を受けたときは夢かと思うほど嬉しかった」とインタビューに答えたこともある落語好きの山田洋次監督が、その落語の世界を芝居にしたというお話。案内には監督自身の言葉で「今回初めて、前進座と一緒に舞台を創ることになりました。落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」をもとに、ある裏長屋で起こる騒動のお話です。〜どうぞ、ご見物の時には、舞台の俳優さんと同じ空間で、笑いや喜びを共有して、にぎやかに大声で笑いながらお楽しみください」。アタシにとって前進座といえば、女優も出演する歌舞伎くらいしかイメージのなかった劇団。その芝居に落語の主人公、嫌われ者の『馬』と正直だけが取り柄の『清兵衛』を、どう見せてくれるのかと楽しみに劇場へ向かう。あらすじは人情噺「井戸の茶碗」が縦糸となり、『清兵衛(劇中では久六)』を中心に浪人の娘『お文』と若侍『高木作左衛門』の恋模様を描いた爽やかな時代劇。落語の中では河豚に当たってすぐに死んでしまう『馬』も、芝居のなかでは意外と長生き(笑)。死人となった後も見事な踊りを(DA PUMP、U.S.Aのノリで)披露のサービスぶり。落語として頭の中で想像する世界が、目の前で軽快に繰り広げられ、違和感のあった場面転換も、気づけば芝居の間として楽しめる仕掛け。いよいよ、長唄に編曲された「寅さんのテーマ」が流れると、大向こうから「豊島屋!」の声も掛かり、山田監督「してやったり」の表情が思い浮かぶ。カーテンコールに並んだ役者さんの表情を思い出しながら、日本人の心情的大団円を素直に楽しんだ芝居見物でありました。

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