Home > インフォメーション

インフォメーション Archive

コーヒー産地を訪ねて… 一枚の写真vol.23

2010年 ホンジュラス/マルカラ

20110202.jpg 2010年ホンジュラスCOE審査会の合間の農園まわりの道中、道路脇で休憩をする地元の人たちです。牛車に腰掛けのんびりとした雰囲気ですが、誰もが愛想良く“目”で挨拶してくれるんです。“目”で挨拶というのは、親しげにこちらを見つめながらアゴを軽く上げてヤァーという感じです。言葉は無くとも、その純朴さが伝わって来るんですよね。さて、そんなホンジュラスの審査会で見事2位入賞したラス・マノス農園の珈琲豆が入荷、いよいよ販売を始めます。審査段階から目を付けていた一押しのロットでマンゴやピーチ、蜂蜜を想わせる香味、まろやかな口あたりに花の余韻!最高品質のスペシャルティコーヒーを是非お試し頂きたいですね。ところで、この原稿は久留米店で書いてますが、店内では新しい焙煎機の設置作業中です。これらの珈琲も久留米店で焙煎する事になります。お楽しみに!!

あだち珈琲(株) http://www.adachicoffee.com
○福岡よかもん市場 https://www.yokamon.jp/shop/Y460/index.asp

大川店/大川市榎津325-28 ヴィラベルディ1F TEL.0944-87-6549 
久留米店/久留米市篠山町6-397-7 BS通り TEL.0942-27-8205

写真と文  安達  和宏
福岡県大川市、自家焙煎豆の挽き売り店=あだち珈琲オーナー。原料の豆は直接産地へも足を運び農園より買い付け。また、コーヒー品評会の国際審査員として’08ボリビアCOE、’09コスタリカCOE、’10ホンジュラスCOEへ参加。

ラーメン今昔物語 130「九死に一生」 

 ラーメン屋のHK

テレビの特番で、よく「衝撃の映像」なるものをやってますが、そのほとんどが事故や災害に巻き込まれた人間が奇跡的に助かるという、いわゆる「九死に一生モノ」の映像で、「それでよく助かったな」と見ていて驚かせられます。かく言う僕も、その奇跡的に助かったという「九死に一生体験」の持ち主であります。それはン十年前の、僕が二十歳ちょっと過ぎの頃のことです。その頃僕は渓流釣りを始めたばかりで、その面白さにハマり込み、寝ても覚めても、渓流の女王「ヤマメ」のことで頭が一杯でした。そんなある日、僕は弟と二人で、熊本の緑川上流のある支流に釣行しました。山中の未舗装の狭い林道を四駆を揺らせながら走っていると、突然大きな崖崩れの跡が林道を遮っていました。前日の大雨で山の斜面が崩れたのでしょう。それは眼下遙かに谷の底まで達しています。当然車はそこでストップを余儀なくされ、徒歩でこのガレ場(崖崩れ跡)を越えるしかありません。目指す絶好の釣り場はこのすぐ先の谷です。僕たちは
「早くヤマメを釣りたい」という一念で、登山界ではタブーとされている「ガレ場のトラバース(斜面の横断)」を決行しました。まず僕が先頭に立ち、グラグラと動く不安定な岩々に注意しながら進みました。時々足下の岩が音をたてて深い谷底に転がり落ちていきます。そんなガレ場を冷や汗かきながら慎重に進んでいるとき、ふと、頭上を見るとワイヤーロープが土の中から垂れ下がっていました。恐らく、なぎ倒された崖崩れ防止フェンスのワイヤーロープでしょう、僕は何気なくそのロープを掴んでしまいました。すると、何とそのロープがスポッと土から抜け出たのです。その瞬間、僕はバランスを崩して転落しました。よく、人が目前に不可避の死を感じたとき、一瞬のうちにその人の今までの人生が、頭の中に走馬燈のように駆けめぐると言いますが、僕もその時、確実な死を感じましたが、なぜか恐怖心は全くなく、斜面を転がり落ちながら頭に浮かんだのは、「弟も僕を見下ろしながら兄の死を覚悟しとるやろうな。うちのラーメン屋は弟が継いでくれるやろうか?僕の死体をこんな山奥から担ぎ出すには、里の人たちの手を煩わすだろうな。・・・それにしてもまだ死なんな。そろそろやろうばってん・・・。」こんなことでした。やがて僕の体は五十メートルほど滑落して、斜面の土くれにぶつかって止まりました。僕はすぐに立ち上がり、弟に手を振って生存を知らせました。そして自分の体を確かめると、骨折どころか、かすり傷もないのです。岩だらけのガレ場を五十メートルも滑落して、全く無傷というのは奇跡でした。まさに九死に一生です。上から見ていた弟が言うには、僕の体は回転し、岩と岩の間の土の部分だけを選ぶように落ちていたそうです。
 それ以来僕は思っています。人は自分で生きているのではなく、天に生かされているんだなと。僕が死ぬのは、その滑落事故のときではなかったわけです。久留米でラーメン屋をしなければならないという役目があったのですね。きっと人には色々な役目があって、それを果たし終えたときに、天は、その人を召し上げるのでしょう。
 僕はまだまだ死にましぇん。
(2010年5月)

◆バックナンバー http://www.taiho.net

B級グルメの聖地くるめ「大村カレー」

B級グルメの聖地くるめ「大村カレー」
E-mail:gakkai@kurume-yakitori.com 
HP:www.kurume-yakitori.com

久留米やきとり学会 会長 豆津橋 渡

長崎県大村市。緑あふれる多良山系に囲まれた扇状地で、多良山系より湧き出る綺麗な水や栄養豊富な黒土で栄養価の高い農産物を収穫しておりまた漁場豊かな大村湾で取れる水産品も豊富なところです。世界で始めての海上に浮かぶ長崎空港もあります。歴史も古く、大村湾周辺の町を統治していた大村藩のある城下町で日本で始めてキリシタン大名となった「大村純忠」や坂本龍馬と共に薩長同盟を結ぶ立役者となった、「渡辺 昇」等多くの偉人を輩出したまちです。
 江戸時代に小倉から長崎にかけて整備された「長崎街道」は、オランダなどから輸入した砂糖を本州へ運搬するルートとして使われたため、昔から砂糖を使った甘いお菓子や料理が多く、また街道周辺には小城や飯塚といった菓子製造業が盛んな地域や、伝統行事に砂糖をふんだんに使う地域が多いことから『シュガーロード』とも呼ばれることはよく知られています。しかし、1582年(天正10年)織田信長が日本を統治していた時代に、日本で始めて「天正遣欧少年使節」という4人の子ども達が8年5ヶ月の歳月をかけて大村よりローマへ旅立ち、インドを経て日本へ帰還した際、カレーのスパイスを始めて持ち込んだといわれ、大村市は「カレーのルーツのまち」と考えられていることはあまり知られていません。
 そこで永い歴史の中で培われた食文化を活かしたまちおこしをしようと立ち上がったのが『大村あま辛カレーうまか隊』。「長崎街道=シュガー(砂糖)ロード↑甘い」と「天正遣欧四少年使節=スパイス↑辛い」をキーワードとして『大村あま辛黒カレー』を開発しました。このカレーは大村市特有の黒土を黒いカレールーに見立て、四季折々の地産の野菜やフルーツを使用しています。4月の「久留米つつじマーチ」ウオーキング大会に出店されていたのでそこで食べたんですが、口に入れた瞬間フルーティーな甘さが広がり、あとから追いかけて来るように、スパイシーな辛さが交わって、いままで食べたことのない絶妙な味でした。
 その摩訶不思議な甘くて辛いカレーがこの秋にまた久留米で味わえます。11月7日(土)8日(日)の2日間、久留米の中心市街地で「B級グルメの聖地久留米
第1回九州Bー1グランプリ」の開催が決定しました。詳しくは次回ご紹介いたします。ご期待ください。

紙を通した15年間【2】街を語る

irie.jpg街を語る
今、久留米の街は本当の意味で試されるとき
いいアイデアを「絵に描いたモチ」ではなく本物にする

久留米市中心街活性化協議会
タウンマネージャー
入江 雅春さん

人が集い語らいのある癒しの場に

 リニューアルされる東町公園。それに伴い商店街を公園と一体化させ活性化させようという動きが出ています。「行政と民間がお互い良い点を出し合いながら一緒に取り組み、うまくハーモニーを奏でれば良い街になっていくのでは……」そんな可能性を持って民と官のコーディネイトをする久留米市中心市街地活性化協議会タウンマネージャーの入江雅春さん。
 「絵画でも見て、子ども達が公園で遊ぶ様子を見ながらお茶でも飲んで、パンでも買って……そんな憩いの場所ができたら。色があって音があってコーヒーの香りがして花や緑を見ながら過ごす、五感に心地良い『お洒落』な場所です」
 入江さんがそう話す東町公園一帯の構想は、サロン&ギャラリー、カルチャースクール等のスペース。その隣に産直農産物店、菜園ビュッフェを誘致し、同時にベーカリーショップ、公園側に面してオープンカフェ等設け、商店街と公園を人々が行き来し集う、街中スローフードの癒し空間をつくろうというものです。 
 「今や商店街は物を買う場だけではなくコミュニティの場でもあります。今度の構想も人が集まり語らいの場というのが第一。コミュニティを求めてついでに商品を買っていただくとなればいい。また、野菜やパンなど日常的な物が揃うような構成にしたいと考えています。商店街への徒歩圏内に約二万二千の世帯の方が生活されており、商店街にデイリー性を持たせれば、それらの人々が足を運ぶ機会が増えるでしょう」
コミュニティ性、デイリー性を重要視した街の構想。入江さんは商店街の魅力を次のように語ります。
 「この前は塩辛かったよというお客さんの言葉を聞いて次の時には塩を少なくして持ってくる総菜屋など、会話を交わしながらニーズに合ったものを用意してくれるのは商店街ならでは。お客さんの顔が見え、お客さんの生活がわかる中で物を売っていくような、人との温かい関係が商店街の原点です。商店街は街の象徴。ここから久留米全体が元気になればと思います」

街の魅力を音楽で発信

banner_matinotikara.jpg

今月の元気もん

街の魅力を音楽で発信

nakase.jpg    ベーシスト中瀬亨さん(53歳)なかせ・とおる

【PROFILE】
久留米市商品化戦略プランワーキングチームメンバー。文化街さくら会会員。1955年生まれ。久留米市出身・在住。 ブルース、ロック、ジャズと様々なジャンルを経て、現在久留米文化街にてライブ演奏を聴かせるワインバー【ヴィノテーク】を経営し、地元を中心にライブ、セッション等を展開中。

 音楽で久留米の街を盛り上げようとするミュージシャン、中瀬亨さん。六ツ門の六角堂で行なわれているイベントにはいつも彼の姿がある。十一月に久留米市が予定している『B級ご当地グルメの祭典!B 1グランプリ』、『久留米ほとめきまち旅博覧会』などの町興しイベントにも、音楽の角度から挑もうとする一人だ。「音楽界の中で出しゃばりもんになろうかな」と、笑う。口ヒゲが魅力的だ。
 「我々音楽をやっている者は、いろんな所でいろんなイベントの中身として演奏をやってきました。しかしふと我に返ると、自分の周りをもっと盛り上げたいなと思ったんです。音楽を使って久留米を盛り上げたいという気持ちが常々ありました。たかが三、四年で街が変わるとは思っていない。十年後、二十年後、久留米の街がおもしろくなるためには、今から何かやっていった方がいい。自分が何々できるというのではなく、皆がそういう意識を持つようになればいいと思ったんです」

 しぇからしか  パワーが
集まれば何でもできる

 久留米市では、二〇一一年春の九州新幹線全線開通に合わせて、観光商品化事業を展開中。その手始めとして、十一月に『久留米ほとめきまち旅博覧会』を開催。それに向けて、様々な久留米の観光コースの商品化を企画するワーキングチームメンバーを募った。多種多様な各分野で活躍する面々が集まり、中瀬さんもその中の一人だ。文化街案内コース『大人の街を飲み先案内人トオルと行く!文化街ナイトツアー』の他に、音楽を久留米のウリにしたらどうかという観点から、自分で演奏して音楽を楽しめるコース『久留米にライヴばしに来んの!熱い夜を楽しむビターナイトライヴ in 久留米』などを企画提案した。
 「こうやって様々な分野を極めた人が集まり手を組んでいろんな企画をすればおもしろい。久留米を盛り上げたいという一つのパワーがこうして幾つも集まれば、何でもできるんじゃないかと気持ちが高まってきました。とくに五十代前後の我々が一番動かねばいけないのではと実感しました。ただ、思いが熱いだけではできないところがある。そうした意味では、市が観光に力を入れたいという今は一緒にやるチャンスなんです」
 久留米人は照れ屋で表現下手、それが良さでもあり短所でもあると話す中瀬さんは、久留米人の眠っていた心をノックする。
 「観光資源としてこんな場所もあるよと、久留米に興味を持つ人はもっと現れるはずです。本当は久留米に住んでいる皆がワーキングチームの一人なんです。私は音楽界の分野でやりたがり屋の先頭になろうかなと思っただけです。好きな言葉はしぇからしか。久留米では悪い意味ではないですね。しぇからしかぐらいのやりたがり屋がどんどん増えたら活気が出るでしょ。いろんな分野の、しぇからしかぐらいこだわっている人を集めて、『しぇからしか祭』なんかやったらおもしろいでしょうね」

行政と一緒に
ストリートライブが実現         nakase2.jpg

 十一月一~二日の『B級ご当地グルメの祭典!B 1グランプリ』では、期間中、市内の五、六ヶ所で『ほとめきストリートライブ イン B 1グランプリ』を企画。若手ミュージシャンにもスポットを当てる。
 「せっかく何万人の人が久留米を訪れるのに寂しい雰囲気は見せられません。他所から来た人を音楽でほとめき(もてなし)ましょうという意味です。こんなに熱がある連中がいるんだな、活気がついているんだなと、音楽で実感してもらいたい。今どちらかというとストリートミュージシャンは隅っこに押しやられている存在ですが、若者の力も捨てたもんじゃないというところを見てもらいたいですね」
 久留米はたくさんのメジャーミュージシャンを輩出した音楽の土壌がある街。その久留米で、ロック、ブルース、ジャズと長年音楽をやってきたプロミュージシャンとして、中瀬さんの夢は膨らむ。
 「最終的には筑後の音楽をしたい。久留米独自のとんこつロックやジャズがあってもいいと思います。そして、将来できれば久留米の名物的ミュージックフェスタというものをつくっていきたい。久留米を盛り上げようという看板を大げさに掲げるのではなく、自分達がいい形で楽しんで音楽活動をやっていくことが、活気ある音楽の街づくりに繋がると思っています。活性化は、自分達が一生懸命楽しんでいること自体が活性化なんです」
 そう語りながら中瀬さんはピアノに手を置き、ルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界』を弾き始めた。久留米が音楽でいっぱいの街になる日は近い。
文/森志穂

Home > インフォメーション

Search
Feeds
Meta

Return to page top