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くるめ-コラム

くるめ食素材探検 vol.61

英語ではセルリー、セレリーとも。

「セロリ」編

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

英語では「celery」ですが日本語では セロリ と言うことが多いようです。

セロリはセリ科の植物でヨーロッパから中近東にかけてのあたりが原産。なんと一世紀の文献にでてくるほど古くからおつきあいのある野菜なんですね。もっともそのころは薬用が主で、胸やけや利尿、目の炎症などに効果あり、とのことですが、どうやって使ってたんでしょうかね。搾り汁でも点眼してたのでしょうか。恐ろしい。もっとさかのぼって古代ローマでは男性の強精や整腸剤、またお祭りなどの飾りなどで使われていたようです。

日本に来たのは江戸時代。一説では、加藤清正が日本に持ち帰ったとされることから「清正人参(きよまさにんじん)」と呼ばれていたようです。日本に持ち込まれた当時は香りが強い為普及しなかったようです。オランダミツバ、の異名もありますので、長崎経由だったのかもしれません。戦後欧米の食文化が流入してくるとともに本格的に栽培が始まりました。いまではスープやシチュー、野菜ジュース、ピクルスなど私たちの食生活になじんでいますね。葉は香りが強いから苦手という方もおられますが、カロテンに関していうと茎の約2倍の量含まれています。加熱すると食べやすくなりますので炒め物や温かいサラダなどでいかがでしょうか。

主な産地は長野県と静岡県。この二県で全体の六割を作っているそうです。福岡は四位くらいでしょうか。瀬高のあたりは高菜だけでなく、セロリも生産組合があるほどの産地。「博多セロリ」ブランドで、例年ですと11月下旬より出荷。春先まで私たちの食卓を楽しませてくれるようです。

選ぶコツは、茎が肉厚で「C」の形に丸まっているもの。茎の色は、白いものほど甘いように思います。切り口と葉先がみずみずしいものが新鮮な証拠です。鮮度が落ちてくると先が黄色くなってきます。セロリをお家で保存する時には、葉と茎をまず切り離し、それぞれを新聞紙で包みます。それから立てて冷蔵庫に入れてあげることで1週間ほどは保存可能です。

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コーヒー産地を訪ねて…一枚の写真 vol.114

“2018年 ニカラグア”

写真と文 安達  和宏

2018年ニカラグアCOE ”カップ オブ エクセレンス品評会”での一コマ。初めてCOEに参加したのが2008年ボリビアですから、早いものであれから10年経ちました。インターナショナル ジュリー(国際審査員)として毎年参加していると、顔ぶれは大分変わりましたが、自身…品評会に於ける高揚感と審査に対する緊張はその時となんら変わりません。却って多くの生産者や、コーヒーづくりに関わる人々の想い・その情熱に出会った今日、当時以上に熱く感じるモノがあります。生産国に於けるコーヒーづくりの品質向上と生産者の生活/社会環境の向上に根ざしたこのプログラムですが、ここに参加出来きる事に感謝の気持ちで一杯です。そのベースとなったのが、買付けグループでの勉強会です。3ヶ月に1回のペースで行うこの勉強会ですが、ちょうどこの原稿書いている前日に、あだち珈琲担当で福岡にて開催されました。全国から集まったメンバーと研鑽しながら、まだまだ勉強の続きを楽しみたいと思います。

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久留米文学散歩 vol.71

夏目漱石と熊本そして久留米⑨

扨この(株)春陽堂書店ですが、この社の創業者は和田篤太郎で彼は一兵士として西南戦争(西南の役)に参加、帰還後に本を背負って行商から創めたと遺されています。何でも彼は岐阜県の出の様ですから当然官軍だったのでしょう。

西南戦争は明治10年に西郷隆盛を頭とする不平士族が兵を挙げ、明治を作って以降士族の最大且つ最後の反乱で、これに西郷が征韓論に敗れて官職を辞し、鹿児島に設立した私学校の生徒達が参加しています。併し熊本城の攻略に失敗、隆盛は自刃、以降政府の主導と中心は自由民権運動に変わるのです。

西南戦争の総決算(明治史から)

政府軍 兵力 六0,八三一人

死傷 一五,八0一人

戦費 四一,五八七,七ニ六円

西郷軍 兵力 約四0,000人

死傷 約ニ0,000人

処刑   ニ,七六四人

斬首刑 ニ三人

〜詳説日本史研究一九八九年度版から〜

前にも書きましたが、春陽堂は創業者の和田篤太郎が西南の役から帰還後行商から創め、新桜田町に小さな書店を開き、明治15年(一八八二年)頃から木版に手を伸ばしています。伝えられる処では、この和田篤太郎氏は木版画をこよなく愛しており、手の込んだ木版口絵を入れた本を出版することを自社の目標にしていたと伝えられています。併し当時、木版画は全て手作業でコスト面と大量生産が難しかったので、一作品に付き三百部から五百部程を刊行していたと伝えられています。ですから当時としては優れた口絵単行本が出版されていた様です。そして一八八四年(明治17年)頃は京橋区南小伝馬町に移転、その翌年には早くも外国物の本まで出版するに至ってます。明治30年に入ると「中央文学」や「新小説」に「草枕」が出るのですが、それにしてもその春陽堂が現在迄存続した原因ですが、色々と存るとは思いますが、女系の経営者(全般的には保守的で時々光る物を出す)であったのが一ツの原因だった様です。 |つづく|文/増原 達也

新・落語スズメvol.3

「浪曲、玉川奈々福」

文/松田 一成

旅行けば 駿河の国に茶の香り あれは名代の東海道 名所古跡のあるなかで 音に聞こえし次郎長の〜ご存知『清水次郎長伝』、二代目広沢虎造で聞きなじみのある方も多いかと。今回はその浪曲、浪花節に現われた彗星の話。イムズホールであった柳家喬太郎師の会、ゲストでご出演されたのが玉川奈々福さん。浪曲の先生というよりは、学校の先生といった感じの色白細面の美人ちゃん。声より先に、その佇まいに興味が湧いて参加したことをすぐに後悔。落語は「噺す」講談は「読む」浪曲は「語る」芸と言われますが、奈々福さんのその浪曲、あの晩は爆発していました。ハートを射抜かれたといった可愛いものではなく、もろとも吹き飛ばされたといった表現がいいのか。多分ほとんどのお客様が、アタシも含めて、初めてのライブでの浪曲体験だったと思います。そんな会場で、奈々福さんが一節目に仕込んだ、浪花節の信管に触れました。そして見事に吹き飛ばされました。奈々福さん自身は浪曲の復権を目指し、キャッチも『節と啖呵と三味線で織りなす一人ミュージカル』と浪曲未体験の人にも垣根の低さをアピール、エンターテイメント風を装っています。が、おっとどっこい、聞けばその裏、しっかりと義理人情を詰め込んだ爆弾を片手に、日本人であることの逆の踏み絵を要求しているような。死なばもろとも、一緒に吹き飛ばされれば、この世は天国。人生で大事なものは義理と人情(と、お中元)。奈々福さんのうなる全力投球の浪花節に決意を感じたのでした。素敵です奈々福さん。

そんな玉川奈々福さんの会、11/4久留米シティプラザCボックスで公演。是非!※詳細は14Pをご確認下さい

香茶店〝香り不思議発見〟 Vol.97

喪中ハガキがきたら、

喪中見舞いのお線香を贈りませんか!

香star

年末に突然ハガキが・・・、中身は「喪中につき、年始のご挨拶は遠慮させて頂きます」の文面。こんなハガキで戸惑うのはお悔やみしてなかった?ということ。そこで最近では喪中見舞、御仏前などの名目でお線香をお届けされる方が多くなりました。

親しい方の突然の不幸を知らされてなかったということはよくありますね。御礼の気持ちを香りに込めて贈りませんか!

●喪中見舞のお線香に関するお尋ねはお電話か

直接店頭にてお尋ねください。

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香りは3種類

・乳香の香り

・清澄な和の香り

・甘い優雅な香り

1セット 15枚入り…600円(税別)

今月のイチ押し ! 「印香」

火をつけずに香りを楽しむ印香(いんこう)は、見た目が可愛くお菓子のようなお香です。小皿に乗せて香りを楽しんだり、アロマポットや電子香炉などで温めてお楽しみください。

気分転換や空間の演出に !

子どもの為のひろしじいちゃんの絵ごころ指南!! Vol.7

子どもの絵 六ツ門教室

主宰 杉山 洋

「動物園のキリン」

幼稚園の恒例の動物園見学の経験絵である。

前々回のK君の「イルカの曲芸見学」絵と同じように、幼児は大地に立っているという経験を画用紙のまわり縁を大地としてとらえている。

このキリンを見ている子らの大地は画用紙下部と左側面である。右下の人物は「A君」自身であるから、無意識に大きく自己主張して描いている。左側面に一見、横たおしの子どもたちは、クラスの友人である。友人たちは大地の存在は経験として知っているが、物理的に間違っているという認識はない。キリンをとりまいて見ているという経験を表現するばかりである。彼らの上には青い空があるのでそれを、まず描き、キリンの上空の空も知っているのでそれを描き、またキリンの足下の大地は画用紙下部がそれである。そこで「キリンのまわりに何があるか」と尋ねてみた。A君にとって、見学した唯一つの動物、首の長いキリンへの驚きのみが経験認識であり、動物の牧舎などは眼中になかったので描けないのである。そこで「キリンや君の回りには何があると思う?」と質問したときA君はやにわにウデを振りまわし「風がある」と答えた。つぎに「その風を描いてみよう」と言うと一瞬、考えてやにわに白を選んで空気として表現したのであった。

眼に見えない空気に気づき、白で表現したA君は、すべてが描き終えたとして、極めて満足顔だった。

このA君は、学年が進むとともに、物のあり方に注意深くなり、次第に写生力が身につき、六年時には左のような作品を描くようになった。

くりかえす。幼児期は「知っている」つまり「経験」を描く時期であり、「写生」の時期ではないことを私は主張する。活発な児童ほど、経験が豊富でダイナミックな表現ができるのである。

201811-sugiyama01.jpg◀【A君 幼稚園児作品】


201811-sugiyama02.jpg◀【A君 小六年時作品】

ともに「全日本こども美術展」受賞

歯は健康のバロメーター vol.19

〜落合先生のお口のお話し〜

乳歯の生える時期は、一番早い下の前歯が生後8か月前後、一番遅い上の奥歯が2歳半前後、そしてそれらが永久歯に交換するのは下の前歯が6歳前後、上の奥歯が11歳前後ですから、乳歯が役目を果たしている期間は、長い一生の中でもせいぜい5年から9年です。したがって、乳歯のひどいむし歯があっても、その治療を嫌がるこどもをみた大人たちは、どうせあと数年もすれば生え変わるのだから、乳歯はあきらめて、後から生えてくる永久歯を大事にすればいいじゃないか、という人もいます。しかし、生え変わり寸前の乳歯ならともかく、生え変わるまである程度の時期がある乳歯のむし歯を放置したらどうなるか、今回はこれがテーマです。

永久歯はお母さんのおなかの中にいる頃からすでにでき始めていて、その形が明らかになるのは生まれた直後からになります。したがって、むし歯ができるような年齢になった頃には、目には見えなくても乳歯の真下には永久歯がずらりと並んでいることがわかっています。したがって、乳歯に大きな虫歯ができて根の先に膿がたまるほど重症になってしまった場合には、その真下で待っている永久歯は膿の中にどっぷりと浸かってしまって永久歯がダメージを受けたり、真上にある膿の中に浸かってしまうのを避けようとして永久歯が変な方向を向いてしまうことがあります。また、そこまで重症ではなくてもむし歯で歯と歯の境目が欠けてしまっているだけでも、隣の歯が倒れこんでしまい、後から生えてくる永久歯の萌出スペースが足りなくなって歯並びや咬み合わせに異常が起こる原因になります。

たしかに乳歯と永久歯とは別物ですが、このように乳歯にむし歯があると、そのあとに萌出する永久歯そのものに悪い影響を与えたり、あるいは萌出するスペース不足を引き起こしたりする原因となることがありますので、そう考えると乳歯を大切にすることが永久歯を大切にするということにかなり直接的に結びついてくることがわかります。そのために乳歯のむし歯は早いうちから発見して、治療したりあるいは予防の処置をすることが大事になってくるのです。

むすんで、ひらいて!! vol.54

「長年、子どもの指導を

して来て思うこと」

⑦心はちゃんと育っていますか?

一般財団法人田中教育研究所

幼児心理カウンセラー  野田 鏡子

「昔と今の子育ては違っていますか?」という質問をよくされます。思えば、今のお父さん・お母さん方が産まれる頃から知能育成の教室をしているのですが、昔と今とではかなり違うように思います。

私が一番に思うのは、あまりにも幼い頃から知識を教える事に重点を置いた子育てになっているということです。

「文字を教える」「数字を教える」「計算、漢字、アルファベット」と次々に覚えさせることが賢い子どもを育てることと思っていらっしゃる方が多いようです。しかし、それは全く違うと私は思っています。

まず、幼児期に親として子どもにしなければいけないことは、人として生きていく上での人間形成。「これはしていいこと」「してはいけないこと」の判断が出来るように育てていくことです。

小学校に入って、先生の話を聞けない、友達とうまく付き合えない等々、さまざまな事が問題になっています。子どもと向き合って話し、ひとつひとつ教えていくことが大切です。

お友達が車で遊んでいて、突然、横から取ってしまいケンカになる。そういう事は良くあります。「だめよ!」だけでなく、「取られたら悲しいよね、ちょっと貸してと言ってみたら?」と声掛けをするだけで、子どもは素直に受け入れます。

100%完璧な教育はできませんが、親がちょっと心掛けるだけで、随分違いますよ。我が子が大人になった時の事を想像して、人に愛される子に育てることが大切です。

文字や数や知識は、後からでも十分覚えます。心配しなくても良いのです。

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くるめ食素材探検 vol.60

ゆず胡椒でおなじみ、だけでなく風習にも

深く根付いたかんきつ「ゆず」編

文/靏久 格(産直や 蔵肆)

ゆず、で検索すると音楽のほうばかりでてきてこまっちゃう「ゆず」ですが、それだけ馴染み深いんでしょうね。ちなみに、覚えやすいから、という理由でバンド名を決めたそうで。そのとき食べていたのが「ゆずシャーベット」ほかにもゆべしや柚子胡椒、ゆずポンなど冬のお料理には欠かせない名わき役ですね。

日本に入ってきたのはいつのころかはっきりしませんが、唐の時代に遣唐使が持ち帰ったとする説があります。飛鳥時代・奈良時代には栽培していたという歴史書があるので、そのあたりでしょうか。成長が遅いことでも知られ、「桃栗3年柿8年、ユズの大馬鹿18年」などと成句にもなっています。このため、種子から育てることはせず、「接ぎ木」により数年で栽培することが多いようです。

秋口には完熟して黄色くなってくるゆず。果実は俳句においては秋の季語です。「ゆずの花」は夏の季語になります。また、柚子湯は冬の季語、と四季を通じて楽しませてくれる柑橘なんですね。「ゆず湯に入れば風邪を引かない」といわれ、冬至に柚子を浮かべた湯舟に入浴する習慣があります。ゆず湯には血液の流れを良くする血行促進効果があり、風邪の予防だけではなく、冷え性や神経痛、腰痛などを和らげる効果があるんだそうです。暮れも押し迫った12月下旬、いろいろとせわしい中ゆずの香りにほっとしますよね。

ただ、柚子湯の習慣は銭湯の登場以後のこと。一説に湯治(とうじ)と冬至(とうじ)との語呂合わせで、身体息災であれば融通(ゆうずう)が利くとのこじつけ・・・ダジャレかいっ!

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新・落語スズメvol.2

「六角堂広場にて、

幕末太陽傳〜居残り佐平治〜」

文/松田 一成

シャツ一枚ではちょっと寒かった晩「まちなか角打ちバル&まちなかシネマ」に初参戦。シティプラザ六角堂広場(屋根はある!)で月に2度ほど行われているそれぞれのイベントが、今回は敬老の日特集ということで同日開催、日本酒(先日の福岡県酒類鑑評会で最高位をとった蔵元のお酒でした。ラッキー)を飲みながら、落語の登場人物が舞台の映画鑑賞となりました。平日開演18時ということで、遣り繰り算段、ご同輩二人とテーブルを確保、至福の夜の始まり始まり。今回上映された映画は1957年日活『幕末太陽傳』、落語「居残り」の主人公佐平治を演じるフランキー堺の活躍を中心に物語は展開。勤王の獅子高杉晋作に石原裕次郎、久坂玄瑞に小林旭、気弱な若い衆喜助には岡田真澄(美男子です!)。遊郭で働くやりて婆ァは先日亡くなられた菅井きんさんの姿。それはあとからあとから名優、怪優のオンパレード。60年前、リアルタイムで見た方には素直に嫉妬を感じます。圧巻は、オッサンのハートを鷲摑み、フランキーを巡る美女二人、花魁役の左幸子と南田洋子(当時27歳と24歳!)。お客相手の手練手管が居残り稼業(無銭宿泊)のフランキーには通じない。そこには花魁としてのプライドもちらほら。三両惜しさに結婚をちらつかせる(起請文、結婚約束手形)南田の色目は、コメディエンヌとしての才能を見抜いた監督川島雄三のセンスか。実際に吉原にあった遊郭「相模屋」をスタジオに作り上げたそうで、前述美女二人の階段を使っての喧嘩シーンは、見てるこっちが痛くなるような迫力でありました。酔いも回ったところでエンドロール。次行く店を考えながら、思いました。幕末太陽傳とうたいながら主役が裕次郎でなかった壮大なシャレは、当時の太陽族への皮肉なのかなと。それとも製作費獲得のための監督の詭弁か。結局これを最後に川島は日活を退社したそう。映画の結末と相俟って(フランキー堺が泣かせます)、空になった一合枡に吹く秋風は、切ない余韻がお似合いでありました。

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